自身も一人の会社員という立場で数多くの会社員を取材し、働き方などについての執筆活動を行なってきた楠木新氏は、後悔のない人生を送るためには50代が重要だと話す。(取材・構成:塚田有香)
※本稿は『THE21』2020年10月号から一部抜粋・編集したものです
「良い人生」かどうかは60~74歳の生き方次第
私はこれまで多数のビジネスパーソンや定年退職者に取材し、定年後の生き方について話を聞いてきました。そこで実感したのは、定年前後のギャップに戸惑い、定年後をどのように過ごせばいいかわからず立ち往生している人が少なくないことです。
会社を退職すれば仕事がなくなるのはもちろんのこと、会社の人間関係や組織の中で背負っていた役割も責任もすべて失われます。会社中心の毎日を過ごしてきた人ほど、このギャップの大きさに戸惑い、定年後の生きがいや自分の居場所を見つけられずにいます。
「人生100年時代」の今、定年後は余生ではなく、長く続く「第2の人生」です。特に70代半ばまでは、身体も健康で、家族の扶養もラクになり、自分の裁量で自由に使える時間が多くなります。
私は60歳から74歳までを「黄金の15年」と名づけていますが、それは、人生で自分のやりたいことに取り組める最後のチャンスだからです。
この15年を元気に充実して過ごせる人は「終わり良ければすべて良し」で、過去につらいことや大変なことがあったとしても「良い人生だった」と思えます。逆に、若い頃は仕事をバリバリこなして活躍しても、「黄金の15年」が充実しない人は、人生に悔いを残すことになりかねません。
50代までに訪れる「2つの定年」とは?
本来なら、定年を迎えてから「第2の人生」について考えるのではなく、現役のうちから次のステップへの準備を始めることが大切です。しかし実際は、在職中から定年後のことを考え、行動に移す人はごく少数です。
実は、定年前にも「第2の人生」について考えるチャンスは何度か訪れます。まずやってくるのが、40代半ば頃から生じる、働く意味に悩む「こころの定年」(私の造語)状態です。
若い頃は会社の仕事ひと筋で頑張ってきた人も、この年代になると、「自分はこのままでいいのだろうか?」と疑問を抱くことが少なくありません。
仕事に関しては新しい刺激がなくなり、管理職になれば現場からも離れるので、どうしても仕事のやりがいや手応えが得にくくなります。さらに、組織内での自分の行く末も見えてきて、若い頃のような出世や成長への意欲も失われてくる――。
この「こころの定年」から脱出するにはどうすればいいかを考えることは、定年後に向けた対応を検討するチャンスになるのですが、大半の人は日々の仕事に追われて気になりながらも何もせず、そのまま50代を迎えます。
すると、次にやってくるのが、50代半ばでの役職定年です。私が取材した会社員の多くが、このときショックを受けたと話しました。役職手当がなくなって給与が減り、肩書きも部下も失う。
頭ではわかっていても、その状況がいざ現実になると、「そろそろ俺も終わりかな」と感じる人が多数派でした。役職定年によるこれらの気持ちの変化は、自分の働き方や時間の使い方を変えるチャンスにもなるはずです。
しかし、やはり多くの人は、会社中心の生活を変えることができないまま、定年退職を迎えます。そして、冒頭で話したように定年後の人生に戸惑い、「もっと早くから考えておけばよかった」と後悔することになるのです。
会社を離れて初めて思い知らされた
私自身は、まさにこの40代後半から50歳前後にかけて、自分の働き方を大きく転換した経験があります。生命保険会社に勤めていた47歳の頃、体調を崩して休職。
50歳で復職したものの、それまでの支社長や担当部長などの役職を失い、平社員になりました。以前はかなりのハードワークをこなしていましたが、役職を離れて仕事の負担が減り、自由に使える時間も増えました。
ところが、いざ時間ができると、何をしていいのかわからなくなってしまったのです。会社という居場所を離れたら、私にはやることがない。いかに自分が会社にぶら下がって生きていたかを思い知りました。
それを機に、個人としての自分は何がやりたいのかを真剣に考え、50歳から、会社員と並行して物書きとしての活動を始めました。それまで30年近くサラリーマンとして働いてきた経験を活かし、会社員の視点から働き方や組織と個人の関係について発信したいと思ったからです。
そして、60歳で定年退職するまで、二足のわらじを履いて過ごしました。65歳になった今も、会社員の生き方・働き方の専門家として、執筆や講演、企業研修などの活動を続けています。
私が定年を迎えたときに立ち往生せずに済んだのは、会社員とは別の「もう一人の自分」を50代のうちに見つけたからです。