(写真=PIXTA)
研究員の眼
企業、学校、町内会等々、人々は生活していく上で、様々な組織や会合のメンバーとなって、会議や打ち合わせに参加する。会議では、あるテーマについて、議論や討論を重ねていく。どうしても意見がまとまらない場合には、多数決で、そのテーマの取扱方針を決定することもある。
ここで、問題になるのが、集団思考(Groupthink)という状態である。これは、社会心理学の専門用語で、1972年にアメリカのイェール大学のアーヴィング・ジャニス教授によって提唱された。
ある集団が合議で意思決定を行うものとする。その際、その集団が過剰に強固な結束を持つと、メンバーに、画一性を保つよう圧力をかけたり、集団内の閉鎖的な思考を強いたり、集団自体を過大評価する妄想を起こさせたりする。このため、結束がマイナスに作用して、メンバーが個々に行う場合よりも、不合理な意思決定を行ってしまう。
集団思考は、例えば、次のように発生する。会議のメンバーの1人が、ある議案について自分なりの意見を持っていたとする。それを会議の場で素直に表明すればいいのだが、いつも、そう簡単にいくとは限らない。例えば、既に発言した他の人の意見が、いずれも自分の意見とは真逆で、それらの発言に対して、会議の他のメンバーが賛同していたとしたらどうだろう。
その場合、この人は、こんな風に考えてしまう。「ここで自分の意見を言うと、場を乱すことになりはしないだろうか。意見を言うことで、自分に対する周囲の評価を下げてしまうことになりはしないか。皆から、爪弾きにされたりはしないだろうか。」
そして、自分に対する言い訳も思いつく。「別にここで自分の意見を表明しなくても、特に困ることはない。皆が考えている意見の方が、きっと自分ひとりが考えているものよりも正しいに違いない。今後のこともあるし、ここは『和を尊ぶ』という選択も重要だ。」
こうして、ついに、この人は、発言をしないという選択に行き着く。そして、自分の意見とは真逆の意見を、無言で是認してしまうことになる。
集団思考は、大きな弊害をもたらす。よくありがちなのは、発言をしなかった人が、実は皆、心の中では、決定された内容と逆の意見を持っていたというケースだ。
せっかく会議で議論をしているのに、各人の意見が情報として共有されないばかりか、声の大きい人や、押しの強い一部の人の意見が通ってしまい、集団の意思決定が本来あるべきものとは異なってしまうこととなる。
こうした集団思考は、国家の軍事戦略や、企業の経営戦略など、重要な意思決定を行う会議でも、これまでに頻繁に発生してきたとされている。社会心理学の分野では、集団の意思決定の失敗事例として、多くの研究が行われている。
集団思考の反対に、群知能(ぐんちのう, Swarm Intelligence) がある。これは、虫や魚や鳥などの群れにおいて、各個体が独立して活動しつつも、群れ全体として統制のとれた行動をする様子を指す。
例えば、夕空に雁がV字型の隊列で飛んでいく姿や、海中でイワシの群れが整然と回遊する姿は、群知能がうまく働いている状態である。群知能がうまく機能するためには、集団内の単純な法則に従って、各メンバーが自立して行動することが鍵となる。そこから、集団として統制のとれた複雑な行動が生まれる。現在、群知能は人工知能の技術開発などの分野で、研究が進められている。
集団思考と群知能の違いは、集団の結束の強弱の有無にあるとされる。先ほどの会議を、例にとってみよう。集団思考では、集団内の結束が過剰に強固で、画一性への圧力や、閉鎖的思考の強制、集団の過大評価妄想があるために、メンバー間の相互作用が影響して、自分の意見を表明できない。
このような集団思考のもとでの議決は、全会一致となることが多い。これに対して、群知能では、集団内の結束が適度で、各個体が独立して自由に議案を検討することで、他のメンバーの意見や態度にかかわらず、率直に自分の意見を表明できる。群知能においては、各メンバーの意見を検討した上で、整然と議決が行われる。
集団思考は、どのような集団にも起こり得る。集団思考に陥りそうなときには一旦議論を中断して、各メンバーが集団から抜け出し、暫く自立して考える機会を設けることが望ましい。各メンバーが考察の末に自らの意見を持ち、その上で、それを共有すべく集団に戻って議論を再開するべきであろう。
我々は、集団で物事を行うときに、とかく結束を強めることを重視しやすい。特に日本では、聖徳太子の十七条の憲法の第一条にもあるとおり、「和を以て貴しと為す」という調和の精神が、深く根付いているものと思われる。
集団で会議や打ち合わせをする際に、適度に結束して、相互連携を図ることは大切である。しかし、過剰に強固な結束を持つことは、集団思考を招きかねない。群知能のように、個人が制約を受けずに、自分の頭で案件の検討をできるような、健全な集団こそ、今後更に複雑化するであろう人間社会において求められていくものと思われるが、いかがだろうか。
篠原 拓也
ニッセイ基礎研究所 保険研究部
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