株式会社バルニバービ

「一杯のカフェ」から始まり、今や全国に105店舗のレストランやホテルを展開するバルニバービ。「バッドロケーション戦略」という独自の出店手法で街の景色を変え、近年では淡路島や出雲市などで「住みたくなる街づくり」をテーマに地方創再生にも取り組んでいる。

その唯一無二の経営哲学は、どのようにして生まれたのか。創業から現在にいたるまでの軌跡、幾多の困難を乗り越えてきた原動力、そして未来への展望を、創業者である佐藤裕久会長に聞いた。

佐藤裕久(さとう ひろひさ)──代表取締役会長
1961年、京都府生まれ。神戸市外国語大学英米語学科中退、1991年バルニバービ設立、代表取締役に就任。著書に『一杯のカフェの力を信じますか?』(河出書房新社)『日本一カフェで街を変える男』(グラフ社)がある。2024年「外食アワード 外食事業者部門」を受賞。
株式会社バルニバービ
1991年設立。現在、東京・大阪をはじめ全国に105店舗(2026年1月末時点)のレストラン・カフェ・ホテルを展開。レストラン事業における「バッドロケーション戦略」での出店で培ったノウハウを元に、食による地方創再生を軸とした総合的なエリア開発を行う。近年は淡路島をはじめ島根県出雲市などでも「住みたくなる街づくり」をテーマに、食と宿を切り口に地方創再生に取り組んでいる。
企業サイト:https://www.balnibarbi.com

目次

  1. 事業で何十億を目指そうとか、そんなことは一切考えていなかった
  2. 会社に「外科手術」を施し、一人で東京へ乗り込んだ
  3. 皿回しは10枚が限界。だから「自分ごと」として経営する仲間を育てた
  4. 個人商店でなくなるために上場した
  5. 「まさか」は100%起こる。それを想定しておくのが経営者

事業で何十億を目指そうとか、そんなことは一切考えていなかった

── 事業を始められた当初の思いについて教えてください。

佐藤氏(以下、敬称略) 阪神・淡路大震災での炊き出しなどを通して、食べ物がこれだけ人の心を勇気づけ、元気づけられるものなのだと知りました。そして、人に喜んでもらえたら、喜んでいる自分に気づきました。

だから事業で何十億、何百億を目指そうとか、そんなことは一切考えずに、自分の魂を喜ばせるために始めたのが、まずスタート地点ですね。

── 「自分の魂を喜ばせる」というのが原点なのですね。

佐藤 命あるならば、懸命に、自分の魂を喜ばせて生きることだな、ということに着地できたのです。それはずっと変わらずにいました。

人を喜ばせることを喜べるならば、結果として世の中に役立つことをやろうと思っているわけですよね。でも、自分の心が幸せじゃないのに、そんなことはできません。

── 創業からしばらくは順調だったのでしょうか。

佐藤 創業から5年くらい、あまりにとんとん拍子で来たものですから、気のゆるみか、おごりか、慢心かは分かりませんが、「俺たちはできる」と多分思ったのでしょうね。
そこに至るまでは苦労や心配、トラブルを乗り越えてきたにもかかわらず、「喉元すぎれば」で、「楽勝だぜ」くらいに思っていたのかもしれません。

── その慢心が、何か具体的な行動につながったのですか。

佐藤 そのとき、何も目標じゃなかったのにIPO(株式上場)とかを口に出したのです。1号店をオープンして5年目くらいでした。

実際にベンチャーキャピタルからお金を集めたり、主幹事証券会社が決まったりしていく中で、IPOとはどういうことをやらねばならないかを知ると、自分が目指したこととはまったく違うことをやらないといけないことに気づくわけです。

── どのような点が「違う」と感じたのですか。

佐藤 誰でもできるシステムを作らないといけないとか、効率性を求めないといけないとか、均一化させないといけないとか。別にそんなこと、思ったことも願ったこともないのに、「これはいかん」と思って、一度振り出しに戻りました。

創業からの思いと、そこから5年くらいとんとん拍子で来た流れの中での壁、という感じでしたね。

── IPOを目指すのをやめたとき、すんなりと方向転換できたのですか。

佐藤 「これはダメだ」と気づくのに、やろうと言い出してからわずか半年くらいでした。でも、そのときにはもうIPOに向けて出店が決まっているのです。ブレーキをかけたけれども、追いつかないくらいのスピードで動いていた。

売り上げが良い悪いという問題ではなく、自分たちがやりたいと思っているわけではない店もやっているわけです。出店のため、IPOのため、売り上げを作るために。そんなことをやりたかったわけじゃない。

結局、お金や規模を追いかけたときに出した店は、ほとんど僕が嫌になって閉めました。その整理をするのに3、4年かかりましたね。2001年から2004年くらいまでの間です。

会社に「外科手術」を施し、一人で東京へ乗り込んだ

── その3、4年間は、事業の整理に集中していたのですか。

佐藤 その期間は「外科手術」と呼んでいます。切り取るものを切り取り、移植するものは移植し、新たに加えるものは加えるという作業です。

2004年にある程度、外科手術が終わったので、一旦出店などは止めました。手術が終わったばかりの会社は、療養が大事じゃないですか。関西の事業は療養させていたのです。

── ご自身はその間、何に注力していたのですか。

佐藤 僕自身はとっくに傷から脱却していたので、やることがない。次に何かやろうと思い、2004年に一人で東京へ単身乗り込んだのです。ひたすら東京に通うようになりました。

そして2005年の4月に東京の1号店がオープンします。それはまたゼロから、東京でメンバーを集めてやりました。

── 関西の事業を維持しながら、東京で新たに挑戦したと。

佐藤 そうです。関西の17、8店舗、売り上げ20億円程度の数字はずっと維持しながら。療養生活ですから。そして東京で出した1号店がまた、うまくいって大ブレークするわけです。

でも、また同じことを続けると、2001年の二の舞になる。そこで考えたのが、経営のやり方そのものを変えることでした。

皿回しは10枚が限界。だから「自分ごと」として経営する仲間を育てた

── 経営のやり方を、どのように変えたのですか?

佐藤 オリジナルの店舗を作り、それをマネジメントすることを、僕らは「皿回し」と言っています。

10枚の皿を回し終えたころには、1枚目の皿がぐらついてくる。能力があれば11枚、12枚と増やせるかもしれないけれど、どう考えても1000枚にはならない。

そのことを2001年に体験していたので、やり方を変えなければいけないと。

── 「皿回し」ではないやり方とは、どういうものでしょうか。

佐藤 お店を「自分ごと」としてやっていけるやつを育てた方がいい、と考えたのです。「自分ごとのように」ではなく、「自分ごととして」です。

自分ごとにするためには、結局、最終的に経営するしかありません。なので、経営者をたくさん生むという手法に切り替えていきました。

── 社内で経営者を育てる、ということですか。

佐藤 そうです。そのことに気づける人がいる限りは、我々の事業は拡大していく。自分ごととしてできる仲間が全国から集まってきたり、社内で成長していったりする。そういう形で進めてきました。

── とはいえ、マニュアルなしで、個々の裁量に任せて経営者を育てるのは、たいへん難易度が高いのではないでしょうか。

佐藤 そのために、みんなは「ええ?」って思うでしょうけど、めちゃくちゃ我慢もしているんですよ。

── 我慢ですか。

佐藤 「僕ならこうしないな」と思うことが、各店舗を回るといっぱいあっても、彼らはこうするんだと(認める)。トータルで見たら、僕ならこうしないけど、彼らがやるこの手法でいくと、彼らの店は良いな、と気づくのです。

僕がいないのに、僕がやるようにやれ、というのは趣旨が崩れますよね。だから、口出しは極力しません。現場は「クチ出さんといてくださいよ」と思っているでしょうね。

── 現場には何を伝えているのですか。

佐藤 僕が運営スタッフやマネジメントサイドに言うとしたら、「客の目線」としての意見を100%言います。上司としての言い分は言いません。

それを20年近く続けてきているので、本当の意味で理解したメンバーは、自分ごととしてやりますよね。自分で給料も決めていいんだということに気づき、体験を通して学ぶ。自分の給料を上げたら経営がうまくいかなかったとか、仲間の給料を上げた方がいいなとか、それも学びじゃないですか。

僕らがいくら口で言っても、体験しないと分からない。自分がそうでしたから。

── システム化やマニュアル化をしたい、という誘惑はなかったのでしょうか?

佐藤 誘惑は何度も感じましたよ。でも、ラッキーだったのは、2001年に皿回しで行き詰まった経験です。15、6店舗を一人で見て回ると、1店舗あたり2週間に1回くらいしか行けない。そうすると、店は元に戻るどころか、さらに悪くなる。

「ああ、これじゃ終わるな」と学んだのです。そのとき、深い諦めがありました。人には人の流儀がある。人に言われたことを、命令とはいえ本気でできるわけがない。そういうものだと。

個人商店でなくなるために上場した

── 一度は断念した上場ですが、その後、再び目指すことになります。そこにはどんな考えがあったのですか。

佐藤 事業の継承や継続を考えたときですね。僕には子供がいないので、相続させる相手もいません。僕がやってきたことは、かなり難しいことなので、それならここで上場して、社会としての規範やルール、組織の継続性について学ぶべきだろうな、と。

「個人商店」から「会社」にするため、という感じです。僕自身のことを考えれば、上場などしない方がいいわけですよ。好き勝手できますから。でも、未来を見据えたら、自分がこの先何十年もやれるとは思わないので、真の意味での会社にしようと。

── 地方創生など、事業的な側面でのメリットを考えてのことではなかったのですか。

佐藤 まったくそんなことは思わなかったですね。結果として、そういう恩恵を受けているのかもしれませんが、分かりません。

── バルニバービといえば「バッドロケーション戦略」が有名です。この戦略はどのようにして生まれたのですか。

佐藤 戦略というより、結果的にそうなったというほうが近いです。

世間が言う「グッドロケーション」は、需要が多くて、人が良いと思っている場所。だから価格が高いですよね。一方で、世間が良くないと思っているけれども、僕たちから見たら良い場所であれば、良くない価値、つまり安い価格で手に入ります。

僕たちにとって価値があるのなら、そこでやりましょう、というだけのことです。1号店からずっとそうですね。

── ただ、自分たちでお店を出して街が盛り上がると、家賃が上がって、ついには「出て行け」と言われる理不尽さも経験したそうですね。

佐藤 そうです。自分たちが価値を上げてあげたのに、家賃を上げられたり、時に出て行けと言われる。資本主義としては当然のことだと理解したうえで、それでも、そんな金しか見ていないやつらに負けるわけにはいかない、と。

そこから、自分たちで物件や土地を所有すれば、事業の継続性は担保される、という考えに至ったのです。

── それが不動産事業につながるのですね。

佐藤 はい。ただし、飲食事業の収益性の悪さを不動産事業で稼ごう、と思っているのではまったくありません。僕たちが一番やりたいことは、人を幸せにする飲食店をやること。その継続性を担保するための不動産事業です。

結果として、僕たちが価値を高めた土地は、買ったときの何倍かで売れることもあります。その価値を高めたのは僕たちなのだから、その利益を僕たちが享受するのは当たり前だという話です。

「まさか」は100%起こる。それを想定しておくのが経営者

── 創業以来、最大の壁は2001年の経験だったとのことですが、コロナ禍など、他に事業が行き詰まったことはありますか。

佐藤 コロナのときを含めて、ないですね。債務超過になったことも一度もありません。

よく「上り坂、下り坂、まさか」と言いますが、「まさか」はまさかではなく、100%起こるのです。コロナ禍で「自分たちのせいじゃない」「国が何とかしろ」と言う人がいましたが、僕はまったくそう思いませんでした。

経営者なら、それくらいのことは想定しておきなさい、と。どんなことが起こるかは分からないけれど、「まさか」が起こることを理解しながらやっていくのが経営者だと思っています。

── その考えは、過去の経験から生まれたものですか。

佐藤 今の会社は、僕にとって二度目の起業なんです。1985年、24歳のときにつくった会社では、まさかが起こり、どうしようもなくなりました。そのときに、予想もつかないことが起こるのだということを一度体験できていたことが、僕にとっては良かったのだと思います。

── 最後に、次の10年に向けてのビジョンを教えてください。

佐藤 いや、何も考えていないです。

── 何も、ですか?

佐藤 なぜかというと、次の10年をつくっていくのは、この過去10年でつくってきたことと同じだからです。僕たちは数字を目標にしたことはありません。

上場企業なので、短期・中期・長期の経営計画は当然出しますが、それはあくまで実務の話です。我々のビジョンとして、店舗数を増やし、売り上げを上げることが目標になることはないのです。

── バルニバービが目指すものは何でしょうか。

佐藤 それぞれが自分の力を発揮して、なりたい自分を目指して、個性を発揮して「自分の人生は良かった」「食べ物屋をやってよかった」と思ってくれる仲間が一人でも増えること。その結果として、事業の拡大や売り上げの拡大につながるのだろうと思っています。

本質は、売り上げの数字ではなく、そういう志を持つメンバーのことを指しています。過去10年やってきたことと、これから10年やることは、まったく一緒です。

より多くの仲間が増えれば、より多くの店ができて、その店は基本的に自分が行きたい店になる。日本中に行きたい店が増えていいな、という感じじゃないですか。

── これまでやってきたことの延長線上に未来がある、と。

佐藤 継承からの「熟成」、そして、ひょっとしたら「発酵」があるかもしれない。発酵というのは足し算だけではなく、掛け算や累算だったりしますから。これから発酵、熟成する可能性もあるな、と。楽しみだなと思っています。

氏名
佐藤裕久(さとう ひろひさ)
社名
株式会社バルニバービ
役職
代表取締役会長

関連記事