NCホールディングス株式会社

NCホールディングス株式会社の梶原浩規社長は、2018年の社長就任以来、赤字続きだった同社をV字回復へと導いた。立体駐車場事業の収益構造を改善し、さらに第三の柱として開発したフリーラインコンベヤ事業が人手不足の市場にマッチした。

一方、経営面でかつての親会社との対立も生じ、その後は海外ファンドの介入にも直面している。こうした状況に対し、梶原氏は従業員組合と協力しつつ、プロキシファイトや非公開化という手段で乗り越えた。

梶原氏が、経営戦略、組織文化の変革、そして資本政策における決断の背景を語る。

梶原浩規 (かじわら ひろのり)──代表取締役社長
1962年、新潟県長岡市生まれ。1986年、立教大学社会学部卒業後、同年三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。法人新規開拓、審査部、債権回収責任者を歴任。退行後、ソニー生命を経て、企業金融とリストラクチャリングに関する経験を生かし、事業再生コンサルを設立。その後、「ほけんの窓口グループ」100%子会社の訪問型代理店、株式会社ライフプラザパートナーズに入社し、新規事業を立て直す。2017年、NCホールディングス取締役に就任。2018年より代表取締役社長。
NCホールディングス株式会社
1949年、中核会社の日本コンベヤ株式会社(設立時の社名は日本コンベヤー製作所)設立。持株会社の設立は、2016年。搬送システム・立体駐車場・再生エネルギーの分野においてアジア圏を中心とした世界約30ヵ国で事業を展開。企業理念は、「高潔な志を持ち、人の見えない場所でひたすら誠実に汗をかき続けることで、世の中の安全と社員の幸福を永久に追求し続ける」。
企業サイト:https://nc-hd.jp/

目次

  1. 取締役として改革、社員の自信回復で業績改善
  2. 業績回復のもう一つの立役者、フリーラインコンベヤとは
  3. 事業部名称変更の背景にあった葛藤と決断
  4. 社員が誇りを持つための社長の動き
  5. かつての親会社とのプロキシファイト、そして株式非公開化

取締役として改革、社員の自信回復で業績改善

── 社長に着任してから、どのような動きがあったのでしょうか?

梶原氏(以下、敬称略) 私がこの会社の社長に着任したのは2018年6月ですが、その前年の2017年から取締役として改革に着手していました。その前の10年間は、ほとんど赤字が続いていた状況です。当時株主だった会長から「2018年から経営全体を見てほしい」といわれ、取締役の段階から内部調査とバランスシートの精査を開始しました。

その結果、必要だと判断したのが大阪にあった本社を移転させることの必要性です。複数の拠点に分散しており人が集まりにくいため、ワンフロアに集約しワークフローを最適化しようと、大阪の都心部に移転を決定しました。この移転に伴い、約12億円の特別損失が発生しましたが、これが改革の第一歩です。

── その後、具体的にどのような改革を進めたのでしょうか?

梶原 最初に着手したのは、立体駐車装置事業のアフターフォロー部門強化です。全国に約1200基の立体駐車装置があり、メンテナンスや大規模修繕を提案すれば利益を出せる可能性が高かったのです。

しかし当時、高島屋さんや森ビルさんといった大口顧客への依存度が高く、その他の顧客には十分な提案ができていませんでした。そこで、装置のコンディションや顧客の財務状況を徹底的に調査し、優先順位をつけてアフターフォローの提案を進めました。

こうして、立体駐車装置事業の収益体質を大きく改善したのです。

コンベヤ部門は、大型案件が多く1件で売り上げが数十億円規模になることもあります。しかし、売り上げのボラティリティが高すぎることが課題でした。

さらに停滞感を起因としたミスも発生しており、業績の足を引っ張る結果に。これらのミスをなくし、利益が出る状態へ戻すことに注力しました。

改革の結果、私が着任して3期目には過去最高益を更新。赤字が続くと精神的な影響も大きいですが、この時期に会社の誇りを取り戻すことができました。

── わずか3年で最高益とは、素晴らしいですね。

梶原 私の経営方針は、利益の目標を具体的に示さないことです。数字は私が預かるので、現場には「やるべきことをコツコツと誠実にやれ」と伝えています。「できないことは責めないが、やるべきことをやらないことは許さない」という姿勢で、現場の社員が自信を持って業務に取り組めるようにしました。

結果として、各部門に自信がつき、黒字化することでさらなる勢いが生まれたのです。

業績回復のもう一つの立役者、フリーラインコンベヤとは

── 事業の詳細を教えてください。

梶原 当社の歴史は78年以上になります。主力のコンベヤは、基本的に平面かつ直線で動かすのが最も安定しますが、実際には斜面やカーブが必要な場面が多くあります。

こうした中で当社は、重量物を下から上に運ぶコンベヤや、逆に上から下に下ろすコンベヤ、さらにはカーブコンベヤも製造可能です。特にカーブコンベヤは他社にはない技術であり、製鉄所や火力発電所のレイアウトに合わせたコンベヤを設計・製造する技術力があります。また、垂直に荷を上げられるスネークコンベヤも製造しています。

これらの技術は78年の歴史の中で、製鉄所や火力発電所、工事現場など、さまざまな場所で培われてきました大規模インフラ建設現場にも当社のコンベヤが活躍しています。

さらに、一日でも止まると数億円の損失が出るような顧客に対しても、50年以上、止まらない安定稼働を実現しつつ、装置を提供しています。鳥形山(高知県)の石灰石採掘所では、約13キロメートルのコンベヤが50年間稼働し続け、私が着任した際に初めて設備更新が行われたほどです。

しかし、日本の重厚長大産業や火力発電所からの需要は、時代の変化とともに減少しています。製鉄所は成熟期を迎え、火力発電所もCO2削減の観点から高性能なものが求められるようになり、新規建設が減っています。

── そうした中、フリーラインコンベヤが受注高210億円を記録し、社内で重要なポジションとなっていると聞いています。

梶原 はい。立体駐車場とコンベヤ事業を合わせると、毎期100億から110億円の受注があるのですが、特に2026年決算の前期は新製品であるフリーラインコンベヤの躍進により、受注額が270億円に達しました。このフリーラインコンベヤが、今後の当社の業績を牽引するプロダクトと考えています。

フリーラインコンベヤの着想のきっかけは、東日本大震災でした。汚染土壌をトラックで運搬する際に被爆のリスクがあるため、コンベヤでの搬送ができないかと考えたのです。実際に汚染土の搬送を試みた経験が、一つのヒントとなりました。

また、トンネル工事で使うコンベヤについても、掘削が進むにつれてコンベヤも自動で伸長する技術(モールストレッチコンベヤ)に取り組んだ経験があります。もともとは日立造船(現カナデビア)で培われた技術でしたが、競合他社の存在があったため、これ自体は成功に至りませんでした。

しかし、以上の経験もあり、フリーラインコンベヤはトラック輸送に代わる手段としてCO2削減と人手不足解消に貢献できると考えたのです。トラック輸送では、特に山間部でのジグザグ走行でCO2排出量が多くなりますが、コンベヤであれば直線的に運搬でき、CO2排出を大幅に削減できます。また、ドライバー不足が深刻化する中で、人手に頼らない搬送手段として期待されました。

現在、フリーラインコンベヤは、ダムのしゅんせつ工事や資材運搬、河川改良工事など、さまざまな現場で採用されています。

特にダム工事では、トラック輸送だと迂回が必要な場所でもほぼ直線で運搬できるため、時間短縮、CO2削減、人件費削減といったメリットをすべて満たせます。これにより、ダム案件が5つほど進行中です。

事業部名称変更の背景にあった葛藤と決断

── フリーラインコンベヤの成功は、組織文化の変革とも深く結びついているように感じます。

梶原 おっしゃる通りです。78年の歴史を持つ当社には、大型コンベヤで日本の製鉄所や重工業を支えてきたという強い自負とプライドがあります。

しかし、50年以上稼働するものを製造するという誇りを持つ中で、最長5年で撤去するフリーラインコンベヤの開発には、当初、現場から反発がありました。「そんな仮設のものをわれわれがつくるのか」という声や、設計思想の違いからコストが合わないといった課題も出ました。

新しい事業に挑戦するためには、社員のマインドを変える必要があり、それに最も苦労しました。商品や技術は78年の歴史の中で培われてきましたが、それを仮設のコンベヤという新しい形に適用することへの抵抗は大きかったのです。しかし、経営者としては生き残るために新しい挑戦が不可欠でした。

この理解を得るのに約2年かかりました。

転機となったのは、エンジニアリング本部長と営業部長が自ら「看板を下ろします」と申し出てくれたことです。どういうことかというと、彼らは従来の「コンベヤ事業部」という名称を廃止し、新規事業である「搬送システム事業部」に名称を統一することを提案したのです。

これは、彼らが自分たちの事業の将来を真剣に考え、変化を受け入れてくれた証だと思います。私にとって非常に感動的な決断であり、そこからフリーラインコンベヤを中心とした事業の快進撃が始まりました。

── 現場からも、今後の市場の動きに理解が得られたということですね。

梶原 将来への理解とともに、当社のメンバーが「泥臭さ」を持っていてくれたことも、前進につながりました。困難な状況でも皆で協力してやり遂げる力、そして「俺がやるんだ」という当事者意識を社員が持っていたということです。これは、大企業に勝つための鍵でもあります。

フリーラインコンベヤの成功は、まさにこの「泥臭い現場力」と「当事者意識」が結実したものです。社員一人ひとりが「俺がやるんだ」という気持ちで取り組んだ結果、困難な状況を乗り越え、会社を一つにまとめることができました。

また、企業理念の再構築も行いました。「高潔な志を持って、人の見えない場所でひたすら誠実に汗をかき続けることで、世の中の安全と社員の幸福を永久に追求し続ける」という理念は、社員全員でつくり上げたものです。地味で目立たない仕事であっても、社会のインフラを支えているという誇りを持ってほしいというメッセージを込めています。

社員が誇りを持つための社長の動き

── 社長のご経験から、組織文化の変革において最も重視していることは何でしょうか?

梶原 重視しているのは、社員一人ひとりに「一つずつハードルを越える体験」をさせることです。それによって自信をつけさせることが、何よりも大切です。

フリーラインコンベヤが成功したように、もともとこの会社にはマグマのような力がありました。しかし、それを引き出し認めてくれる存在がいなかっただけなのです。そこで、社員たちの誇りを取り戻し、一つひとつの成功を丁寧に褒めることを心がけています。

数字が上がれば、社員の士気も上がり、失敗も減ります。事業会社としての日本コンベヤは、私が着任してから小さなミスはほとんどなくなりました。

一度だけ8000万円のミスがありましたが、エンジニアのトップがすぐに駆けつけてくれて、「やってしまった」と報告してくれました。その際、私は決して責めず、「次は二度と起こさないように」と伝え、前向きに対応しています。

── そのように組織面で淀みがなく、事業も円滑に進む背景には、何があるのでしょうか?

梶原 私は常に「われわれは78年の歴史を持つ日本コンベヤなんだ」ということを言い続けており、社員もその自覚があるからだと思います。社歴の長い社員たちも、こうした環境を喜んでくれています。彼らは、私が会社の精神的な部分を変えなかったことを嬉しく思ってくれたようです。

企業理念も、研修を通じて社員全員でつくり直しました。これにより、社員は自分ごととして理念をとらえ、日々の業務に取り組んでいます。当社の仕事は地味で一般の方の目に触れる機会は少ないですが、社会のインフラを支えているという誇りを持ってほしいと常々、伝えています。

かつての親会社とのプロキシファイト、そして株式非公開化

── 2016年の持株会社化、そして非公開化という資本政策の変遷について、教えてください。

梶原 私が着任する前、当時の株主が33.3%の当社株式を保有し、実質的に支配していました。しかし、経営がうまくいっておらず、私が取締役として呼ばれたのです。私が会社の立て直しに尽力したのは、前会長との「男の約束」があったからです。

しかし、会長が亡くなり息子の代になると、私を下ろそうとする動きが起こりました。圧力から、一度は辞任も考えました。当時の株主から株主提案による役員選任(梶原氏に対しては解任の動議)の動きがあり、プロキシファイト(委任状争奪戦)に発展。私は、株主や従業員組合の協力を得て、この戦いを制しました。

従業員組合とは、私が仲介役となって関係改善した過去があったため、彼らは私の味方になってくれたのです。

この一連の出来事を通じて、社員の結束力は強まりました。「親会社の植民地にはさせない」という思いで、皆が一丸となって戦いました。このときの経験が、会社を一つにまとめる大きなきっかけになったと思います。

TCSとの争いを経て、会社は安定軌道に乗りましたが、次は英国と米国のファンドが介入してきました。ファンドは短期的な利益を求める傾向がありますが、当社の事業は日本のインフラを長期的に支えるものです。よって、経営も長期的な視野が必要です。そこで、非公開化し、株主構成を整理する必要があると判断しました。

それが、非公開化に踏み切り、実現した経緯です。非公開化は厳しい決断でしたが、実現できたのは、社員の未来を守り長期的な視点で会社を成長させるために、最善の道だったと信じています。

氏名
梶原浩規 (かじわら ひろのり)
社名
NCホールディングス株式会社
役職
代表取締役社長

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