1954年生まれ 1973年 髙松建設入社 2001年 同社取締役 2004年 青木あすなろ建設 常務執行役員大阪建築本店長 2005年 青木マリーン 取締役 2010年金剛組 専務執行役員 2012年金剛組 代表取締役社長 2020年金剛組 代表取締役会長 2022年会長就任、現在に至る
創業から現在に至るまでの事業変遷
―まずは、事業の変遷としてどのような歴史を歩んできたのか、お話しいただけますか?
株式会社金剛組・刀根 健一氏(以下、社名・氏名略):弊社は社寺建築を専業とする会社です。創業は飛鳥時代の西暦578年で、聖徳太子様が四天王寺を建立する際に、日本には大きな寺院を建てる技術がなかったため、百済の国から三人の工匠が招聘されました。この内の一人が、金剛組初代当主となる金剛重光でした。四天王寺を建立した後、聖徳太子様からここに残って四天王寺を護るよう命じられました。それ以来、私たちは四天王寺様から建物のメンテナンスや建て替え、修復などのお仕事を継続的にさせていただいて参りました。
39代目が社長になった1970年頃から事業拡大を図り、一般建築に参入しましたが不得意分野に加えて、入札による価格競争の為、多くの工事が不採算となり、経営危機に陥りました。2006年に髙松建設の傘下に入り、以降原点回帰で社寺建築に特化、専念するということで今日に至っています。
自社事業の強みと成功実績・功績
―金剛組の強みは何でしょうか?過去の実績や特に印象的な事例があれば教えていただけますか?
事業の強みとしては、1445年間続けてきた長い歴史と経験、更には手掛けてきた作品があるということです。これは大きな強みといえます。
神社仏閣の建物はとても寿命が長いという特徴があります。例えば、法隆寺は建立から1300年以上経っていますし、日本にはまだまだ築500年600年の建物が数多く存在します。これらの社寺建築は50年~60年毎に大改修や修理をすることで、建物を護っています。そういった仕事を通じて弊社は数多い経験と実績を積み上げさせていただいて参りました。それは、他の社寺建築業者に負けないものであり、強みと考えています
また、社寺建築で最も重要な、材木管理も強みといえます。材木屋さんから材木を調達し、保管して乾燥養生を行い、加工をして現場に出荷します。我々は東京、大阪それぞれに大規模な加工センターを保有しており、この加工センターの規模は社寺建築業者では最大級だと思っております。
さらに、髙松グループ(株式会社髙松コンストラクショングループ)の多様な企業群も強みの1つです。例えば、神社仏閣では大規模な法面に面しているケースも多々ありますが、グループ会社の青木あすなろ建設並びに東興ジオテックとコラボすることで、大掛かりな土木工事が可能となります。
また、社家や庫裡の建設には、グループ内の住宅専門の会社とコラボすることもできます。これらのグループ会社との連携により、宗教法人様に対するワンストップ対応が可能となります。まさに宗教法人様のソリューションを標榜する私たちの強みだと考えています。
―その強みを活かして、他の建築にも応用することはありますか?
宮大工の木造技術は、大型木造建造物や文化財の修復・復元にも活用しています。加えて古民家の再生事業にも積極的に取り組んでいます。1400年間伝承してきた「日本が世界に誇れる木造伝統工法」の技術を社寺建築だけでなく、文化財や大型木造建造物、古民家等、幅広く活用して技術伝承していきたいと考えます。
過去のブレイクスルーや成功実績とその秘訣について
―過去の成功事例についてお聞きしたいのですが、長く続けられた事例としては何がありますか?
長く続けられた理由や秘訣については、二つあります。
一つは、四天王寺様のお抱え大工として安定的に仕事をいただいてきたことです。それによって技術の伝承が可能となり、宮大工集団を維持することができました。確かな技術を持った人材を育て続けることができたのは四天王寺様のおかげであり、長続きの秘訣と言えます。
もう一つは、当主の選び方が実力主義であったことです。直系の血縁や長男にこだわらず能力で選んできました。能力が足りない場合には、外部から養子縁組として優秀な人材を入れたりしていました。一度棟梁にしたけれども、やはり適していないことがあれば外へ修行に出すなど、厳しい選考が行われていました。
―それは驚きですね。その厳しい選考により、組織としても強固になったのでしょうか?
そうですね。お客様の要求にきっちりと答えていくためにも、リーダーとして、当主・棟梁には厳しさとしっかりとしたマネジメントが求められていました。
―職人さんを束ねるのも大変だったと思いますが、その点についてはどうでしたか?
皆、腕に自信を持っています。それぞれにプライドもあります。それをまとめていくのは、相当な統率力や技術力がなければなりません。また、お客様に対する交渉力や営業力も必要でした。
―なるほど、それはさぞかし大変なことだったでしょうね。
言葉で言うのは簡単ですが、1445年間は順風満帆だったわけではなく、困難な時期もありました。明治以降には、明治新政府が神仏分離令を発布したことで、四天王寺様からの仕事が激減し、我々は初めて外部へ営業に踏み出さなければならなくなりました。
また、昭和7年には37代目の棟梁が突然亡くなりました。その棟梁は技術的には長けていて、大阪の建築業界に名を馳せていた人物でした。しかし、職人気質で自分が納得しない仕事は引き受けないことに加えて、昭和恐慌の時期で仕事が激減したことから、業績は極度に行き詰まり、37代目は責任を感じて先祖の墓前で自害してしまいました。
―それは驚きですね。その後の会社の存続はどうなったのですか?
棟梁が亡くなったことで、存続が問題になりましたが、四天王寺様のご配慮もあり、妻のヨシエが38代目の棟梁を引き継ぐことができ、存続を果たすことになります。当時女性が棟梁になることは珍しく、四天王寺様においても史上初で、なかなか大変なことでした。
ヨシエがこの難局を引き継いだ後、昭和9年に四天王寺様の五重塔が室戸台風で倒れました。この再建工事を四天王寺様からご用命いただき、6年かけて完成させることが出来ました。その結果、会社が立ち直ったと言います。その五重塔は昭和の国宝と言われるほど素晴らしいものでした。ヨシエは、それで名を馳せ、なにわの女棟梁として一躍有名になりました。
未来構想と現在の重点的な取り組み
―続いて、事業拡大についてお伺いしたいのですが、現在は何に取り組んでいるのでしょうか?
まず弊社が主戦場とする神社仏閣を取り巻く環境について申し上げると、信仰離れ等から明確に縮小局面にあるといえます。加えてコロナ禍後、葬儀や法要をしなくてもいいといった社会のパラダイムシフトも懸念されています。国土交通省の統計では、宗教施設の建設費用も大きく減少しています。宗教法人様の運営も厳しさを増して、資金的にも二極化傾向が鮮明になっています。
―減少傾向の中で、どのように生き抜いていくのでしょうか?
今までのような御用聞き営業で生き残ることは難しく、ワンストップ型のソリューション営業が必要です。お客様の潜在的な要望や悩みを聞き出し、それをどう解決するかが重要となります。このニーズに対して、弊社のみの対応ではなく、案件内容によっては髙松グループ各社の力を活用しながら問題解決をすることが必要不可欠となってきています。まさに総合力が求められるということです。
例えば、ある宗教法人様が市内の一等地にあるとします。しかし、信者数が減少し、メンテナンス費用もかかる運営に困っておられる場合、その土地を売却し、移転して規模を縮小したダウンサイジングを提案することがあります。そのような場合、髙松グループ会社が土地を購入します。
―つまり、不動産デベロッパー並みの提案ができるわけですね。
髙松グループの総合力を発揮することで宗教法人様へのソリューションを実現させていただきます。 また、クラウドファンディングプラットフォーム会社と提携することで、資金調達のお手伝いをしたり、大型木造建造物や文化財・古民家で伝統技術の活用を図ること、さらには宮大工の担い手育成のための塾を開設する等、さまざまな取り組みを行っています。
読者へのメッセージ
―では、最後に刀根代表から読者へのメッセージをお願いします。
私たちは、伝統的な技術を活かしながら、時代に合わせた新しい価値を提供していきたいと考えています。一緒に新しい時代を作り上げていきましょう。
―ありがとうございます。今回のインタビューで、御社が長い歴史とそれで培った技術や知識を存分に活かし、更なる進化を目指していることを知り、感銘を受けました。 ありがとうございました。今後の御社のご活躍をお祈りいたします。
こちらこそ、ありがとうございました。
プロフィール
- 氏名
- 刀根 健一(とね けんいち)
- 会社名
- 株式会社金剛組
- 役職
- 会長