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ロッカールームトークが許されない時代 将来「マンションの管理組合」が問題化する

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──ZUU onlineは投資や資産運用に関心のある読者に向けて記事を発信しています。安部さんは「お金」というものをどう見ていますか。

いまの時代、お金って色がついてきていると思うんですよね。一昔前はなかった、「そのお金はどういうふうに得たお金なんで

(写真=濱田 優)
(写真=濱田 優)

すか?」というところが問われつつあるというか。既存の制度のなかだと、それこそ犯罪に手を染めて楽に奪ったものでも100万円は100万円だし、苦労して働いても100万円は100万円だったわけです。いい悪いは別として。

ただこれからは、お金に色がついて、どういう経路で得たお金なのかとか、どういうストーリーに基づいたお金なのかということが問われ、付加価値も変わると思うんです。

──なぜそういうふうに変化してきたと思うのでしょうか?

一つに資金調達の方法が変化、多様化したこと。あとは個人の信用が可視化しやすくなってきたことの影響もあるでしょうね。

基本的にSNSもクラウドワーキングも、あるいはビットコインもブロックチェーンの技術からすればそうですが、今はあらゆるものの履歴が残る時代です。昔はそうした履歴なんて残らなかったし、最終的なアウトプットだけが評価される時代だった。ただ今はプロセスが全部ネット上などに残っちゃうんです。

その人の持っている目に見える資産もそうだし、信頼などを含めた広義の資本という観点で見ると、昔よりも資本の蓄積の仕方というのが、ずいぶんと変わってきています。

すごいお金持ちがいたとして、その人がどうやって財産を獲得して来たのか、やっぱり気になっちゃうじゃないですか。その好奇心というのは人間の本能的な欲求ですし、今はそれに応えるだけのテクノロジーが存在していると思うんですよね。

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(写真=濱田 優)

──資金をどうやって作ったのかまで見られるのは息苦しいですね。

息苦しいですよ。トランプ大統領の話ではないですが、ロッカールームトークが許されるのかという話です。どんな場所でも好き勝手話せないようになるのと同じで、息苦しくて息苦しくて仕方ない時代になって来てますよね。そこへの反発は存在していると思います。

僕は今地元のソフトボールチームの監督をやっているんですが、人によっては「地元」や「地域」も逃げられない場所ですよね。ただ、これからはそういう逃げられないものに対しての貢献がある程度大事になると思います。

たとえば高層マンションが立つと地域のコミュニティが分断して崩壊しやすくなるとか言われますよね。あるいはマンションの中を一つとってみても、管理組合というコミュニティが高齢化や住民の交流の不在により機能しなくなってきているところがある。こういうところが弱くなっていくというのは将来大きなリスク要因だと思います。面倒でも貢献というか、やらなきゃいけないことがある。

ということは地域貢献やボランタリー的な活動も、いずれどこかで可視化して評価の対象にするしかないでしょう。マンションに限らず地域の活動でも、何もせずにゴミは出しておけば勝手に誰かが片付けてくれてゴミ置場の周りも掃除されると思っている人もいたり、子どもを地域の子ども会に預けても、子ども会というのがどういうふうに運営されているか知らなかったり。そういうところの多くはボランティアによって成り立っていて、何もしないのはフリーライダーな訳ですよ。

でも昔はそんなのは問題にならなかった。「仕事が忙しいから出られない」で済んでいた。履歴残らなかったから。そこで履歴が残るようになると、困る人が多いと思うんです。息苦しさの理由は履歴が残るところ。それで「放って置く」ということができなくなって肩身が狭くなる。

「ならそんなコミュニティ要らないんじゃないの」という人もいるんだけど、たとえば地域の子どもを支えるコミュニティが消滅すると、子どもの貧困が進んでも見えづらくなるんですよ。そうすると最終的には治安が悪くなって、最後おやじ狩りされて自分自身が被害にあうかもしれない。そのとき買ったマンションを売って引っ越すようなことになるくらいだったらいまからコミュニティの問題に向き合った方がいいじゃないですか。

だから基本的にはコミュニティも含めてみんなで作らないといけない。そもそも公共と個人は当然地続きなんです。ただ両者の間にあるギャップにつけこんで、フリーライドしちゃおうぜみたいな人がいたわけですが、この”履歴の時代”においてはそういう考え方を変えたほうが、個人のためにもなるし、みんなのためにもなるかもしれないと思います。時代的にも新しく私たち一人ひとりがそこに折り合いをつける必要が出て来てますよね。

社会問題には「縦」と「横」の軸がある

──考えれば分かるはずなんですけどね。想像力がないということでしょうか。

僕は、社会課題には「縦」と「横」があると考えているんですね。縦は時系列の問題でいまはまだ関わりがないもの、横は同時代にありながら空間的な広がりなどの影響で意識や思いが交わらないもの。どちらも無関心になりやすいんですけど。縦の問題は(自分自身に起こりうるリスクとして)まだ想像力を刺激しやすいんです。例えば介護はまさに時系列的な問題の典型例で、多くの人がいずれかかわるものです。

ちなみにこの国で一番介護に関わっているのは40代、50代の女性です。色々な言い方はできると思いますが、この国では女性という存在が、ここ数十年というスパンで見てもやはり虐げられてきた側面がある。20~30代で結婚、妊娠、出産を経験し、子育てがひと通り終わったなと思うと、次は親の介護がくる。必ずしも女性だけがやる必要はないんですけど、実際問題そうなっている。

とはいえこれは縦の問題だから、アナウンスすれば男性もイメージしやすい。あなたのお父さん、お母さんもいずれ介護が必要になるかもしれないですよって。縦の問題というのは時系列を考えさせて当事者意識を促せば解決に近づくというのが一つですよね。

ただ横の問題はより想像することが難しい。たとえばホームレスの問題。安定した仕事を持って稼ぎがあったらホームレスになる可能性は低いので、その問題に想像がつかない。子供がいなければ地域の子ども会とかの話に関わることはないし、障害の問題もそう。ふつうの人はなかなか自分の手足がなくなるとは考えないですよね。そういうものは、自分の将来に関わってこない問題なので想像がしづらい。だからこそ、横の問題が回りまわって自分に返ってくるんだということをどれだけ認識できるかが大切なんです。

社会への関わり方を考えると、我々自身も未来の障害者?

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(写真=濱田 優)

障害者の問題も複数の現場に行って考えると色々なことが見えて来ます。例えば障害者施設の考え方のメインストリームは「ワークフェア」。ワークフェアとは障害がある人も働くことを通して社会参画をしましょうという考え方です。

でも、生産性という観点で考えると障害者はハイパフォーマーではないし、できるとしても単純な作業しかありません。だから納期が近づいてくると結局、施設の職員が代わりに夜なべしてやります、みたいなことが起こってしまうわけです。もちろん全ての施設がそうではないですが、そもそもの話として、そうまでして障害者の人たちを働かせる仕組みが本当にいいことなのかはきちんと考えなくちゃいけない。

そこで出てくるのが「ウェルフェア」という考え方です。ウェルフェアとは生産性ばかり求めるのではなくて、農業をして土と触れて生きていると感じてもらうとか、芸術活動や音楽をさせて、人生の喜び悲しみを感じてもらうことを大切にする考え方です。こういう施設も少ないけどあるんです。確かに必ずしも働くだけが社会参画じゃないよな、と。どちらがいいというよりは、使い分けの問題ですが、そもそも働くことでしか本当に社会に参画できないのか、という議論はしないといけない。

こうして現場を回っていて思うのは、多くの人が障害者を取り巻く環境を他人ごとのように感じているけど、あと30年もしたらこれは多くの健常者にも突きつけられる大きな問題になっていくことでもあるわけです。

──なぜ問題になっていくでしょうか?

ワークフェア、ウェルフェアの議論は、障害というのをどう定義するかという話でもあります。すると一つの考え方としては社会から求められる生産性を満たしているかどうかを基準にすることもありえるし、現時点でもそういう側面は否めない。

今後、人工知能などの技術が発達すると、世の中が個人に求める生産性はどんどん高まります。すると求められる生産性を越えられない人の数が増える可能性がある。別に今の基準でいう「障害」を持っている人でなくても、必要な生産性をクリアできない人が増える。昔は障害と言われていなかった人や症状でも、それは社会が求める生産性や要素が変わっていくなかで、障害と呼ばれるようになってくる。発達障害なんかも、現代においてコミュニケーションの必要性が増したことで障害として可視化されてますよね。障害の定義は、これまでも変わってきたし、これからもどんどん変わっていくはずです。

ベーシックインカムは、要はお金の分配の仕方の問題

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──ベーシックインカムの話は、稼げる人には稼いでもらって、無理にみなが働かなくてもいいのではないかという考え方につながるような気がします。

まさにその議論に直結します。ただ、ベーシックインカムの話は、「稼ぐ」・「分ける」・「使う」の3点から議論した方がいい。

実際に導入するとなれば可能なのは一人当たり月7万~8万と言われてます。それで国民皆保険とかなくなったら、暮らしていけないという人がいっぱい出てくるでしょう。そういう意味ではやはりベーシックインカムの底を上げていく”社会の余裕”をどうやって作るかという問題に帰着するんですよ。これが”稼ぐ”話です。ベーシックインカムの手前の部分ですね。

そしてベーシックインカムの議論の本質はあくまで配分の問題です。お金の配分をシンプルにすること。これはリバタリアンも効率性の観点からこの考えが大好きだし、わりと左寄り、リベラルの人たちもセーフティネットとして価値を感じている。それぞれ別の文脈ながら評価しやすい制度だと思いますが、要はお金の分配の仕方でしかない。そういう意味では過度に評価しすぎてはいけないでしょう。

そして”分けた”あとは”使う”わけです。そう考えると”使う”額はどれくらいなのか、本当は生存に必要なコストはどれくらいなのかという観点から考えた議論が重要ですよね。たとえば野菜を作るコストが極端に安くなったとします。それこそワンクリックで自動で野菜作れますくらいになったとする。限りなく自分の家に食材が届いてくるコスト、さらには、日常の生活をするというコストがすごく格段に下がりましたという社会においては、ベーシックインカムは結構、機能すると思うんですよね。医療などに必要な費用に関してもコストの低下という面ではまったく同じです。もし実際ベーシックインカムを導入するなら、お金の運用を長期で考えていけるような教育の整備も同時に必要です。

逆に、生存に必要なコストが一定以上に高いコストのままベーシックインカムをやっても、社会の不安定さが高まるだけのような気がします。今のベーシックインカムの議論はこの”稼ぐ”・”分ける”・”使う”の3つのフェーズでいうと特に”使う”の部分に関しての議論が不十分だと感じてしまいますね。生存に対するコストがどれくらい下がりますかということをちゃんと議論しなきゃいけないんじゃないかと思います。

──生存コストを大きく下げる方法って、たとえばイノベーションでということでしょうか。

ええ、基本的には技術革新ですよね。あと経済もひとつです。VCモデルがシリコンバレーを大きくしたのと同じように、お金の循環のモデルと技術革新のふたつの掛け算が社会の生産性とかを高めていく。これがどうなるのか。また我々がどう受け止めるかですよ。

受け止め方をどうするか、というこの問いを深めていくと、最終的には個人のマインドに行き着く気がします。結局、どれくらい子どもを産みたいかどうかになる。たとえば何人産んでも食っていける、教育にもコストかかりませんとなったとき、ヒトはどれくらい子どもを産みたくなるのか。

昔は産んだ後に口減らしというものがあって調整していたわけです。つまりとりあえず種としては産みたかったわけです。では、一方で現代はどうか。人類の生産性に対して地球の環境がサステナブルかという問題もあるけれども、食事の生産量的には全世界の人々が飢えずにすむと。世界中で食糧はあり、分配の問題だと言われているわけです。

昔に比べれば、口減らしの必要がなくなってくる。先進国では必要なくなっているし、途上国でもだんだんそうなってきたとき、さらに人口を増やそうとなるかどうかですよね。増やそうとなるなら、結局イタチごっこになり生産コストは下がっていかないけど、人類はもう増えなくてもいいかなーという感じになりそうな気がするんですよね、今の様子を見ていると。

──ただずっと均衡したままでいくとは限らないですよね。

そうそう。外部環境を踏まえて我々のマインドがどう変化するかですよね。それが結果として、種としてどう残っていきたいかみたいなところになるかなと。

種の進化みたいなものを考えたとき、遺伝子の突然変異というイノベーションを繰り返しながら、結果的に適応したものが残ったわけですよ。ヒトも今の所残っている。

しかし、ヒトに関して言うと、いわゆる遺伝子レベルでの進化の側面と、たとえば社会との共進化の二つの側面がある。後者について、ヒトは道具を使って身体性を拡張してきたし、メタ認知能力もあって、他者の気持ちも分かる。そうして社会というものを作ってきた。人間そのものとしては、それこそ4000年前とか1万年前とそんなに変わってないはずなんだけど、技術や社会との共進化のなかで、我々の”できること”というのは、突然変異以上のレベルで進化してきてはいないか、と考えるわけです。

身体性の拡張という観点でいっても、たとえば人間が外部メモリをつけられるとなったら、脳の容量が増えた新しい種族が生まれてくるのを待たなくていいし、それは遺伝子レベルの進化よりもよっぽど革新的な変化なわけで。

なので種としての人類がどの方向に行くのかをすごく考えさせられます。
僕が所属していた研究室でのテーマである人工生命(A Life)の研究が結局どこに行き着くかというと、モチベーションの研究です。なぜ生命は種を残したいと思うのか。なんでそういうモチベーション持ってるの?ということです。

人工知能は今の所そういうモチベーションを持ってないですよね。人工知能などが進化していくなかで、これから先、人類はもしかすると、種を存続するほうにモチベーションを持たないかもしれない。SF小説とかで散々言われてきた内容だと思いますけど。

僕はもともと人間と社会の相互作用にとても興味があって、そういう未来の社会と人間のあり方についても今後もより深めて考えていければと思っています。

お金や投資の話を周囲としない現状はよくない

──ところで安部さんは資産運用や投資についてどう考えてらっしゃいますか。

いいんじゃないですか。少なくともたんす預金や銀行に預けるよりは。個人にとっても社会にとっても。お金を使って社会の前進にレバレッジをかけて欲しいと思うんですよ。資本主義のいいところはクレジット(信用)を作ったり使ったりできること。いい面も悪い面もあるでしょうが、信用創造できるという側面はおおいに評価すべきだなと思います。

ただ世界的にも日本を見ても金余りといわれているこの様子を見ていると、人間が信用創造とか、クレジットをもとにレバレッジをかけることに対して過信しちゃったようにも思います。

金融の役割も必要なのだけど、金融が行きすぎてしまっているのなら、社会全体で現業にインセンティブを与えるしかないと思うんですよ。これは現業を行なっている人々へのインセンティブですから、基本的にはマジョリティが支持するという意味で政治的にも促しやすい。そういう風に社会が動けば、若いうちは資産運用で金を増やすよりも、どうやって現業を作っていくかに時間を割いたほうがいいか、というふうにはなると思います。
金融的な部分と現業的な部分の歯車が上手に噛み合って機能するような社会にしていきたいですよね。

──同世代で株式投資などの話をすることがありますか?

僕も株を買いますが、そういう話は周囲とはあんまりしないですね。でも確かにしないのはよくないですよね。普通に「お金は汚いもの」と思っている人がまだいっぱいいるんじゃないかな。学校教育でもやらないですから。これは問題ですよね。

お金という発明品の本質を学ばせないと、未来にお金とか貨幣とかの意義や立ち位置がどう変わっていくかを考える機会がなくなっちゃいますよね。短期的な金融という観点も必要だし、長い目で見るときに人類史のなかでも相当大きな発明である貨幣というものの本質を理解しないと、それを乗り越えるものを作っていけないじゃないですか。

僕個人としては社会性を可視化してそこに貨幣的な価値をどうつけるかをテーマとして持っているので、お金のありかたを、本質に基づいて考えていきたい。そして、そういうことを考えられる人を増やしたほうがイノベーションの確率も上がると思うんです。その意味でも、人類社会とお金や貨幣の関係を考える機会を学校教育が避けているいまの状況は危険だなと思います。もっと教えたほうがいい。(ZUU online 編集部)