伝説,女性経営者
(写真=The 21 online)

男性顔負けの行動力と胆力を見よ!

麻生イト(麻生組創業者/1876~1956)

麻生は、今東光原作・勝新太郎主演の映画『悪名』に、「因島の女王」として実名で登場する(演じたのは浪花千栄子)。彼女が一代で築いた麻生組は約3,000人を抱えていた。

生まれ故郷から島1つ隔てた因島に拠点を構えた麻生は、男でも厳しい船の解体業を始める。日露戦争後、一時的に造船不況に陥った因島だが、1911年に大阪鉄工所(日立造船の前身)が進出したことで再び活況を呈するようになった。麻生はその下請けや同社への人材派遣、同社の迎賓館や旅館の経営などへと手を広げ、成功したのだ。女性経営者の先駆けとして評価が高い。

髪型も含めて男性同様の格好をしていた麻生の頭には、前額から後頭部にかけて深い刀傷があった。これは、1917年に、電気工事の代金支払いを巡るトラブルがこじれ、電気職工に日本刀と短刀で襲われたときにできたものだ。事件を伝えた『中国新聞』の記事の見出しは「女侠客殺し(未遂)」。彼女が、荒くれ者たちを束ねる組の親分として、実権を握って活躍していたことがうかがえるエピソードだ。

《参考文献》村上 貢『しまなみ人物伝』海文堂出版

吉本せい(吉本興業創業者/1889~1950)

せいの夫は荒物問屋を営んでいたが、芸や興行が好きすぎて家業を傾けた。たまりかねたせいが「それほどまでに好きな芸の世界やったら、いっそご自分で寄席を始めはったらどうですか」と言ったのが吉本興業の始まりだと言われている。

せいはアイデアマンだった。彼女のアイデアの1つが月給制である。吉本興業は寄席を次々と買収していたが、その舞台に芸人が上がってくれなければ利益は出ない。そこで、興行ごとに利益を分けるのではなく、月給を約束することで、芸人を専属にしようと考えた。まずは色男で踊りがうまい三升紋右衛門と月給500円で契約。中堅サラリーマンの月給が40円の時代である。この話は芸人たちの間に瞬く間に広がった。

せいが狙う大本命は、当代一の人気を誇る桂春團治だった。彼は「借金はせなあかん」などと説く「はなしか論語」なるものを残したほどの人物で、金に困っていた。ついに行き詰まった彼は、前貸金2万円、月給700円で吉本興業に身を投じるに至る。ここから吉本興業は一層の飛躍を見せるのである。

《参考文献》矢野誠一『女興行師 吉本せい』中公文庫