ゲーテは、ヴィルヘルム・マイスターの友人ヴェルナーに、「複式簿記は、人間の精神が発明した最もすばらしいもののひとつだ」と語らせている。

その最高級の発明品を引っ提げて、巷の経済論議の嘘八百やまやかしを暴いてみせるのが著者の三橋貴明氏だ。本書は、個人や企業、市中銀行や日本銀行のお金のやりとりについてバランスシート(賃借対照表)を用いて説明し、一般に見過ごされがちな「お金」の本質を理路整然と解き明かしている。

『日本人が本当は知らないお金の話』
著者:三橋貴明
出版社:ヒカルランド
発売日:2016年12月31日

ミダス王の寓話と「お金」の本質

お金の本質
(画像=Webサイトより)

ギリシャ神話にミダス王の寓話がある。古代プリュギアのミダス王は手に触るものすべてを黄金に変える力をディオニュソス神から授かったが、その力のせいで、水や食物までもが黄金と化し、飢えに苦しむ。アリストテレスの『政治学』に引用されたストーリーでは、王は飢え死にしてしまう。

さて、この寓話から何を読み取るべきか? 拝金主義への戒めか? むろん、それもあろう。

だが著者が着目するのは、「人間はどれだけ莫大なお金があったとしても、水や食料を口にできなければ死んでしまう」という点である。人間の生存には、多様なモノやサービスが生産され、「需要」が満たされなければならない。しかし、お金は「モノでもなければ、サービスでもない。」

そもそも「お金」とは何か? これについては、アリストテレス、アダム・スミス、ジョン・ロックらの貨幣観がいまだに根強い。お金は「物々交換から進化した交換用の商業用具」であり、金(きん)や銀といった貴金属の価値を担保とし、それ自体が財産であるとする考え方である。

それを「狂気の貨幣観」と呼ぶ著者は、お金とは「債務と債券の記録」にすぎないと述べる。そして、お金の持つ内在的な価値は、「貴金属の重量」にではなく、「購買力」にあるとする。さらに「お金の担保とは、究極的にはその国の国民が保有するモノやサービスを生産する力、すなわち経済力」であると主張する。

国民経済を視座に据えた積極的発言