要旨

  1. 米国のトランプ政権発足から3週間が経った。EUにも波紋が広がっている。
  2. EUと米国の環大西洋貿易投資協定(TTIP)は凍結の見通しとなり、北大西洋条約機構(NATO)の軍事費のGDP2%目標に届かない国には圧力がかかる。
  3. 批判の矛先は「ドイツのための乗り物」であるEUと「暗黙のドイツ・マルク」ユーロにも向かう。トランプ大統領のEU懐疑は、過剰な規制への嫌悪に加え、人の移動の自由はアイデンティティーを脅かす、そしてEUとユーロによってドイツが不当な利益を享受しているという認識からなるようだ。ドイツが米国の批判を受け入れることはなさそうだが、だからといってEUとユーロを分裂に追い込んでも、米国が利益を得ることにはならないだろう。
  4. 米国からの外的脅威はEUの求心力を強める可能性があるが、EUに懐疑的な極右・ポピュリスト政党を勢いづけ、遠心力が強まるリスクへの警戒も怠れない。議会選挙を控えるオランダでは自由党、フランス大統領選挙ではマリーヌ・ルペン候補が世論調査トップを走る。しかし、政治体制や憲法が歯止めとなるため、オランダにおける自由党の政権参加、フランスにおけるルペン大統領の誕生イコールEU離脱のドミノとはならない。
  5. 3月にEU離脱手続きに進む英国のメイ政権にとってもトランプ政権との距離感は難しい。ただでさえ不透明感の強い交渉の先行きは、EUに懐疑的で、二国間交渉を重視するトランプ政権の誕生で、さらに混迷の様相を深めている。

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トランプ政権発足から3週間。EUでも波紋広がる

米国のトランプ政権の発足から3週間が経った。この間、世界は矢継ぎ早の大統領令と、既存の価値観や体制への挑戦を厭わないトランプ大統領の言動に大きく揺れた。

欧州連合(EU)にも波紋が広がっている。昨年11月の大統領選挙結果判明後のレポートでは、トランプ大統領の選出によって、EUと米国の環大西洋貿易投資協定(TTIP)の行方が不透明化し、米国、カナダ、欧州の28カ国が加盟する北大西洋条約機構(NATO)についての潜在的な不安、そしてEUに懐疑的な極右・ポピュリスト政党を勢いづかせる間接的な影響を指摘した(1)。

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1)Weekly エコノミスト・レター 2016-11-18「 トランプ・ショックと欧州 」をご参照下さい。
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TTIPは棚上げ、NATOは時代遅れで不公平

実際に政権が発足してから、EUと米国の環大西洋貿易投資協定(TTIP)について、トランプ政権で国家通商会議のトップを務めるピーター・ナバロ氏が、1月31日付のフィナンシャル・タイムス(FT)紙のインタビューで、「ドイツが妥結の大きな障害の1つとなっており、協議は終わった」と述べている。EU加盟国の間でも反発が強い協定でもあり、凍結となりそうだ。

NATOに関しては、トランプ大統領の就任直前に行われたドイツの大衆紙「ビルト」と英国の「タイムズ」紙によるインタビューで「テロの脅威に対処できない」「時代遅れ」の枠組みであり、米国にとって不公平と改めて批判した。

実際、NATO加盟国で軍事費GDP比2%の目標を達成しているのは英国、ポーランドなどわずか5カ国で、同3.6%の米国頼みがはっきりしている(図表1)。経費負担の公平化は、オバマ前大統領の時代から求められていた。NATOの目標を割込む国々には負担増の圧力が掛かる。ロシア、中東・アフリカなど境界を接する地域での地政学リスクの高まりやテロの脅威に対抗するためにも、欧州最強の軍事力を誇る英国の離脱に備える面からも、EUとしての安全保障政策の強化も、優先課題となっている。

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批判の矛先はEU、ユーロにも

「ビルト」紙と「タイムズ」紙のインタビューではEUについても批判した。

トランプ大統領は、キャンペーン期間中から、イギリスのEU離脱という選択を肯定してきたが、「英国のEU離脱は素晴らしい結果をもたらすだろう」として英国との早期の貿易協定の締結に意欲を示した。さらに、メルケル首相の難民政策を「破滅的な過ち」と表現し、難民問題がなければ、「英国が離脱を選択することはなかっただろう」との見方を示した上で、難民の流入が続くならば、「その他の国もEUを離脱することになるだろう」と述べ、「EUはドイツのための乗り物」と切り捨てた。

TTIPやNATOを巡るトランプ政権の発言は、おおむね想定の範囲内だが、EUについて、トランプ大統領が「ドイツのための乗り物」とみなし、圏内の人の移動の自由というEUの基本原則を軽視し、分裂しても構わない、という冷淡な態度を隠さないことに、米新政権への警戒感は一気に高まった。

ユーロについても、国家通商会議トップのピーター・ナバロ氏は、先に紹介したFT紙のインタビューで、単一通貨ユーロを「暗黙のドイツ・マルク」であり、「著しく過小評価されている」と批判している。

トランプ大統領のEU懐疑の3要素:過剰な規制、人の移動の自由、ドイツのための乗り物

トランプ大統領のEU懐疑には大きく3つの要素からなるように感じる。

1つは、過剰な規制への嫌悪感だ。「ビルト」と「タイムズ」紙のインタビューや、1月27日の米英首脳会議後の記者会見では、トランプ大統領は、実業家としての欧州の過剰な規制に悩まされた経験を語っている。トランプ氏は、EU法規制と欧州司法裁判所の管轄権から外れたいと望む英国の離脱派の主張に共感を覚えているだろう。

2つめは、人の移動の自由を原則とし、難民に寛容な立場をとるEUは、加盟国が自国に入国する人を選択する権利を奪い、アイデンティティーを脅かしていると見ていることだ。トランプ大統領は、就任後、メキシコとの壁の建設など不法移民対策の強化や、中東・アフリカの7か国からの入国を一時禁止する大統領令に署名するなど、人の移動のコントロール強化には最優先で取り組んでいる。ただ、英国がEU離脱を選択するきっかけとなったのは、トランプ氏が指摘した「難民危機の対応」ではなく、ポーランドなどEUに新規加盟した国々からの「EU市民の大量流入」にある。英国のメイ首相も、米国の入国禁止令は「対立を生む間違った政策」と否定している。メイ首相には、トランプ大統領の保護主義的な政策と、離脱によってむしろ開かれた国を目指す英国を同一視されることには抵抗があるだろう。

3つめは、EUとユーロからドイツが不当な利益を得ており、米国の国益を損なっていると感じていることだ。グローバル化が進展した80年代以降、世界経済の勢力関係は大きく変わった。最大の変化は改革開放政策によって「世界の工場」としての地位を築いた中国が世界第2位と経済に躍進し、米中格差が大きく縮まったことだが、EUの地域的な拡大も進んだ。(図表2)には、米国、EU、日本、中国の名目GDPをドル換算して世界のGDPに占めるシェアを示した。EUという名称が使われるようになったのは93年11月からだが、前身の欧州共同体(EC)の時代から、その時点で統合に参加していた国のGDPを集計した。南欧への拡大が実現する前の80年時点では加盟国は創設メンバーの6カ国に英国、アイルランド、デンマークを加えた9カ国だけだった。80年代に民主主義体制に移行した南欧の3カ国が加盟、90年代には冷戦の終結によって中立国(スウェーデン、フィンランド、オーストリア)が加盟した。さらに2004年5月以降、中東欧など13カ国が加盟し、28カ国の巨大市場となった。米国成長率は欧州よりもほぼ一貫して高いのだが、世界経済で同じ程度のプレゼンスを保ってきたのは、新規加盟によってEUが拡大したからだ。米国から見れば、東西ドイツの統一と、中東欧のEU加盟で、EUは「ドイツの乗り物」という様相を強めたのかもしれない。

米国に対して多額の貿易黒字を計上し、かつ、経常黒字が巨額なドイツは、オバマ前政権下で為替操作の有無を判断する条件としていた、①対米貿易赤字200億ドル超、②経常収支黒字対名目GDP比3%超、③年間で名目GDP比2%相当の外貨購入(ネット)という3つのうち、2つに抵触する「為替監視対象国」だった(図表3)。為替介入による通貨安誘導は行っていないため、当時の定義では日本同様に「為替操作国」とはならない。しかし、トランプ大統領が、日銀の資金供給を通貨安誘導と表現したように、競争力の弱い国と単一通貨を共有することを為替操作と定義し、圧力を強めるのかもしれない。

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批判を受け入れないドイツ。それでも、EU・ユーロ分裂は米国の利益にはならない

いずれにせよ、「EUはドイツの乗り物」という表現には、ドイツが関税同盟と単一通貨ユーロによって強大化し、不当な利益を得ているとの受け止めが感じられる。

しかし、ドイツは、米国の批判を受け入れそうにない。ドイツでは、特にドイツ連銀は、ドイツにとって緩和的過ぎるECBの金融政策の結果としてユーロが割安になっていることに不満がある。巨額の経常黒字についても、特に、ユーロ圏内の債務危機の後は、ユーロ圏内の不均衡を増幅しており、南欧に緊縮を求めるばかりでなく、ドイツも内需を振興すべきと批判されてきた。しかし、経常黒字は競争量の高さの表れであり、人口減少・高齢化への備えとしても必要と見るドイツが耳を傾けることはなく、今日に至る。

ドイツが軌道修正する見込みが低いからといって、EUやユーロを分裂に追い込めば、米国が利益を得ることにはならないだろう。EUは、米国とほぼ同規模の、所得水準の高い市場であり、直接投資では米国向けの投資、米国からの対外直接投資の両面でEU(欧州)の比重が過半を超え、輸出入の2割をEUが占める(図表4)。米国の多国籍企業の欧州でも展開も財・サービス・資本・人の移動が自由な単一市場の恩恵に浴している。

トランプ大統領の判断は、直観に従うためか、いささか表面的で、波及的な効果には、目配りが行き届いていない傾向を感じる。EUの本格的な動揺は、米国経済にマイナスに働く。ユーロやEUを批判すれば、却って為替はドル高・ユーロ安に動き、ドイツに対する不均衡の是正を阻害する。

EU大統領は米新政権を外的脅威として結束を呼びかけ。求心力強まる期待も

2月3日にマルタで開催されたEUの非公式首脳会議ではトランプ政権の米国との関係が焦点となった。

今回の会議は、本来、リビアから地中海をわたってイタリアに渡る不法移民対策と、EUの法的基盤となっているローマ条約の60周年記念式典という節目を3月25日に控え、EUの将来について発するメッセージについて協議することが主な目的だった。

その会議に先駆け、トゥスク常任議長(通称EU大統領)が加盟国首脳に送った書簡で、過去70年の外交政策に疑問を呈するトランプ政権を中国、ロシア、中東・北アフリカとともにEUにとっての「外的脅威」と位置付けた。その上で、「EUの崩壊は加盟国の主権の完全な回復につながるものではなく、米国やロシア、中国といった超大国への事実上の従属につながることははっきりしている。結束してこそ我々は完全に独立していられる」と呼びかけた。

トゥスク常任議長の主張は基本的に正しい。筆者も米国のEUへの冷淡な態度が、域内の結束を強める、つまり統合の遠心力よりは、求心力を強める可能性に期待したいと思っている。

だが、客観的事実よりも、感情や個人的信念に訴えるものが世論形成により大きな影響を及ぼす「ポスト・トゥルース」の時代には、有権者の心に響き、受け入れられるかどうかが重要だ。難民危機やテロでアイデンティティーの危機を感じる層や、長期失業で繁栄から取り残されていると感じる層には、EU首脳会議に集う主流派の政治勢力の結束を呼び掛ける主張よりも、極右・ポピュリスト政党が提示するEUやユーロからの離脱、国家主権の回復という選択肢の方が魅力的に映るかもしれない。

経済・雇用改善、難民流入鈍化でも続く極右・ポピュリスト政党への支持の広がりは遠心力

17年には少なくともオランダ、フランス、ドイツで国政選挙が行なわれる。EUに懐疑的な極右・ポピュリスト政党がどこまで躍進するかは、現状に強い不満を抱き、多少の混乱が生じたとしても、別の選択肢を試したいという有権者が、どの位の割合を占めるかによる。

EUにおける極右・ポピュリストの躍進は世界経済にとって望ましくないという立場にとっての安心材料は、ユーロ圏の経済は、方向として改善が続き、足もと上向いていることだ(図表5)。ドイツとオランダで世論への影響度が大きい難民流入の勢いも鈍化している(図表6)。

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しかし、EU統合を支えてきた中道政党への支持が反転する兆しはなく、逆に、トランプ政権の矢継ぎ早の保護主義的政策で極右・ポピュリスト政党が勢い付き、統合の遠心力が一段と強まるリスクへの警戒も怠れない。

オランダでは自由党が支持率1位、フランス大統領選ではルペン氏がトップを走る

3月15日に議会選挙を予定するオランダでは自由党が第1党の地位を保つ。自由党による単独政権の樹立には至らないにせよ、政権入りの可能性は考慮せざるを得なくなっている。自由党が政権政党になったとしても、主流派との連立という形であれば、EU離脱を国民投票で問い、かつ、それを実行に移すということはないだろう。

4月23日に第1回投票を予定するフランスの大統領選挙も、ここまで「想定外」続きだ。右派の統一候補としてフィヨン元首相が選出されたのも「想定外」だったが、選出後は最有力候補として期待されていたフィヨン氏に政治資金不正疑惑が発覚し、立候補の取り下げを余儀なくされる可能性が浮上したことも「想定外」だ。さらに、左派の候補としてバルス前首相ではなく、アモン前国民教育相が選出されたのも「想定外」と言えるだろう。アモン氏は、中道色を強めてきた社会党の中で、左派的傾向が強い。社会保障制度を見直し、18歳以上の全国民を対象に日本円で毎月9万円相当を支給する「ベーシック・インカム」の導入を提唱していることでも注目を集めている。

フランス大統領選挙の世論調査では、極右の国民戦線のマリーヌ・ルペン候補がトップを走り、アモン氏の伸び悩み、フィヨン氏の失速で、エマニュエル・マクロン元経済・産業・デジタル相が第2位につける。マクロン氏は、昨年4月に「右派でも左派でもない政治運動」として「前進!」を立ち上げ、8月に閣僚を辞任、秋には大統領選挙に独立系候補として立候補する方針を表明していた。右派と左派の双方から支持を集めており、アモン氏の支持を表明していないオランド大統領もマクロン氏を支持しているとの見方がある。

これまで、フランスの大統領選挙の結果について、「ルペン候補は確実に決戦投票に残るが、決戦投票では、極右の大統領を阻止するため、左派と右派が選挙協力をして、残った候補の支持に回るので、ルペン候補は勝てない」という見方で一致してきた。ところが、二大政党制のフランスの大統領選挙で、二大政党の候補がどちらも決選投票に残れないとなれば、やはり「想定外」と言わざるを得ない。

仮に、ルペン対マクロンという決戦投票の組み合わせとなった場合、世論調査に基づけば6対4でマクロン氏が勝利する。右派でも左派でもないマクロン候補であれば、独立系でも、ある程度、二大政党の支持者の受け皿となり得ると見て良いのかもしれない。

しかし、ルペン候補は、先代の党首である父親の時代の「極右」のイメージ払しょくに務め、社会保障の充実、雇用・社会保障のフランス人優先を掲げる。「極右の候補だから」ルペン氏に投票するのではなく、「繁栄から取り残された人々に目を向けてくれる候補だから」という理由でルペン氏に票を投じる人々が「想定を超える」可能性は、やはり捨てきれない。世論調査も間違うというのが、英米の波乱の結果からの教訓だ。

ルペン氏は、2月5日に公表した大統領選挙の144にわたる公約のトップに「EUとの間で加盟条件について協議し、EU離脱の是非を問う国民投票を行なう」を据えた。英国のキャメロン前首相が15年の総選挙時に掲げたのと同じ公約だ。ただ、フランスで、EU離脱の国民投票という公約を実行に移すには、憲法の改正が必要であり、そのためには憲法改正案が上下両院で可決されなければならない。国民議会(下院)選挙は、大統領選挙後の6月に実施されるが、国民戦線が過半数を獲得する可能性は「ゼロ」といって良い。任期6年、3年ごとに国会議員、地方議会議員等による間接選挙で半数を改選する元老院(上院)で勢力図が大きく変わるまでには時間が掛かる。ルペン大統領が誕生した場合、市場は激しく反応する可能性はあるが、ただちにEU分裂につながる訳ではない。

オランダにおける自由党の政権参加、フランスにおけるルペン大統領の誕生、イコールEU離脱のドミノとはならない。トランプ大統領の米国と同じく、政治制度や憲法は、成熟した民主主義国家であるオランダやフランスにおいても、一定の歯止めとしての役割を果たすことになる。

米新政権との関係はEUを離脱する英国にとり諸刃の剣という面も

EU離脱手続きに進む英国のメイ政権にとってもトランプ政権との距離感は難しい。

英国は、伝統的に言語、法体系を共有する米国との「特別な関係」を重視してきたが、EU離脱の本格的な交渉を前に、その重要性は増している。1月26日にEUからの離脱意思の通告のための法案を議会に提出、2月2日に英国のEU離脱とEUとの新たなパートナーシップ」と題する白書を公表し、8日には下院で法案を可決した。今後、上院で審議、承認を経て、3月9~10日の次回EU首脳会議での、原則2年の離脱協議の起点となる通告を目指す(図表7)。

メイ首相は「EU」と「単一市場」だけでなく、EUの「関税同盟」からも離脱する方針であり(2)、そのコストを埋め合わせるために、域外とのFTAを早い段階で締結する必要がある。とりわけ、現在、EUとの間で、FTAを締結していない米国、中国との関係強化は重要だ。オバマ前大統領は、通商交渉において大市場を優先する立場から、国民投票前に、離脱した場合、英国は米国の通商協議の最後列に並ぶことになるとして、離脱派を牽制した。しかし、トランプ大統領の米国は、英国のEU離脱を支持し、米英FTA交渉に積極的な立場に転じ、先述のとおり、EUとのTTIPは棚上げした。

EUに懐疑的立場をとる米国の新政権の英国のEU離脱支持は諸刃の剣でもある。そもそも、英国は、EUを正式に離脱するまではEUの関税同盟の一員であり、独自にFTAを締結することはできない。米英首脳会談で、この問題に踏み込み過ぎれば、EU側の警戒感を高め、EUとの間で離脱までに大枠合意を目指す包括的FTAの協議に悪い影響を及ぼすおそれがあった。英国の輸出入両面でのEUへの依存度は米国向けを遙かに上回る。米国とのFTAだけでは、メイ首相が「崖っぷち」と表現した包括的なFTAへの円滑な移行の見通しを欠いたまま離脱することになった場合のショックを吸収することはできない。

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米英間の国力の差を考えると、FTAが英国に有利な条件での協定となるかも定かではない。トランプ大統領が、二国間の交渉を好むのは、国力の差から、米国にとって有利な条件を得られると信じているからだろう。EUから離脱し、英国にとって不利な条件で、米国、あるいは中国とFTAを締結することになれば、離脱のコストを痛感することになり兼ねない。

初の米英首脳会議の記者会見では、メイ首相は、「アメリカの属国化」、あるいは、「反EU」というレッテルを貼られないよう配慮したという印象を持った。トランプ大統領との友好ムードを醸し出しながらも、NATOについて、トランプ大統領から「100%支持する」との言質を得たと強調した。ロシアの制裁解除は、「ミンスク合意(ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4首脳によるウクライナ東部の停戦に関する合意)の完全実施が条件」という英国の立場を明確にし、トランプ政権を牽制した。

しかし、米国とEUとの橋渡しをしようというメイ首相に対して、EU首脳たちの反応は冷ややかで、英国内でも、米英首脳会談直後に、7カ国からの入国の一時禁止措置を導入したトランプ大統領を、国賓として年内の公式訪問するよう招待した判断を、拙速過ぎるとの反発が広がる。

ただでさえ不透明感の強いEU離脱交渉の先行きは、EUに懐疑的で、二国間交渉を重視するトランプ政権の誕生で、さらに混迷の様相を深めている。

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2)メイ首相が示したEU離脱戦略についてはWeekly エコノミスト・レター 2017-1-20「 メイ首相が目指すのはハードな離脱なのか? 」をご参照下さい。
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伊藤さゆり(いとう さゆり)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 上席研究員

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