目次
要旨
- 欧米では離職する人が急増しており、「the Great Resignation」(大退職時代)が到来したとして話題になっている。経済活動の急回復に加え、リモートワークの長期化に伴う労働者の志向の変化などが関係しているようだ。
- 経済回復が道半ばの日本では、転職者数は低迷したままである。しかし、転職を希望する人の増加ペースには加速がみられる。転職希望者は事務職、専門職といったホワイトカラー職種であり、この点は欧米との共通部分である。経済正常化とともにこうした転職希望者が行動を起こすことで転職者数が増加する可能性があろう。
- 仮に経済活動が回復し転職率が正常化した場合、転職者数は2019年の水準を18万人、5%程度上回ると試算される。直近2021年8月のアメリカの離職者数が2019年8月から2割ほど増えていることに比べれば、規模は小さいともいえる。現状のデータからは、欧米ほどのダイナミックな変化にはならないことも示唆される。
- 日本ではコロナ前から転職者数の増加が続いてきた。人手不足の経済環境、日本型雇用慣行是正の動きなどが底流にはあり、流れはコロナ後も変わらないだろう。労働市場の流動化は日本経済の成長・レジリエンスに貢献するとともに、企業の人材獲得競争を活発化させ賃金・非賃金面での労働者分配を促す力になる。政府には、労働移動のハードルとなっている制度・慣習を取り除いていくことで、こうした動きを後押しすることが求められる。
欧米で起こる“the Great Resignation”
欧米では離職する人が急増しており、”the Great Resignation”(大退職時代)として話題になっている。アメリカの離職率(離職者数/雇用者数)は2021年8月に3.3%に達し過去最高の水準となった(資料1)。アメリカにおける離職率の上昇は労働供給の不足となって経済回復のボトルネックになると同時に、企業が労働者のつなぎ止めのために待遇を改善する動きもみられ、平均賃金は上昇が加速している。賃金外のところでも、福利厚生の改善を進める企業も出てきているようだ。
ここには、新型コロナウイルスが絡んだ様々な理由が考えられている。第1の理由はワクチン普及、活動制限緩和による経済環境の急速な改善だ。欧米諸国は経済正常化に早期に舵を切り、2021年4-6月期にはすでにコロナ発生前のGDP水準を取り戻している。経済環境の正常化に伴い、求人数や労働環境が改善、転職に踏み切る人が増えているようだ。各国における調査・各種報道等を見渡していくと、コロナ禍特有の要因も存在するようだ。例えば、以下のような要因が挙げられている。
- 多くの人が長い期間にわたるリモートワークを経験し、プライベートの時間が増す・人間関係のわずらわしさから解放されるといったメリットを体感した結果、オフィスに戻りたくないと考える人が出てきている。
- 職場を離れ働き方が大きく変わったことが、自らのキャリアを見直すきっかけとなった。
- 失職を免れた人たちは、経済活動の制限によって貯蓄額が急増。金銭的に余裕が出来た人たちが待遇面より自分のやりたいことを職にしたいと考えるようになった。
- 仕事とプライベートの境界があいまいになり、長時間ストレスにさらされた結果、バーンアウト(燃え尽き症候群)してしまった。
- コロナ禍はデジタル関連の求人には追い風となっており、専門職の待遇改善、転職増につながっている。
日本でも転職等希望者の増加ペースが加速
こうした動きは日本でも生じているのだろうか。そもそも日本は経済回復が道半ばであり、転職者数(前職があり、過去1年間に離職を経験した人数)は低迷している。2019年(四半期データの平均)の転職者数が351万人であったのに対し、2020年は319万人、2021年前半は279.5万人と減少傾向でコロナ前を大きく下回っている(資料2左図)。しかしその一方で、このところ動きに変化がみられるのは転職を「希望する」人の数である。転職等希望者数は2019年に800万人、2020年819万人、2021年前半は841万人だ。2020年、21年前半と、増加ペースは早まっている(資料2)。
職種別の転職等希望者数の2019・2020年度の比較を行うと、特に大きく増えているのが専門職、事務職であることがわかる(資料3)。性・雇用形態別にみると、転職を希望しているのは男女ともに正規雇用者である(資料4)。リモートワークを実施した主体であると考えられるホワイトカラー職において、転職等希望者数が大きく増えた点は、先のthe Great Resignationと重なる点だ。日本においても、リモートワークによって自らの仕事、キャリアを再考する人が増えた、等の影響で転職を検討する人が増えている可能性があるだろう。
経済回復後の転職増が見込まれるが、欧米ほどのダイナミックさはないか
もっとも、欧米と比べてその増え方は限定的である。日本において、経済回復によって転職市場が改善し、直近の転職者数と転職希望者数の関係がコロナ前(2019年)並みまで戻った場合、転職者数は369万人となる(※1)。コロナ前の2019年転職者数351万人に対し、これを18万人、5%程度上回ることになる。足元、経済活動の回復が遅れているために実際の転職には結びついていないが、今後経済活動の回復が進めば欧米と同様の構図でホワイトカラー職種を中心に転職者数が増加することも想定されよう。もっとも、アメリカの2021年8月の離職者数が2019年8月対比で20%増加していることに比べれば、変化は小さいともいえる。転職希望者数の動向からは欧米のようなダイナミックな変化にはならないことも示唆される。
人手不足復活で転職者数は再増加へ、「労働市場の流動化」は労働者分配メカニズムを強化する
日本の転職者数はコロナ前から趨勢的に増加が続いてきた。これは人手不足環境が続いたことによるところが大きいだろう。企業の人材獲得競争が活発化し、より良い待遇が提示されることで転職に踏み切る人が増える、という労働市場のメカニズムが機能し始めていたと考えられる。また、産業構造の変化が大きくなり、日本の硬直的な労働市場を形成してきた日本型雇用慣行の是正が訴えられるようにもなった。また、人材流出が企業側の問題となる中で、働きがいや従業員の組織への愛着=エンゲージメントの向上が課題として広く認知されるようになり(資料5)、賃金外のところでも労働環境の改善・見直しが進められるようになった。
こうした流れはコロナ後も変わらないだろう。すでに日銀短観の雇用人員判断DIはコロナ感染拡大でいったんは上昇したものの、ゼロを下回るレベルですでに低下に転じている(資料6)。コロナ感染が一定の収束を見せ、経済活動が回復すれば少子高齢化の人口ピラミッドのもとで人手不足は再燃していくだろう。日本型雇用慣行の見直しについても引き続き議論が進められていくだろう。底流ではじわじわと労働移動が増加していく圧力がかかっていく。
政府に求められるのはこうした動きを積極的に後押しすることだ。日本には労働移動を行いにくくしている制度・慣習が多岐にわたっている。若いうちに賃金を低く抑え年齢を重ねた後に高くなる年功序列型の賃金体系、新卒一括を重視した採用体系、社内スキルを重視したゼネラリスト育成のための人事制度、今年の経済財政白書でも取り上げられた勤続年数の長い場合に有利になる退職金税制、転職者を不利に取り扱う住宅ローン審査などが挙げられよう。
企業の人材獲得競争は賃金面、賃金外の福利厚生などの面において、労働者の待遇改善、企業の国内労働者への分配を促す大きな力になる。目下、企業の労働者への分配を促す観点で賃上げ減税や内部留保課税といった様々な策が議論されている。しかし、より根本的なところでは労働市場流動化や企業の人材獲得競争活性化が求められよう。円滑な労働移動によって日本経済の成長力、レジリエンスを高めるとともに、企業による賃金・非賃金面での労働者分配を促すメカニズムを強くする、といった視点での政策議論がもっとあってもよいのではないかと思う。
(※1)2019年の転職者数/転職希望者数の比率×2021年前半の転職希望者数、で試算。
第一生命経済研究所 経済調査部 主任エコノミスト 星野 卓也