この記事は2024年5月29日に「第一生命経済研究所」で公開された「色を出せるか?「骨太の方針」」を一部編集し、転載したものです。

関税交渉の手前に決定
5月26日の経済財政諮問会議では、本年公表の「骨太の方針」について議論されたようである。「骨太の方針」と言えば、例年、内閣が政策方針を示し、それに基づいて次年度予算編成を行うための指針になる。新しく予算化される事業は、この方針の実現に向けたものとして、予算が認められることが多い。昨秋に誕生した石破政権は、この「骨太の方針」でやっと自分らしさを表現できるチャンスが与えられた格好だ。石破首相肝いりの地方創生をどう実行するのか、石破首相らしさが問われている。
今年は、特に参議院選挙が7月中旬に予定される。野党との政策論戦が、この骨太を巡っても行われるだろう。立憲民主党などは消費税減税を掲げているので、自民党はそれにどう対抗するのだろうか。立憲民主党の消費税減税は、効果の持続性、実行する財源の裏付け、財政規律の面で疑問があるので、筆者は与党が賃上げを前面に出して選挙を戦った方が賢明だと思える。これから、この「骨太の方針」をどう肉付けするかが問われる。
1点微妙なのは、この方針が閣議決定されるのが6月13日というタイミングであることだ。6月15-17日のカナダG7首脳会議での石破・トランプ会談に合わせて、政府は日米関税交渉を決着させるつもりなのだろう。13日はその直前になる。13日時点では、相互関税が24%のままか、10%になるか、それとも0%が実現できるか、という着地点を見ないままの見切り発車になる。嵐の手前で、船の安定航行に向けた処方箋を決めておかなくてはいけないという日程上の難しさがある。
まとめると、「骨太の方針」は、①石破首相らしさが初めて政策として打ち出せる、②野党と戦うときの政策の軸づくり、③トランプ関税対策、という3つの性格がある。
賃上げ継続
内閣府HP(5月26日付け)には「経済財政運営と改革の基本方針2025」骨子案が掲載されている。そこでの重点ポイントは、①賃上げの継続、②地方創世2.0、の大きく2つが目玉だったとみられる。まず、賃上げは、従来の岸田前政権までの流れを引き継ぐものだが、そのバトンをトランプ関税の脅威に耐え抜いて走り、継続しなくてはいけないところが難点だ。はっきり言えば、日米関税交渉次第で、デフレからの完全脱却を果たすための賃上げの継続可能性は変わってくる。石破首相は、毎月勤労統計(厚生労働省)に基づき、現金給与総額の伸びから、物価を除いた「実質ベースの賃金」で1%の上昇率を目標に掲げているが、それもトランプ関税次第で実現可能性が大きく左右されるだろう。
残念ながら、この方針で賃上げの継続性が保証できるかどうかはかなり曖昧だ。内閣府HPでは「中小企業・小規模事業者の賃金向上推進5か年計画の実行」という文字もある。内閣府の基礎資料では、賃上げは最低賃金の引き上げを念頭に置いている印象も受ける。本当に、最低賃金にフォーカスするだけで賃上げができるのだろうか。資料では、最低賃金を各都道府県で引き上げるために、生産性を引き上げる諸施策が記述されている。ロボット化、RPA、ソフト導入などの省力化策である。他に引き合いに出されているのは、徳島県の支援例である。最低賃金近辺の企業が、時給アップしたときに最大50万円を支援したことが紹介されている。
筆者は、賃上げについて最低賃金の引き上げだけでは不十分に思えるが、政府にはあまり有効な政策手段がないのが実情なのだろう。石破首相が昨秋の総裁選挙で、最低賃金を2020年代のうちに1,500円(現在1,055円)にすると言った。内閣府はその言葉を重視しているのだろう。あと5年間(2025~2029年)で、時給1,500円を実現するには、毎年約8%ずつ賃上げをする必要がある。これはかなりラディカルな数字に見える。筆者は、地方の中小企業からそうした強制的な最低賃金の引き上げには、多数の反対論を聞いている。本当に地方の中小企業は、それを望んでいるのかどうかが疑問である。
内閣府の分析では、最低賃金近傍の雇用者が55%以上を占めているのは、宿泊・飲食サービス、卸小売、生活関連サービス・娯楽の3業種だとする。生産性を上げる方針に関しては誠に結構であるが、ベースラインの最低賃金だけを引き上げたのではサービス価格も同時に上がって、実質賃金はそれほど改善しない理屈になる。実質賃金の上昇には、むしろスキル労働の対価拡大による平均賃金の上昇が不可欠になる。そのためには、労働と資本の補完性を高めて、技能労働の報酬を増やす方法がよい。
方針にあるような最低賃金の引き上げは、実質賃金の上昇率1%を実現するためのサポートにはなるとしても、決して最優先の政策に位置するようなものではないだろう。筆者は、そもそも地方の中小企業では値上げすら困難だとか、もっと時間をかける必要があるという意見をいただく。石破首相はその生の声にどう答えるつもりなのか。確かに、最低賃金はもっと漸進的に引き上げるべきだし、労働者の平均賃金を引き上げるには非正規雇用を正規化したり、シニア労働者の人件費を安くしようとする諸制度の撤廃、在職老齢年金制度の廃止などがより優先のように思う。そうした点は、どうだろうか。
列島改造論の遺産
政府の骨子案には、「地方創生2.0~令和の日本列島改造」という文字を発見できる。今更、公共事業の上積みで列島改造はないだろうと思うが、「列島改造」という言葉自体に石破首相の強い思い入れがあるに違いない。中身としては、観光や関係人口の拡大が挙げられている。経済財政諮問会議では、地方発の事業を支援する交付金活用も挙げられている。
経済財政諮問会議での過去の議論をみる限り、列島改造と言っても1970年代のそれとは大きく異なるように思える。それは安心できるが、逆に、地方創生の核になりそうな事業がないという弱点を感じる。そこを閣議決定の6月13日までにスタッフなどがどう肉付けできるかが課題だと思う。
おそらく、列島改造を唱えた田中角栄首相(当時)が今に生きていたならば、公共事業を中心とした政策プランは柱にはしなかったに違いない。もっと驚くような斬新な中身を用意したと思う。私たちが「もしも、田中角栄が生きていれば何をやっていたか?」と思考実験をすることは、現状打破をするために必要な発想法ではないだろうか。仮に、田中角栄の名前を出すのならば、名前負けしないような政策の大胆さが必要だろう。
もしも、筆者がそうした視点でものを考えると、訪日外国人とテレワークを挙げる。GDP統計の2025年1-3月の季節調整値では、インバウンド消費は年間ベースで9.16兆円にも達している(前年比35.1%、実額+2.38兆円増)。これらは東京、大阪、京都、北海道に集中していて、地方創生にはまだ十分とは言えない。だから、この4地域以外にも訪日外国人の往来を分散させて、巨大な地方活性化の効果を導くことが課題になる。
リモートワークも、例えば、岩手県に移住して家族と生活をしながら、Zoomなどを使って、東京や海外とやり取りして稼ぐという生活スタイルになるだろう。東北、北陸、北関東に住んでいれば、物価高は東京ほどの痛みを感じないで済む。リモートで海外からの請負仕事で稼げれば、報酬が高くなり、海外との賃金格差も埋められる。田中角栄が生きていれば、このアイデアよりももっと凄いことを想像していたに違いない。
もうちょっと物価対策
最後に、「骨太の方針」が参議院選挙で立憲民主党をはじめとする野党勢力と戦うための政策メニューだと思うと、1つだけ弱いところがある。物価対策の側面でみた政策の手薄さである。
実質賃金を1%の上昇率にするという目標は、自動的に物価対策をそこに織り込んではいる。賃金上昇率は、消費者物価上昇率よりも1%程度高くすると言っているに等しいからだ。しかし、その実現性に「?」が付くとき、物価対策としてはやや画餅になってしまう感がある。石破政権は、ガソリンや電気・ガスへの価格補助を決めている。しかし、家計が苦しんでいるのは食料品の負担増である。エンゲル係数は、世帯平均で約30%まで上がっていて、最近ではコメ価格の高騰が追い打ちをかけている。小泉進次郎農水大臣が、備蓄米を放出し、業者と随意契約をすることで、5kg2,000円を目指している。食料品高騰は、コメだけではないので、ほかの品目の高騰にも何らかの対処が求められる。
消費税減税論は、そうした物価高対策に関する野党からの1つの答えだ。財源論や財政規律の点で問題はあるとしても、与党は何らかの対案を示すことが参議院選挙の手前では必要になる。具体案に関しては、本稿で扱うには制限があるので別稿に譲るとして、石破政権は野党への対案として、そこを明確に国民に語ることが大切になると思える。