(写真=PIXTA)
個人投資家や証券会社勤務の人にとって「株式」はもはや空気のようなものともいえるかもしれない。だが、そもそもなぜ「株式」と呼ぶのか知っている人は案外少ないのではないだろうか。「株式」という言葉の語源や、世界最古の株式会社の歴史をひもとくと、株を持つことの本当の意味が見えてくる。
「切り株」説と「蓄える」説
さまざまな言葉の語源や由来をネット上で紹介する「語源由来辞典」では、「株式」の語源は「切り株」であるとしている。同辞典によると「ずっと残っている」という株のイメージが転じて、「世襲などによって継続的に保持される地位や身分も『株』というようになった」という。さらに、「そこから共同の利権を確保するために結合した商工業者の同業組合を『株仲間』と呼ぶようになり、出資の持分割合に応じた権利が保持されることを『株式』と呼ぶようになった」とある。
英国在住ライターによると、英語の「stock」には「切り株」説と「蓄える」説がある。
stockには古くから「切り株」という意味もあり、やがて大きく成長する「Tree Trunk(木の主茎)」とイメージをかぶせて、「お金が増える」という概念や、「やがて枝分かれして分配する」という概念に由来する可能性もあるという。株は、木を切った後もずっと残っているものなので、世襲などによるsustainableな地位や身分に関しても株という言葉を用いることになったとも言われるという。
一方で「stock」には本来「蓄える」という意味があり、14世紀には「貯金箱」という意味でも用いられていた。15世紀初頭には「在庫」という意味合いでも使用され、15世紀中期になると「多額のお金」という意味が追加されたという。このように、「お金を蓄えるもの」というニュアンスが「株」につながったのではないかというのが「蓄える」説である。
ちなみに「stock market(株式相場)」という言葉は14世紀中旬に生まれたが、当時は肉と魚の売買を行うロンドン中心部(その後1739年~1752年に建設されたロンドン市長の公邸、マンション・ハウス付近)のマーケットのことだった。「stock holder(株主)」は1753年から、「stock exchange(株式取引所)」は1773年から使用されている。
「切り株」説、「蓄える」説のどちらも有り得そうだ。
現代にまで通ずる世界最古の株式会社の仕組み
そもそも「株式会社」が誕生したのはいつか。歴史の教科書にもある通り、世界最古の株式会社は1602年に誕生した「オランダ東インド株式会社」である。
当時の航海は、難破や海賊からの襲撃、疫病などのリスクがあり、成功確率は20%以下だったという。そこで、複数名の金持ちに少額ずつ資金を出してもらい、船員たちの給料や船の修理にかかる費用を除いた利益を株主に分配する方法を取ったのである。まさに「会社は株主のもの」を地で行っている。
約40隻の戦艦、約150隻の商船、約1万人の軍隊を擁したこともあるオランダ東インド株式会社は、その利益も莫大なものとなり、株主には年間約20%、多いときは50%の配当が支払われたという。
これは、現在でも基本的には同じ仕組みである。リスクを取って事業を起こしたいという起業家が複数の人からお金を集めるために株式会社を作り、株主からのお金を使って設備を買い、社員を雇い、事業を始める。その事業が軌道に乗れば、起業家は利益の中から役員報酬をもらい、社員は給料とボーナスを受け取る。そして株主はというと、その出資比率に応じて配当を受け取るほか、株価の売却益(キャピタルゲイン)を得られるというわけだ。
株主に与えられた権限は通貨発行、戦争遂行にも及んだ
では、配当や株価の売却益を得る以外に、株主になるメリットはあるのだろうか。株主の権利株主権には、自益権と共益権がある。自益権の中には、分配を受け取る利益配当請求権や、会社が解散したときに残った財産の分配を受け取る残余財産分配請求権がある。
共益権は、経営に参加できる権利のことだ。わかりやすく言うと、株主総会に参加し、議案に対して意思表明ができることが挙げられる。また、出資比率が大きければ経営権や子会社化されることにより、議決権は拡大する。
上記の「オランダ東インド株式会社」でも、大口出資者には経営に参加できる権利が与えられていたようだ。同社は東インド地域において国家のような存在であったので、大口出資者は条約の締結、戦争の遂行、通貨の発行などの権限が与えられていた。
現代の株式会社でここまでの経営権を握ることはないが、株式を所有することの真の意味はこの経営に参画できるということにあるのではないか。毎日出社するわけではないが、自分が所有する株式会社の経営方針について考え、利益を拡大させられるよう、少しでも意見を述べられる立場にいるのである。「会社はだれのものか」という議論がたびたびなされるが、歴史をひもとくとその答えは自明である。(ZUU online 編集部)