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(写真=PIXTA)

「理容師」と「美容師」、一字違いだが、法律が定める業務内容は異なる。1948年に施行の理容師法によると、「理容とは、頭髪の刈込、顔そり等の方法により、容姿を整えることをいう」(第2条)とある。

一方、1957年施行の美容師法では、「美容とは、パーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくすることをいう」(第2条)となっている。その結果、これまでは主に男性は「理容室」を、女性は「美容室」を利用してきたのである。

しかし、近年のライフスタイルの多様化により男性の美容室利用も増えている。安倍首相が毎月、渋谷の美容室でカットすることは新聞報道等でもよく知られている。若い人の場合は、美容室で自分の好みの髪型に整えるのが主流かもしれない。

1978年には美容師が男性の髪のカットだけ行うことを禁じた厚生省局長通知が出ていたが、今年7月、厚生労働省は時代状況にそぐわないこの通知を廃止、理容師のパーマ掛けや美容師のカットを容認したのだ。

私のような中高年世代には、「理容」よりも伸びた髪を短く刈る「散髪」という言葉が馴染んでいるが、近年では、「散髪」の世界にも大きな変化が起きている。10分、1000円ほどでカットだけする店が増えているのだ。忙しい現代社会においては、わずかな仕事の隙間時間や駅・空港での待ち時間などを利用した散髪や整髪は、時間を効率的に使いたいビジネスマンにはとても重宝だろう。

私の場合、時々、もう少し費用と時間を掛けてでも、従来の理容室に行くことがある。それは単に髪を短くするだけではなく、シャンプーや顔と髭を剃ってもらい、少しの転寝を楽しみ、リラックスすることが目的だからだ。髪を触られることは人間にとって"癒し"の効果があるそうだ。「理容室」には、時代が変わっても、効率性だけでは計り知れない変わらぬ付加価値があるのではないだろうか。

環境変化により理容と美容の現状と法律に齟齬が生じたように、社会を規定する法律が実態に合わなくなっていることがしばしばある。

学校教育法に基づく幼稚園は、少子化時代を迎えて定員割れを起こし、児童福祉法に基づく保育園は、働く母親の増加により待機児童がなかなか解消されていない。現在、国会で審議中の「安保関連法案」も、日本の安全保障環境変化へのひとつの対応とされている。

法律は永久不変ではなく、時代に即していることが重要だ。規制に関わる通知・通達は適切に見直し、法律は国民生活や産業・経済の実態に沿うように柔軟に改正する必要がある。ただし、法律を変えるも変えないも、それはわれわれの暮らしをよりよくするためにあるということを忘れてはならない。

土堤内 昭雄
ニッセイ基礎研究所 社会研究部 主任研究員

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