筆者がバークレイズ・ウェルスISSヘッドとして、プライベートバンカー(以下、バンカー)に情報を提供したり、あるいは超富裕層への提案に関するアドバイス等を取りまとめたりするのに、最も役に立ったスキルの1つに20年以上にわたって積み上げたファンドマネージャーとしての実務経験がある。評価や分析を生業とするアナリストやエコノミストでもなく、見通しや戦略を練ってまとめるストラテジストでもなく、最終的に「買うのか」「売るのか」という投資判断を下し、その結果責任がパフォーマンス・レコードとして生涯ついて回るファンドマネージャーという特異な職務を経験したことが、超富裕層ビジネスの現場でも大いに役に立った。

筆者はいわゆる「営業担当」という職責を担ったことがない。もちろん、投信会社の社長だった頃は販売会社への外交は精力的にこなしたが、それは事前に営業担当者が突撃して「今度社長を連れてきますから少しだけお時間をください」などとお膳立てをしたものが大半だ。

だからプライベートバンクに転じてからも、マーケットが荒れている時にバンカーが超富裕層に電話連絡している内容などを耳にすると「さすができる営業マンは違う」と思ったものだ。これはお世辞でも皮肉でもなく、心からそう思った。特にマーケットが荒れると受話器の外側にまで聞こえてくるほどの大きな声で激昂するお客様も珍しくなかった。でも、そんなお客様の気持ちを丁寧に解きほぐし、切電間際には笑い合っているのだから驚きの次元である。

筆者がそんなバンカーの相談に乗るのに役に立ったのが、ファンドマネージャーとして経験だった。

判断を行動に移すには相当なメンタル・エネルギーを必要とする?

富裕層,資産運用
(画像= yangsfly / pixta, ZUU online)

たとえば、工場から排出された汚水を下水処理場で十分にろ過し、「飲んでも大丈夫」と判断するのと、実際に飲むのとでは話が違ってくる。理屈のうえでは「飲んでも大丈夫」と分かっていても、実際に飲み下せる人がどれほどいるだろうか? ファンドマネージャーの仕事は、その水が飲めるのかどうかを判断するのはもちろんのこと、実際に飲み下してみせるようなところがある。水を「株価」に置き換えてみると分かりやすいかもしれない。筆者はファンドマネージャーとして、最終的に「飲み下す」ことの重みを身をもって経験したからこそ、超富裕層ビジネスの現場でも正に超富裕層のリアルな立場や気持ちを深く理解し、対応することができたと考えている。

大切なことなので繰り返すが、「飲んでも大丈夫」と判断するのと、実際に飲むのとでは話が違ってくるのだ。

ちなみに、市場関係の業務をしていると数年に1度は「よく分からない市場環境」となる場面がある。色々なリサーチをかけ、多種多様な分析を積み重ね、周りの専門家の意見などにも耳を傾け、ありとあらゆる角度から見極めようと努力して「たぶん、こうだ」という答えに辿り着いているのに、どこか腑に落ちない。夜も寝つきが悪くなったり、睡眠が浅くなってしまったりすることもある。

だが、その場合、往々にして「やっぱりあれが正解だった」と後々動かなかったことに地団駄を踏むことも多い。ただそこまで分かっていても、どうしても動けないという状況がある。

後から振り返ってみると、その一番の理由は「(自分の)体調が悪かった」ということが多い。「寝不足で思考がまとまらなかった」というようなこともあれば、単に「気乗りしなかった」ということもある。でも、理由はどうあれ「動けなかった」という事実は変わらない。なぜそんな状況になるかと言えば、市場業務は心理戦でもあり、また「欲望」との闘いでもあるからだ。判断を行動に移すには相当なメンタル・エネルギーを必要とすることを筆者は経験的に理解している。

マーケットは冬山にたとえることもできる

ところで、マーケットは冬山にたとえることもできる。山の天気は変わりやすい。それまで安心して楽しく登山をしていたのに、いきなり雪が降り始め、猛吹雪になることもある。一寸先も見えず、頼りになるのはコンパスと長年の経験で培われた自分の勘だけである。そんな時、ベテランの登山家は連れているパーティー・メンバーの経験やスキルを考えて、翌日天候が回復することを願って野営を選択することもある。いわゆる「ビバーク」と呼ばれるものだ。体温の低下と体力の消耗を最小限にする措置をとって、テントを張ったり、雪の中に穴を掘ったりして吹雪が過ぎ去るのを待つ。無理に「こっちのはずだ」と強行して万が一にも遭難するリスクを避けるためだ。