3年前に話題となった「特定秘密保護法」を覚えているだろうか。報道の自由など、さまざまな自由が狭められ、特高の時代がやってくるといった声も出た。国際NGO団体「Freedom House」が毎年発表している「世界の自由度」を発表したが、いまの日本は本当に「自由」なのだろうか。

世界の自由度を判断する指標の一つ

「世界の自由度」を発表したFreedom Houseは、第二次世界対戦初期の1941年、ナチスに対抗し自由と民主主義を監視する機関として設立された国際NPO団体だ。各地域の専門家や学者が20以上の質問に答え、90人ほどのアナリストが分析し、その結果を毎年各国の自由度として発表する。評価の対象は、現在ではテレビや新聞雑誌だけでなく、ソーシャルメディアやネット監視、ジャーナリストやネット活動家個人への干渉なども、対象となっている。後述する「国境なき記者団」と並び、世界の自由度を判断する重要な指標として、毎年大きな注目を集めている。

最新リポート「報道の自由度2016」によると、日本のランクは26点で180カ国中44位だった。

44位とはなんとも微妙だが、自由・やや自由・不自由という判定分類の中では、「自由判定」と評価されている。その他の国と比較すると、ドイツ25位、アメリカ28位、イギリスが41位であり、自由主義発祥の地といわれるフランスの51位よりも、上位に位置している。

政府に批判的な記事を書いた、日本人記者を逮捕した韓国は66位、自由選挙のデモが弾圧された香港の76位は、ともに「やや自由」判定だった。

タンザニアや中国、イランやロシアなどは「不自由判定」。最下位が北朝鮮とというのは、納得の結果だろう。

報道するも、それを批判するも「自由」

判断の基準は、法や政治、経済など多層的だが、ひとつの材料として報道機関への圧力があげられるだろう。

そもそも「報道の自由」とは、民主主義の根幹をなす基本的人権に関わる重大案件だ。日本国憲法 21条の保障する「表現の自由」の中に、「取材の自由」とともにその権利が保証されている。ただ国によって、自由度に関する認識は若干異なっており、物議を醸す種ともなっている。

最近話題となった、大臣や著名文化人による“政府批判を規制すべき”とした発言は、かなりのマイナスだったことが想像できる。また「特定秘密保護法」の成立も、報道の自由の観点から批判する言論人は多い。

しかし、報道を批判する自由があるのも、また報道の自由であり、その意味でも日本が自由度において立ち遅れているとはいえない。

また、特定秘密保護法は世界的にみれば、いわゆるスパイ防止法の一種だ。これまで関連法規がなかった日本は、長らく「スパイ天国」ともいわれてきた。法の限度をどこまでに定めるのか、という点について議論の余地はあるものの、必要な法律といえる。なぜなら、謀略渦巻く国際政治の世界において、安全保障の要といえるこの種の法律がなかった日本は、平和ボケといわれても仕方ないし、一部の「特高の時代に戻る」という危惧は過剰反応だろう。