見る目が変われば、尺度も変わる

日本における報道の自由度は、Freedom House評価では世界的にみても“合格点”といえるだろう。

一方で最近、多くのメディアが日本の報道の自由は低いと大きく報道したが、それはFreedom Houseではない。同じく世界的な自由度ランキングを毎年発表している、「国境なき記者団」のリポートだ。ちなみにこちらの2016年ランキングでは、日本の報道の自由度は72位。香港や韓国よりも下で、Freedom Houseよりもかなり厳しい判定となっている。

両者のランキングにはそれぞれ特徴がある。Freedom Houseの本部はアメリカにあり、国境なき記者団はフランスが本拠地だ。アジア地域に対する評価は、Freedom Houseは寛大で、国境なき記者団は厳しいなど、国同士の関係性が若干ながら反映されていると解釈もできる。国境なき記者団は、旧ソ連地域には寛大という傾向もあるという。

とくに国境なき記者団は、日本の記者クラブの存在や皇室報道への制限を、“報道の自由への侵害”と強く批判している。

日本なりの自由、確立と発信を

たしかに記者クラブの閉鎖性は改善されるべきだが、成り立ちを遡ると、単に記者会見を効率的に進めるために生まれたという経緯がある。またクラブ制は政治だけでなく、芸能報道でも同様だ。

また皇室に対する報道も、欧州のように皇太子妃の水着写真を隠し撮りすることや、「そろそろ離婚ですか?」などの不躾な質問は、日本では眉をひそめられる。パパラッチの横暴などは、報道の自由と呼ぶには、いささか抵抗を覚える人は少なくないだろう。

もちろん、海外から指摘された報道の不自由さに対しては真摯に向き合い、改善の努力をするべきではある。だが日本もそろそろ、欧米からのランキング評価に一喜一憂するだけではなく、逆に自らのモラルと規範を世界に示しながら、日本なりの報道の自由を確立すべきなのではないだろうか。(ZUU online編集部)