ネットニュースなどをパラパラとめくる習慣がある方は、「これからは長期的な資産運用が必要」といった内容の記事を目にした経験があると思います。資産運用の必要性を考えて、ここ数年で投資を始めた方も少なくないでしょう。
では、いまなぜ資産運用が必要なのでしょうか。老後に対する漠然とした不安だけなら「しっかりと貯金をしておけば問題ない」と考えることもできます。そこで、この記事では「資産運用が必要な理由」にスポットを当てて解説していきましょう。
目次
日本に残る貯蓄信仰
2019年、「老後2,000万円問題」が浮上して、大きな注目を集めました。当時はメディアで盛んに取り上げられたので、記憶している方も多いことでしょう。この問題は、金融庁の金融審議会ワーキンググループでまとめられた報告書が発端となったものです。
これまで、政府が「貯蓄から投資へ」をスローガンに掲げ、NISA(少額投資非課税制度)やiDeCo(個人型確定拠出年金)といった税制優遇の後押しを整備したこともあり、日本では少しずつ投資ブームが起こりつつあります。
全国証券会社の個人口座数は、日本証券業協会のデータによると2018年6月の時点で約2,355万口座でしたが、2023年3月には3,285万口座まで増加しました。5年足らずで4割近くも増えています。また、主要銀行や大手証券、ネット証券の投資信託の預り資産残高も、2019年時点から大きく増加しました。
とはいえ、日本人の“貯蓄信仰”はいまだに根強いものがありそうです。日銀が2022年8月末に公表した「資金循環の日米欧比較」によると、株式等が家計に占める割合は、米国の39.8%に対して日本は10.2%。一方、現金・預金の比率は、米国の13.7%に対して日本は54.3%となっています。日本では、金融資産の半分が現金と預金で占められているのです。
参考:日本銀行>資金循環の日米欧比較
日本の家計における貯蓄の割合が高い状況は、以前から指摘されてきましたが、1つ1つの家計からしてみると大きな問題ではなかったでしょう。老後2,000万円問題にしても、実際にそれぐらいの資産を持っているなら、必ずしも「問題」ではありません。
ところが、その状況は大きく変わろうとしています。それは、日本経済が「デフレからインフレへの転換期」を迎える可能性が高まりつつあるということです。
デフレ下ではお金の価値が相対的に上昇
日本経済は、1991年のバブル経済の崩壊以降、30年以上にわたりデフレという暗いトンネルを歩き続けてきました。デフレとは、一般にモノやサービスの値段が下がること。「モノの値段が下がるのは、いいことじゃないか」と思われる方がいるかもしれません。確かに、消費者目線では、物価の下落は財布に優しい現象でしょう。しかし、経済全体で見れば、
物価の下落 ⇒ 企業の売り上げが減少 ⇒ 賃金が減る ⇒ 製品を売るためにモノの値段を下げる ⇒ 売り上げが減少
という悪循環に陥りやすくなります。このため、政府や日銀は、なんとかデフレの状態から抜け出そうと対策を講じてきました。いわゆるアベノミクスの下、日銀が「異次元の金融緩和」に打って出たのもデフレからの脱却が主な目的でした。
デフレ下では、実質的にお金の価値は上がります。1,000円の商品が500円になれば、お金の価値は2倍に上昇したのと実質的に同じという考え方です。日銀はバブル崩壊以降、政策金利を下げ続け、1999年、2000年以降は実質的な金利がゼロの状態、いわゆる「ゼロ金利政策」を続けています。そして、銀行預金の金利も大きく下がりました。銀行の定期預金(1年)の金利は、1990年時点では6%前後だったのに対し、ゼロ金利政策以降、現在に至るまで1%を大きく下回る超低金利が続いています。
もっとも、この間はデフレが続いていたため、銀行預金に利息が付かなくても、ジワジワとお金の価値自体は上昇していました。リスクを負ってまで投資をする必要性に迫られてはいなかったといえるかもしれません。
牛丼価格から見えるインフレの気配
ところが、ここ1、2年で状況は大きく変わりました。新型コロナの影響から世界的にサプライチェーン(供給網)の混乱や労働力不足が生じてきたところに加えて、ロシアによるウクライナ侵攻の影響から、原油や天然ガスなどのエネルギー価格が急上昇。さらに穀物や資源など、さまざまなモノの価格が大きく上がりました。
インフレは、モノやサービスの値段が上がることを意味します。逆の視点で見れば、お金の価値が相対的に減少するといえます。
米国のCPI(消費者物価指数)は、2022年6月に一時9.1%(前年同月比)に上昇しました。9.1%という数字は、1981年11月の9.6%以来、およそ40年ぶりの高水準です。足元では、エネルギーや資源、穀物などの価格が下がってきているため、世界各国のインフレは落ち着いてきました。米国のCPIも、2023年5月には4.0%まで下がっています。
日本の物価上昇率(生鮮食品を除く総合指数)は、2022年が前年度比で3.0%の上昇。2023年も、4月までの平均で3.45%の上昇と、日銀が目標に掲げる2%を超える水準が続いています。
参考:総務省統計局>2020年基準 消費者物価指数 全国 2023年(令和5年)4月分
日本の物価上昇に関しては、大きく2つの要因があります。
1つめは、世界で流通するモノの価格自体が上昇したこと。特に、日本はエネルギー自給率が低く、9割前後を輸入に依存しているため、エネルギー価格の上昇が物価に大きく影響します。
2つめは、円安です。ドル/円相場は、2015年半ば以降、緩やかな円高・ドル安が続いていました。しかし、2021年1月以降は一転して円安・ドル高の傾向が続いています。2020年の年末から2021年初頭にかけて、1ドル=100円台前半で推移していましたが、2022年10月には、一時1ドル=150円を突破するなど、大幅に円安・ドル高が進行。これによって、輸入品の価格は急上昇しました。
「デフレの象徴」と言われる、大手牛丼チェーン店における牛丼並盛りの価格は、2000年代から2010年代半ばまで、一時的な上昇を除けば300円前後で推移してきました。280円で提供されていた時期もあります。しかし、現在は400円程度まで値上がりしています。
ほかにも、外食や小売り、電気代など、連日のように値上げに関するニュースが報じられていますから、物価の上昇を肌で感じている人は少なくないでしょう。
「老後2,000万円問題」ではない? 「老後3,676万円問題」のシナリオ
気になるのは、「この状況がいつまで続くか」ということでしょう。
複数のシンクタンクなどのレポートに目を通すと、エネルギー価格の下落などによって消費者物価は徐々に落ち着き、2023年から2024年にかけて、再び2%を割り込む可能性も指摘されています。
ただ、消費者物価や為替相場はマクロ要因とミクロ要因、国内と国外の要因が複雑に絡み合って推移するものであるため、予測が非常に難しい項目です。10年後、20年後、あるいはそれ以上先の数値を、正確に予測することは不可能でしょう。
そうはいっても、デフレ下の“失われた30年”とは全く異なった環境にあることは確かといえるでしょう。「日本が再び長期的なデフレ経済に陥るシナリオ」と、「インフレ経済に突入するシナリオ」という2つのシナリオのうち、インフレ経済突入のシナリオが10年前と比べて高まっていると思います。
インフレ経済への突入によってお金の実質的価値が下がると、預貯金だけでは資産が徐々に減少してしまうことでしょう。資産価値を自力で防衛するためには、資産運用を真剣に考えるべきタイミングが迫っているのかもしれません。
仮に、日銀が目標に掲げる「安定的に毎年2%の物価上昇」の局面が訪れるとします。この場合、100万円の実質的な価値は、20年後に約67万円程度まで計算上目減りすることになります。物価上昇率が3%だと約54万円に、元本が1,000万円なら約544万円まで価値が目減りする計算です。
これが、物価上昇率が3%で1年先の話なら「100万円が約98万円になる」という話なので、「いろんなモノの値段が上がっているなぁ」といった感想を抱くだけで済むかもしれません。しかし、100万円が20年後に約54万円になるとなれば、どうでしょうか。捉え方が変わってくるはずです。
これを冒頭の「老後2,000万円問題」に当てはめて考えると、価値が54%程度に目減りする計算なので、2,000万円÷0.544=「老後3,676万円問題」になってしまうのです。
「デフレ目線」から「インフレ目線」へ
今後、2~3%程度のインフレ率が続くとすれば、現金資産の実質的価値の目減りする分を、所得を増やすか、投資で穴埋めをする必要があります。
それをしないと、時間が経てば経つほど状況は悪化する可能性があるでしょう。足元では、大手企業を中心に賃上げが相次いでいますが、物価の上昇を差し引いた「実質賃金」は低下が続いていますし、自力で所得を増やすのは非常に困難かもしれません。
しかし、資産運用はもともと自力の世界。2%~3%程度のリターンであれば、ある程度のリスクを取って金融商品でカバーすることができるかもしれませんし、そのほかの金融商品やマネープランを吟味する時間はあるでしょう。
投資を判断する以前に取り組むべきなのは、自身の視点や考え方を変えることでしょう。いつまでも「デフレ目線」のままでは、「気がついたら預金の価値が半分になっていた……」などという状況に陥りかねません。
「インフレ目線」への転換。それがいま、私たちに求められていることではないでしょうか。