本記事は、岡田五知信氏の著書『起死回生 東スポ餃子の奇跡』(エムディエヌコーポレーション)の中から一部を抜粋・編集しています。

意見,社内
(画像=maroke/stock.adobe.com)

社内で巻き起こる反対の声

プロジェクト発足時、当然ながら社内には「東スポ餃子」に対する批判的な声が多かったという。当然だろう。東スポはスポーツや芸能、事件などを取材し、それらを記事化し、そのコンテンツを世間に出すことで生計を立てていたわけだ。会社が傾いたのであればまず、こうしたコンテツの充実化を図るべきではなかったのか? 「東スポ餃子」プロジェクトを半ば強引に進める中、社内にはどんな軋轢あつれきや反発が生じたのだろうか?

まったく新しいジャンルへの挑戦でもあり、少ないとはいえ将来に影響を及ぼしかねないリスクも発生する。それら社内を調整する術を平鍋氏に引き続き語ってもらった。

「プロジェクトを始めた頃はたしかに少々、暴走気味だったと自分でも思います。私と戸田商事の鈴木氏とでプロジェクトの内容を決め、話を進めていったわけですからね。上層部に許可を取った後は、社内には「東スポ餃子」のポスターを作って壁にどんどん貼ったりもしました。完全な確信犯です。

そのような進め方をしていたので、社内の一部からは、

『あんなプロジェクトにはついていけない』
『誰か、あのプロジェクトを止めた方がいい』
『暴走しすぎだ!』
『新聞の方が危ないというのにどうして新聞に力を入れないで餃子を作るんだ!』
『ネットコンテンツを充実しろ』

といった声が上がりました。私は現在でもそうですが、編集局長という立場でもあったので、

『編集局長なのに新聞を編集しないでどうして餃子を焼いているんだ。もっと新聞に力を入れろ』
『素人が餃子の仕事を始めてもどうせ売れないだろう。いったい何を考えているんだ』
『餃子のビジネスを始めるなんてまったく聞いていない、勝手にそんなことを始めたらまずいだろう』

といった批判の声はたくさんありました。まさにサンドバッグ状態です。中には私に直接、進言する勇ましい若手社員もいました。散々ないわれようですよ。陰でも思わず耳を塞ぎたくなるような不評が飛び交っていたようです。

驚いたのは、社外の知人からも忠告を受けたことです。社内でも、もちろんそっと教えてくれる先輩もいました。その都度私は、落ち込みました。でも周囲の人に、

『気にすることないよ……』

といわれたのが救いでした。

とにかく新しいビジネスの成功を目指しました。ただしその一方で、この会社はまだまだ捨てたもんじゃないという希望も見えてきた。愛社精神があるからこそ、こうした声が出てくるわけです。私に面と向かってきた若手記者は、かつての自分を思い出させてくれました。むしろ、それで根拠なき自信にますます手応えを感じ始めたんです」

常人のメンタルならとっくの昔にノックアウトだったと思われる社内のバッシング。新しいプロジェクトを始めるにあたっては予算も必要になる。希望退職者制度で会社を去っていった仲間もいたわけだ。そうした中、『東スポ餃子』への出資にも非難の声が上がったことは想像に難くない。ところが平鍋氏は次のようにいう。

「お金についてですが、それを聞かれたら丁寧に説明をしました。『お金はまったく新ビジネスに使っていない。アイデアだけ……』

と。さらに ―― 。

『リスクもないし在庫もない。これは会社にとってもいいビジネスモデルなんだ』

と……。

何度もいいますが、社内調整が順風満帆じゅんぷうまんぱんということは絶対になかった。普通の会社なら、自分のやり方ではクビを切られても仕方がなかったかもしれない。実際に何度もプロジェクトに反対する社員たちと言い争いになったこともあります。売り言葉に買い言葉というのでしょうか……。

『オレは利益を出すために新しいビジネスモデルを作っているんだ。そんなにこのプロジェクトに反対するなら、別なアイデアを考えて実現してみろ!』

といったやりとりです。

『新聞ビジネスはもはや時代遅れである』

と ―― 。

若手社員はもちろん分かっています。現状のままでは未来がないことを……。でもルーティーンに追われ、記事作りに追われているわけです。会社が傾いたから突然、アイデアを出せといわれて、内心は穏やかではなかったはずです。そもそも、餃子を作るために東スポに入社したわけでは、もちろんないですから。

社内からの突き上げは想像以上だった。でも反対ばかりでは何も進まない。自分も頭を冷やし、時間をかけて少しずつ新プロジェクトに反対していた社員たちを説得していった。そうした中、ようやく手応えを感じるようになったんです。反対意見を唱える社員の中にプロジェクトをすべて肯定するわけではないが耳を傾けてくれる者も少しずつ現れてきた。若手社員の中には、

『もっと違う売り方をした方がいいんじゃないですか?』
『自分だったらこの客をターゲットにしたPR戦略を立てる』

と提案してくれる者もいたんです。もちろん彼らの話を聞きました。あらためてプロジェクトの内容を説明しながら自分の考えを伝えた。そうなったらあとは勢いですよ。素直に、

『力を貸してほしい』

と頭を下げることができた。

若手は順応力が高く情報収集能力に恐ろしいほどけている。少なくとも東スポに入社した社員です。基本は優秀な人たちなんです。餃子に関連して若手のアイデアを参考にしたことは多々ありますね。東スポのメインカラーである青色を餃子のパッケージに使用した案もそうだった。私たちと対立した、あるいは温度差があった者たちからの方が、プロジェクトに賛同してくれるといいアイデアが出るようになったんです」

経営陣へは「損はしません……」と伝える

そもそも、気になるのはこれまでさらりと触れてきた経営陣に対する説得だ。さらに平鍋氏の説明を受け、上層部は、この新プロジェクトにどのような対応をしてきたのだろうか。平鍋氏に聞いてみると、「あまり話したくないんです。とにかく腹芸だった(笑)。酒井修代表取締役社長には一応、

『新プロジェクトをやります』

と説明しましたね。社長は開口一番、

『それはどんなプロジェクトなんだ?』

と問われましたので、

『〈東スポ餃子〉です』

と答えました。

『中華料理店でも始めるのか?』

と畳みかけられたので、在庫を持たないビジネスであること……、東スポという看板を上手に利用したブランド戦略だということをパワーポイントなど使って丁寧に説明しました。

『大丈夫か?』

と何度も確認されましたね。

『お店はまだ、やりません。でもまずは、見ていてください。必ず成功させます。損はさせませんから……』と断言しました。

実際、その頃にはすでにポスターが完成していたんです。完全に見切り発車ですよ。もう誰にも止められない状況に自らを追い込んでいたんです。そもそも、今更、止められても困る段階でしたから……。そういう意味では、このプロジェクトを認めてくれた太刀川恒夫会長、酒井修社長には感謝しかありません。

その後は戸田商事の社長にも来社してもらったりして、徐々に『東スポ餃子』プロジェクトの進捗を社内に浸透させていきました。ただ、社内的には問答無用で始めたものですから、何度も、『どうしてこんな大事ことがもう決まっているんだ!』

そういった顰蹙ひんしゅくの声を聞きながら進めていました。とはいえ、ビジネスには何度も何度も、本当に何度もいいますが……絶対にスピード感が大切なんです。社内会議ばかり繰り返していたら失敗するだけです。やはりタイミングというものがビジネスチャンスには1番、大切なんです」

1人、2人とプロジェクトへの賛同者も

握手,ビジネス
(画像=metamorworks/stock.adobe.com)

驚くことに上層部への根回しと餃子プロジェクトをほぼ、同時進行させながら平鍋氏は走り続ける。すると不思議なことにプロジェクトがどんどん走り続けるとやがて、社内の逆風は収まり始めたという。國見、大沢、初田、長谷川の4人の役員を中心としたビジネスに関心のある社員が1人、2人と興味を持って集まり出したのだ。

彼らを巻き込み、新プロジェクトは10名ほどのグループで進めることができるようになる。「東スポ餃子」はいよいよ本格的に始動開始し、味の吟味や、売れるためのパッケージ作りなどが始まった。新プロジェクトに賛同してくれる仲間が現れ、仕事の内容を理解し取り組んでくれることによって、「東スポ餃子」は大きく進捗したのだ。

「東スポ餃子」はその後、いくつかのメディアに取り上げられたりもしたが、その際には、PR専任の担当者が対応をするようにもなった。

「私が巻き込んだ社員の1人、佐藤浩一に広報係を任命しました。彼には『東スポ餃子広報担当(*1)』という肩書を入れた名刺も作らせました。テレビや雑誌の取材の際には彼に対応してもらっています。基本的に取材の依頼は私にくることが多いのですが、私は役員会などもあるので、取材にきめ細かく対応する時間がとれません。そこで佐藤を広報担当とし、基本的に彼に広報全般を担ってもらっています。

*1:広報/企業や行政、各種団体の活動内容、商品の情報発信を行う業務。またはその担当者や部署。広報とは情報を受発信することで、新聞や雑誌などの媒体に記事として取り上げてもらったり、従業員や株主、消費者などのステークホルダーに活動内容などを理解してもらうことを含む。

ちなみに、佐藤ですが、普段は東スポのエロ企画というか風俗を担当している。もともとはプロ野球でマー君(田中将大(*2))の担当で、その後、野球から文化部、そして風俗記事および芸能と事件のデスクの業務も週一でこなし、ネットでは野球の記事配信をしながら『東スポ餃子』広報と、4つの担務に就いてもらっています。『東スポ餃子』の仕事もこなしているうちに次第にいろいろなことを覚え、彼のスキルは格段に上がってきている。基本的にはとても優秀な男です」

*2:田中将大/たなかまさひろ。兵庫県伊丹市出身。1988年11月1日生まれ。プロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。2021年開催の東京オリンピックでの金メダリスト。2021年にはYouTubeチャンネルを開設し、YouTuberデビューも果たした。

記者を志望し東スポに入社した佐藤氏にとってはとんだトバッチリだったかもしれない。しかし、「東スポ餃子」プロジェクトに関して平鍋氏が完全に黒子に徹し、佐藤氏は表の顔として登場することになった。現在、このプロジェクトが粛々と進行し成功した背景には佐藤氏の存在を抜きには語れない。佐藤氏には後ほど登場してもらおう。

社内でも徐々に変化していった周囲の目

「東スポ餃子」プロジェクトが進んでいく中、次第に社内の空気感も変化していった。新プロジェクトに対する懐疑的な視線が徐々に好意的なモノに変わっていったという。そのトリガーはいったい、何だったのだろうか!?

平鍋氏に聞いてみた。

「いつ頃から社内で『東スポ餃子』のビジネスに対する批判の声が減ってきたのか……はっきり認識したことはありませんね。発売されたのは2021年9月のこと。本格的に市場に出回り始めたのは10月からでした。年明けの2022年1月には、各所で試食会などのイベントを開催し、辛麺屋桝元が48店舗で販売を始めてくれました。他の取引先も合わせて取り扱い店が400店舗くらいになったことを、ある会議で報告しました。すると、それまで批判的だった社員たちが水を打ったように静かになった。もちろん、相変わらず、

『曲がりなりにも文化を発信する新聞を作り、売っていた東スポがどうして餃子のビジネスをするんだ!』
『ネットコンテンツを充実させろ……』

などという社内の反感や反対の声がすべて収まったわけではなかった。でも社内の雰囲気は徐々に変わっていったんです……。ピリピリした雰囲気が溶解していくような感覚ですよ」

東スポ餃子の奇跡
岡田五知信
早稲田大学卒。徳間書店『週刊アサヒ芸能』編集部や新潮社『フォーカス』編集部で編集記者を経て1992年に在京キー局に中途入社。バラエティー番組や情報番組、特番などでディレクターやプロデューサーを担務。

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