(本記事は、佐藤 秀氏の著書『格差は子ども社会において現れる!ああ格差社会』の中から一部を抜粋・編集しています)
組織と人
地方の子
サラリーマンなんかに、なりたくない(働きたくない)
都市部の子
サラリーマンになんか、なりたくない(自由業でいたい)
都心の子
サラリーマンになんか、ならない(社長か、ビジネスオーナーになる)
「地方の子」は、基本的には「大人になんか、なりたくない」と思っている。つまり、あくせくと働きたくないのである。できれば、いつまでも子どものまま、遊んで暮らしたいと思っている。それがたまに、「サラリーマンなんかに、なりたくない!」という強い言動となって表れる。
「都市部の子」は親を見て、宮仕えというのがいかに大変で辛いものであるかをよく知っている。ただ、「地方の子」と違ってもう少し現実的なので、いずれは自分もそうなることをわかっており、その負担が幾分軽くなるように人よりも勉強し、より良い大学に行こうとする。
学歴が良ければ良いほど出世も早く、我慢しなければならない期間が短くなることを知っているのである。
こうした優等生的な考え方を持っていたとしても、「都市部の子」は心のどこかで、「逃れられるなら、逃れたい」と思っている。
けれども現実的には、ある程度満足のいく待遇(収入、福利厚生、社会的評価)を得るのは、大企業に就職するか、あるいは、公務員として宮仕えをするか以外には、とても難しいことも知っている。
なので、非現実的な淡い願望として、「サラリーマンになんか、なりたくない」「できるなら自由業に就きたい」と思っているわけである。
では、「都心の子」はどうかと言うと、サラリーマンをはじめとする宮仕えというものが、いかに割に合わないものであるかをよく知っている。
しかもこの子らは、自分達の親を見て、それ以外の道があることを知っている。この子らは心の底から、「サラリーマンになんかならない」、「自分は将来、社長かビジネスオーナーになる」と心に決めている。
そして、皆とは違うこと、組織人ができないこと、社長しかできないことを考えながら成長し、大人になっていくのである。
やはり格差社会というのは一向になくならず、格差は広がっていくばかりという気がしてならない。
- ああ格差社会[組織と人]
- 「都心の子」は子どもの頃から「社長にしかできいないこと」を考える