第二地銀の源流は小さな無尽組織に始まり、やがて地域で力をつけ、相互銀行法の制定(1951年5月)に伴い相互銀行となった。さらに昭和から平成の転換期に進んだ相互銀行法の廃止(1992年6月)を受け、普通銀行への転換が進み、地域 “二番手”の普通銀行になっていく。これがオーソドクスなスタイルだ。

ところが、栃木県の第二地銀である栃木銀行<8550>は、その成り立ちから少し異なっていた。地域の無尽会社が徐々に力をつけていくというより、まず3の無尽が合同し、短期に地盤を固めたのである。

1942(昭和17)年12月、第二次大戦下において行われた政府の一県一行主義に基づき、宇都宮市に本拠を置いていた農商無尽、栃木市に本拠を置いていた富源無尽と足利無尽の3無尽が合併し、栃木無尽を創立した。これが栃木銀行の出発点となった。

県内企業の先駆けとして、足利銀行に次いで副業制度を導入

2023年4月現在、栃木銀行のトピックは、県内企業に先駆け、副業制度を導入したことだ。県内金融機関では足利銀行に次ぐ。

栃木銀行の副業制度はグループ内の全従業員が対象で、副業先と雇用契約を結ばない個人事業や業務受託で可能とする。具体的には、保有資格を生かした講演・執筆・講師、プログラミングスキルを生かしたアプリケーション開発、地域のスポーツクラブや学校部活動の指導員・審判員、語学力や地域情報を生かした通訳・観光ガイド、芸術分野における教室の先生や個展の開催などである。

地域金融機関発のこうした新しい取り組みが、今後どう地域企業・社会に波及し、影響していくか注目される。

M&Aを通じて成熟度を高める

地域金融機関として独自に力をつけてきた栃木無尽は、創立の10年後、1952年に相互銀行業の免許を受け、栃木相互銀行に改称した。1984年には当時の東証1部に上場(現在はプライム市場)。1989年に普通銀行に転換して以降は1990年代にかけて関連するカード会社(とちぎんカードサービス)、リーシング会社(とちぎんリーシング)などを設立した。

M&Aとしては、2001年に経営破綻した県内3信組(栃木県中央信用組合、黒磯信用組合、小川信用組合)のうち、栃木県中央信用組合の事業を2002年に譲り受けた。

特異なところでは、2017年に宇都宮証券という県内唯一の証券会社の株式を取得して子会社化し、翌2018年に社名を「とちぎんT T証券」と変更した。また、とちぎんビジネスサービスがとちぎんオフィスサービスを吸収合併するなど、小規模ながら金融機関として関連・周辺業務のM&Aを進めてきた。

栃木県内のトップ地銀は足利銀行で、二番手が栃木銀行。帝国データバンクの「メインバンク実態調査」を見ても、この順位はこの10年来変わらない。だが、2021年の調査では3年連続で栃木銀行はシェアアップを続けている。

足利銀行は栃木県下のほか、埼玉県の金融機関を傘下に収めてきた歴史を持つが、栃木銀行も県南部を中心に営業基盤を持つこともあり、埼玉県東部に店舗をはじめ31拠点と密な拠点網を持つ。

帝国データバンクの「メインバンク実態調査」では、栃木県内のシェア3位は群馬銀行(前橋市)。足利銀行は隣県茨城の常陽銀行とめぶきフィナンシャルグループ<7167>を形成したこともあり、栃木銀行としては県内とともに隣県、北関東全体を視野に入れ、地域金融機関の一角をどう担うかも重要になっている。

文・菱田秀則(ライター)