この記事は2023年1月6日(金)配信されたメールマガジンの記事「クレディ・アグリコル会田・大藤 アンダースロー『物価上昇超える賃上げ要請はうまくいくのか?』を一部編集し、転載したものです。

賃金,労働
(画像=beeboys/stock.adobe.com)

毎月第1金曜日の午前6時から会田がコメンテーターとして出演している文化放送の「おはよう寺ちゃん」の内容の一部をまとめたものです。

目次

  1. 政府の賃上げ方針について
  2. 賃上げに踏み切るための企業環境について
  3. 政府の投資促進方針について
  4. 防衛増税について
  5. 子供予算倍増方針について
  6. 政府・与党の積極財政対緊縮財政の議論について

政府の賃上げ方針について

問(寺島):岸田総理は年頭の会見で、今年の春闘では「インフレ率を超える賃上げの実現をお願いしたい」と訴えました。「企業収益が伸びても賃金が上がらなかった問題に終止符を打ち、賃金が毎年伸びる構造をつくる」とも語っています。また、「この30年間、企業収益が伸びても期待されたほどに賃金は伸びず、想定されたトリクルダウンは起きなかった」と話し、最低賃金の引き上げに加え、公的機関でインフレ率を上回る賃上げを目指すと表明しました。力強い経済成長の基盤を作るため、物価上昇率を超える賃上げの実現を目指す方針を示したことについてはどう受け止めていますか?

答(会田):政府・日銀は、2%の物価安定の目標の達成を目指しています。賃金上昇率が物価上昇率を下回っていると、実質賃金はマイナスになってしまいます。消費者の購買力が弱くなり、需要が減少してしまい、また物価が下落するデフレに戻ってしまうリスクになります。企業収益が堅調であることを背景に、政府は企業に十分な賃上げを要請しています。春闘での賃金交渉が注目されますが、現在のところ、ベースアップの賃上げは1%程度で、これまでよりは明らかに強いですが、物価上昇率を超えることは難しいとみられます。結果として、需要は十分に強くなりませんから、原油などの輸入物価が安定化すると、日本の物価上昇率は1%台に戻っていき、2%の目標を上回る水準から、下回る水準に低下していくとみられます。

賃上げに踏み切るための企業環境について

問(寺島):物価上昇分を超える賃上げを経済界に求めた岸田総理は、「賃上げによる人への投資こそが日本の未来を切り開くエンジンになる」と強調しています。ただ、賃上げは各企業の判断によるわけですが、経済界にはどういった空気が流れているのでしょうか?

答(会田):日本経済のビジネスのパイである名目GDPは、この20年間ほとんど拡大していません。ビジネスのパイが拡大しなければ、企業が投資や賃上げに慎重になるのはしかたありません。企業の支出が弱いのであれば、まずは政府が支出を拡大して、名目GDPを拡大することは政府の責務でした。しかし、数度の消費税率引き上げを含む緊縮的な財政スタンスで、政府の支出は弱く、政府はその責務を果たしてきませんでした。「賃上げによる人への投資こそが日本の未来を切り開くエンジンになる」ことを強調するのであれば、政府はまずは積極財政によって名目GDP成長率を引き上げるコミットメントをし、エンジンが動き出す環境を整える必要があります。

政府の投資促進方針について

問(寺島):岸田総理は「賃上げと投資という2つの分配を強固に進め、持続可能で格差の少ない力強い成長の基盤を作り上げる」とも表明しています。自身の経済政策「新しい資本主義」について格差是正のメッセージが十分でないとの指摘があることを踏まえ、分配重視の姿勢をアピールした形と思われる。岸田総理は年末、東京証券取引所の大納会で「『資産所得倍増プラン元年』として貯蓄から投資へのシフトを大胆、抜本的に進めていく」とも語っていました。岸田総理が語る「賃上げと投資という2つの分配」についてはどうご覧になっていますか?

答(会田):マクロ経済の基本は、誰かの支出が誰かの所得となることです。企業の貯蓄率と財政収支の合計は、ネットの資金需要と呼びます。企業と政府の合わせた支出をする力を表します。プラスは貯蓄ばかりで支出が弱く、マイナスは借入れをして支出が強いことを表します。日本経済のネットの資金需要は、この20年間、ほとんど0%、すなわち消滅してしまっていました。企業と政府の合わせた支出をする力が消滅しますと、家計に所得が回らなくなります。積極財政で政府が支出を増やして、名目GDP成長率を押し上げることにコミットメントし、企業が投資を増やし、ネットの資金需要が十分に強くなると、賃上げなど、家計に所得が回るようになります。「賃上げと投資という2つの分配」には、まずは積極財政が必要になります。

防衛増税について

問(寺島):こうした中、防衛費が2023年度から5年間で総額43兆円規模に拡大されます。毎年4兆円の安定した財源が必要で、岸田総理は去年、このうち1兆円強を増税でまかなう方針を示しました。この1兆円をいかにして捻出するのかを議論した結果、法人税、たばこ税、所得税の3つを組み合わせる案が了承されましたが、増税する具体的な時期の決定は今年に先送りされました。増税による日本経済への影響についてはどうみていますか?

答(会田):防衛増税は全くいりません。この20年間、企業と政府の合わせた支出する力であるネットの資金需要はほとんど0%と消滅し、名目GDP成長率もほとんど0%でした。家計に所得を回し、名目GDP成長率を望ましい3%程度に押し上げるためには、ネットの資金需要は-5%程度必要になることが分かっています。GDP比で0%から-5%へ、25兆円程度の恒常的な支出が必要になります。米国や英国のように-10%を大きく超えると、支出力が強すぎてインフレが大きな問題になります。-5%程度にすることをマクロの財政規律として運用すれば、防衛費の恒常的な増額は簡単なはずです。法人税の増税が企業心理を冷やしてしまえば、投資が衰え、先ほどの「賃上げと投資という2つの分配」の実現を妨げるリスクになります。

子供予算倍増方針について

問(寺島):防衛費増額に向けた増税方針については、与野党に根強い反対論がある中、今後は「子ども予算倍増」への検討も本格化します。岸田総理は年頭の会見で少子化問題を巡って、「異次元の少子化対策に挑戦する」と表明しています。2023年6月に大枠を示す予定の「子ども予算倍増」の具体策として、児童手当を中心とした経済的支援の強化や、幼児教育・保育サービスの拡充を挙げました。岸田総理の言葉通り「倍増」となると、少なくとも5兆円規模の上積みが必要となりますが、この5兆円規模の安定財源の確保は容易ではないとなると、消費増税という言葉がちらつくわけですが、どうみていますか?

答(会田):少子化対策は、防衛力の拡充と同じように急務です。子ども予算倍増のために、消費税率を引き上げる必要は全くありません。ネットの資金需要を-5%程度にすることをマクロの財政規律として運用すれば、25兆円程度の恒常的な支出が必要になります。防衛費と子ども予算を倍増しても10兆円程度ですから、お釣りがくるくらいです。一気に倍増して、少子化を止める強い勢いをつけてもらいたいと思います。消費税率を引き上げれば、家計の負担が増し、少子化を加速させる逆効果になると考えます。

政府・与党の積極財政対緊縮財政の議論について

問(寺島):岸田政権の下、政府と与党の力関係は、それまでの「政高党低」から「党高政低」に変化したとされます。「コロナ対応からの財政の正常化」に向け、パイプの太い岸田総理の指導力に期待した財務省でしたが、「政権が弱体化すると財務省の力は低下する」ことを図らずも示しました。一方、自民党内の積極財政派が主導する「財政政策検討本部」は今後、現在の財政健全化目標の妥当性などを議論する見通しです。政府は、国と地方の政策的経費を借金である国債に頼らず、税収でどれだけ賄えているかを示プライマリーバランス=基礎的財政収支の25年度黒字化目標を維持していますが、与党内では「予算が必要なのは防衛費だけではない」と、目標見直しを求める声が日増しに強まっています。この動きについてはどうご覧になっていますか?

答(会田):既に、2023年度の政府予算編成の骨太の方針で、プライマリーバランスの黒字化目標は、事実上無効化しています。注目は、私が長年主張してきた、国債60年償還ルールが撤廃されるかです。60年償還ルールに基づき、国の債務を完全に返済するという恒常的な減債の制度を持っているのは、先進国で日本だけです。グローバル ・ スタンダードでは 、国債の発行による支出は、民間の所得と資産の増加となるため 、景気過熱の抑制の必要がない限り、発行された国債は、事実上、永続的に借り換えされていきます。60年償還ルールを撤廃すれば、16兆円の債務償還費の歳出が削減できます。先ほどのマクロの財源の考え方と合わせれば、十分にロジカルな財政運営方法ですから、緊縮対積極財政派の議論の中心になると思います。

図:ネットの資金需要(企業貯蓄率+財政収支)

ネットの資金需要(企業貯蓄率+財政収支)
(画像=出所:日銀、内閣府、クレディ・アグリコル証券)
会田 卓司
クレディ・アグリコル証券会社 チーフエコノミスト
大藤 新
クレディ・アグリコル証券会社 マクロストラテジスト

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