20年間も時が失われてしまう事なんてありえないと思うかもしれませんが、みなさんがご存知のバブル景気(1986/12~1991/2が一般的に定義される期間)による不良債権処理は厳密に言えば2013年現在も終わったわけではありません。それまで高度成長を続けてきた日本が負ってしまったダメージは計り知れない物でした。今回はその失われた20年についてご紹介していきたいと思います。
失われた時間とは
日本のバブル景気は1990年初頭に地価価格がピークを迎えた後終焉を迎えることとなりました。当時の株価は瞬間最大風速で38,957円と現在の2倍以上もあったのです。高値掴みをしてしまった人は相当の地獄となったわけですが、当時はそれにより大儲けする人が続出していました。素人でも株を買えば儲かるという常識がまかり通り、ひときわ贅沢で華やかな時代でした。
しかしそんな時代も過去の物となり、「価格破壊」等と言った流行語が流行ったのを覚えています。失われた時間を示すひとつの指標が銀行の預金金利です。かつて銀行の定期預金は4%と言う物も珍しくなく、10年預ければ複利の物で倍になって返ってくる様な物もあったのです。
さて、時間を今に戻して見てみると銀行の預金金利は0.01%等と、預けてもあまり意味がない様な物になってしまっています。これは、日本の低い政策金利を背景に銀行が安全な運用先として国債ばかり選んでいる事がひとつの要因です。逆から見れば、お金を借りてでも投資をしたい人が少ないとも言えます。市場のセンチメントが悪過ぎて企業もお金を借りない、銀行は国債でマッタリと運用すると言った構図がバブル崩壊後ずっと続いているのです。銀行は将来が期待できる魅力的な市場に投資をする事で経済を活発にする事が使命となっていますが、そんなリスクを取りたくないというのが本音の様です。毎年巨額の国債が発行されてニュースでまた国の借金が増えた等と言われますが、国債を発行してくれないと銀行が困ってしまうと言うのも1つの要因の様です。
こうした負のサイクルが根付いてしまった日本経済は将来の投資をしてこなかった為、国内産業の競争力は薄れてしまい韓国や中国の企業に技術的にも追いつかれてしまったのです。失われた時間は様々な視点から定義する事が出来ますが、私はこの視点が一番だと感じています。
バブルのツケ
バブルのツケは真っ先に銀行や証券会社などを襲いました。有名な案件としては三洋証券、山一証券、北海道拓殖銀行などが歴史から姿を消す事になり、金融機関の信用収縮は一気に深刻化しました。
当時は銀行がつぶれると言う事が信じられず、目を疑いましたが日に日にそういったニュースが常態化し始め、平成大不況へとまっしぐらに進んで行きました。その様な信用不安が渦巻く経済環境では本当にお金が必要な企業に資金を融資しないという事態が蔓延していました。いわゆる貸し渋りです。世界金融危機同様に実体経済もこの様に資金の流動性が悪くなり、行き詰ってしまう企業が急増しました。製造業などではバブル時代の過剰設備投資が経営を大きく圧迫していた為、融資を受ける為の条件から外れてしまったのです。
日本のバブルは世界から見ても異常な状態であり、日本全土を売りに出せばアメリカ合衆国が4個買えるくらい地価が高騰していました。ピーク時から見てみると地価・株価は約半年で1300兆円も失われました。バブルの最大のツケは日本人の金銭感覚を狂わせてしまった事かもしれませんね。