
この記事は2025年7月31日に「テレ東BIZ」で公開された「名古屋から世界へ 異色チェーンの快進撃に迫る!」を一部編集し、転載したものです。
目次
名古屋発!手羽先の名店~過去最高売り上げの理由
個性豊かな名古屋メシのひとつ、手羽先。そして手羽先といえば、国内外に80店舗以上を展開する居酒屋チェーン、「世界の山ちゃん」だ。
看板メニューは「幻の手羽先」(660円/5本)。甘辛いしょうゆダレに「コショウ」と呼ぶ秘伝のスパイスがたっぷりかかった絶品の酒のお供だ。
冷凍してある手羽先は開店前の仕込みで素揚げにする。一度揚げておくことで、外がカリッと、中はジューシーに仕上がるという。1日3,000本以上出る日もあるとか。
注文が入るともう一度揚げて、しょうゆダレとコショウで味付けするのだが、その方法は企業秘密だという。
「コショウ」についても作り方は門外不出。複数のスパイスを独自に配合しているが、社内でもごく限られた人しか製法を知らない秘伝のスパイスなのだ。
「世界の山ちゃん」は「串かつ・やきとり やまちゃん」として1981年に創業。看板のキャラクターのモデルとなっている山本重雄が一代でつくり上げた。
▼「世界の山ちゃん」は1981年に創業、山本重雄さんが一代でつくり上げた

だが2016年、突然自宅で倒れ、59歳の若さでこの世を去ってしまう。カリスマ創業者の後を継いだ女性がエスワイフード代表・山本久美(58)。結婚以来、専業主婦として重雄を支えていたが、夫が亡くなり急きょ、会社を継ぐことになったのだ。
コロナ禍で売り上げは落ちたがV字回復。約84億円と過去最高を更新し絶好調だ(2024年8月期)。
「『脱会長』ということを社員の皆さんに言って、会長はもう心の中に留めておこうと。『会長だったらどうする?』という言葉を出さないでおこうという話を会議でして、そこから皆さんちょっと意識が変わったと思います」(山本)
門外不出の手羽先が外へ~60分待ちのキッチンカーも
絶好調の理由1~店舗から「羽ばたいた」門外不出の手羽先
長野・南部の豊丘村。村にある道の駅「南信州とよおかマルシェ」は年間100万人が訪れる人気スポットになっている。
この日、その道の駅にやってきたのは、真っ赤でド派手な「世界の山ちゃん」のキッチンカーだ。販売を始めるとたちまち人が集まってくる。
▼真っ赤でド派手な「世界の山ちゃん」のキッチンカー

創業者は店舗以外で手羽先を売らなかったが、山本はそのタブーを破って店の外でも楽しめるようにした。現在は4台の車が北海道から沖縄まで全国を駆け巡り、年間400件以上もの出店依頼があるという。
そのキッチンカーが仙台市の「楽天モバイルパーク宮城」に。スタジアムの横にひと際目立つ待ち時間60分の長蛇の列ができていた。客の目当てはキッチンカー限定の「コショウ」がかかった「幻のチューリップ」(350円/2本)。片手で手軽に食べられるためアウトドアにうってつけだ。
▼キッチンカー限定の「コショウ」がかかった「幻のチューリップ」

「チューリップも手羽先に並ぶような商品にできるといいかなと」(催事・キッチンカー事業部・黒川力)
東京・練馬区の「イオンスタイル板橋」。山本は手羽先を全国のスーパーでも買えるようにした。家庭でも「世界の山ちゃん」が味わえると人気に火がつき、発売から約4年で120万袋以上を売る大ヒット商品に。今では自慢の「コショウ」を武器に関連商品を次々に打ち出している。
▼発売から約4年で120万袋以上を売る大ヒット商品に

「うちの店舗がない地区だと、『山ちゃん』を知らない人もまだまだたくさんいらっしゃる。そういう方に認知していただくことにもなりますから、ぜひやろうと」(山本)
脱居酒屋で新たな顧客を~デザート強化、高級路線の店も
絶好調の理由2~「脱居酒屋」で新たな顧客を
この日、本社の厨房で商品開発が行われていた。さまざまな新商品の候補が並ぶこの会議の名前は「打倒手羽先の会」。
「私たちは『打倒手羽先の会』を『だってば』と呼んでいるんですけど、手羽先を超える商品を作ろうとしています」(山本)
この日はホッケをアクアパッツア風にしたものや、あの「幻のコショウ」をかけた五平餅まで登場した。
「ターゲットを絞ったものも出しますが、そればかりだとメニューが狭まってきてしまう。万人が食べておいしいと思っていただけるようなものを出したい」(山本)
さらに山本が大きく変えたのがデザートだ。「世界の山ちゃん」ただ一人のパティシエ、商品開発部・田中瞳は山本が採用した。
「デザートに力を入れるようになったのは、山本代表になってからで、私もそのお手伝いができたらなと」(田中)
それまで「山ちゃん」のデザートはバニラアイスなどシンプルなものしかなかったが、山本は女性や子どももターゲットにするため、デザートメニューの強化を図ったのだ。
▼デザートメニューの強化を図った「山ちゃん」のスイーツセレクション

田中が作っていたのは秋に向けた新商品。冷やした石の器にアイスと秋の味覚のブドウをのせた「ブドウのストーンミックスアイス」。客自身が器の中で混ぜて楽しむというもの。サクサクした食感を出すためのチョコクリスピーがポイントだという。
山本の評価は「はい、合格です」。秋のメニューに採用が決定した。
「女性目線のデザートが出るようになって、きれいで見た目も楽しめるっていうような商品になっていると思います」(山本)
デザートを強化して以来、シメに頼む客が増えたという。
また、店の造りそのものも変わった。以前は座敷中心で大衆居酒屋風の内装だったが、最近オープンした店は女性や家族連れが来やすいようファミレスのような印象にしている。
「カジュアルにしてザ・赤提灯から変えていこうとしているので、土日もすごく売り上げが良くなった。確実にファミリーがいらっしゃるようになって増えたと思います」(山本)
さらに新しいコンセプトの店も。東京・有楽町の「山」。ワンランク上の「世界の山ちゃん」だという。
「ぱっと見、『山ちゃん』とは全然違うんですけど、料理とか接客もこだわり、ワンランク上だと思ってもらえるようなお店づくりをしています」(総料理長・鈴木敏正)
通常の「世界の山ちゃん」では提供していないこだわり抜いた食材を使った料理が楽しめる高級路線の店。落ち着いた雰囲気の個室もあって商談に使うこともできる。
一番のこだわりは、客に見えるところで炭を使って魚を焼く「原始焼き」。「原始焼き(のどぐろ)」(3,960円。時期や魚種によって価格は異なる)など、その日仕入れた魚を30分かけてじっくり焼き上げる。
▼その日仕入れた魚を30分かけてじっくり焼き上げる「原始焼き」

昔ながらの「居酒屋山ちゃん」からさまざまなニーズに応える「みんなの山ちゃん」へ。この戦略が絶好調の秘密なのだ。
チームで培ったリーダーシップ~ボトムアップ型に組織改革
山本は1967年、静岡生まれ。活発な女の子で、子どもの頃からバスケットボールに熱中した。小学校から大学までバスケに明け暮れ、中学時代にはキャプテンとして全国優勝したこともある。
大学卒業後は小学校の教員に。ミニバスケの監督として男子を指導しチームを3度の全国優勝に導くなど、指導者としても優秀だった。
重雄とは友人の紹介で知り合い、結婚を機に教員を辞め専業主婦に。3人の子どもにも恵まれた。
「(重雄は)子どもはすごく好きでかわいがっていました。運動会も仕事の途中、1人スーツで来て、革靴で走っていた」(山本)
経営で忙しいながらも子煩悩な父親だったという。だが、2016年のことだった。
「自宅で倒れていました。私は体育会系なので心臓マッサージをやって。救急車を子供に呼ばせて。息を吹き返すだろうなと思っていましたが、私たちが思っていたのとは違う結果になってしまった」(山本)
突然自宅で倒れ、その日のうちにこの世を去ってしまう。
「『久美さんしかいないから社長をやってください』と。主人が亡くなったということ自体を私は受け入れられていない状態だったんです。『子供とか家庭の方が大事だからできないです』とはっきりその時は言いました」(山本)
会社を継ぐよう何度も打診があったが、断り続けたという。そんな山本が代表になる後押しをしたのが「てばさ記」だ。
「店舗に貼るかわら版通信の『てばさ記』というのを書いています。学校の先生だったので、学年便りとか学級新聞にすごく似ていた」(山本)
夫に勧められて書くようになった「てばさ記」。結婚直後から25年以上続いていて、今も毎月、山本が1人で作り続けている。
▼山本さんが代表になる後押しをしたのが「てばさ記」だ

中でも特別な思いで書いたのが、夫が亡くなった直後の「てばさ記」だ。「山ちゃん天国へ! ありがとう山ちゃん……」と、夫と会社を思いながら書いていると、継ぐことが自分の運命だと感じ、代表になることを決断する。
とはいえ、専業主婦がいきなりトップなることには当然、社内に危惧する声もあった。
「一主婦でしたから、経営ができるのか。社内外問わずいろいろと(不安を)言われているという話も聞きました。全てが会長頼りだったこともあって、今後どうしていけばいいかというのはみんなが感じていた」(執行役員・水野司)
不安を抱えながら代表になった山本に、経営者として覚悟が決まる出来事があった。
代表となって1カ月後、夫の友人の経営者が山本を訪ねてきた。最初は思い出話だったが、次第にビジネスの話に移ると、その経営者は「飲食店は生ものだから3カ月で腐る。あなたに経営は無理だ」と言った。
「素人に会社経営はできない」と面と向かって言われ、涙を流したという。
「悔しかったというのもありますが、それよりも自分の覚悟が甘かったなと。涙を流しながらも、そう言われたから発奮して『悔しいから頑張らなきゃいけない』と」(山本)
これで腹が座った山本は、カリスマだった夫とは違った会社経営を行っていく。それまでのトップダウン型から、社員の自主性に重きを置くボトムアップ型に転換した。
▼「私は会社もお店もチームみたいに捉えているんです。」と語る山本さん

「私は会社もお店もチームみたいに捉えているんです。まとめるとか、やる気にさせるみたいなことは、部活の延長みたいな感覚があって、みんなが楽しくて喜んでやれれば一番うまくまとまるんじゃないかなと」(山本)
その成果の1つが各店舗独自のオリジナルメニューの誕生だ。ファミリー客が多い浅草橋店では「お子様プレート」(550円)を独自に提供している。
いま「世界の山ちゃん」が目指すのは「究極の個人店」。チェーン店ながら個性ある店づくりを進めている。
会社を1つのチームと捉え、社員のチャレンジ精神を育てていく山本の経営術。国内外で出店を加速するなど、快進撃を続けている。
講演会は年間60回以上~経営手腕に集まる参加者たち

カリスマ経営者の後を継ぎ、専業主婦から「世界の山ちゃん」のトップとなった山本。異例の経歴からヒントを得ようと、講演の依頼が引っ切りなしに舞い込む。
神奈川・小田原市。この日は静岡銀行が主催する講演会に登壇した。他の経営者を前に山本が話すテーマは、身をもって体験した「事業承継」についてだった。
「『会長の時はこうだったのに』と言われることは多々あります。カリスマ経営者と肩を並べよう超えようというのはだいたい無理な話。私は私のやり方でいいと思いました」
こうした講演を年間60回以上行っている。
出席した経営者の1人は「すばらしい経営手腕。会社組織を基本的な部分は残しながら、今の時流に合わせて見直していく力を感じました」と語っていた。
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~

小柄な人だった。小学校から大学までバスケットボール部だったと資料にあったのだが、ポジションはポイントガードだった。チームの司令塔だ。そんな人が、夫の急逝後、会社を継ぐ。
「わたしは経営も飲食もわからない。みなさん、協力してください。年を取った新入社員だと思って一から教えてください。みんなでいっしょに会社を育てていきましょう」夫の死後、2週間後に社員に言った。後継者たる人の言葉として、それ以上のものはない。「幻の手羽先」を店舗以外で売った。店のためにできることは全部やったのだ。