われわれは“なぜ”お金を使うのか? お金とは“何”なのか? お金は“どのように”使うべきなのか? 本書は、これらの問いを生物学、脳科学、心理学、人類学、宗教、芸術など幅広い観点から考察した独創的で刺激的な一冊である。

原書の副題は、「お金の豊かな生きざま、その歴史が人類の発展にいかに影響を与えてきたか」とある。邦訳はlifeを「一生」としているが、酸いも甘いも噛み分けてきた(生命体としての)お金の歩みは、敢えて「生きざま」と表現したほうがしっくりくる。

著者のカビール・セガール(本人の発音では「セイゴー」)氏は、米電子決済処理大手の企業戦略担当者である。2008年9月のリーマン・ブラザーズ経営破綻のときJ・P・モルガンのニューヨーク事務所で働いていた著者は、大統領選挙戦でスピーチライターを務めたり、音楽プロデューサーとしてグラミー賞を二度も受賞したりするなど、多方面で才能を発揮している。本書もまた、著者の旺盛な探究心と果敢な行動力の賜物といえる。

貨幣の「新」世界史――ハンムラビ法典からビットコインまで

著者:カビール・セガール
訳者:小坂恵理
出版社:早川書房
発売日:2016年4月22日

お金の過去から未来へ

『貨幣の「新」世界史――ハンムラビ法典からビットコインまで』
(画像=Webサイトより)

世界を翻弄し、人びとを著しく不合理な行動に駆り立てるお金とは、そもそも何なのか? 「交換の手段、価値の尺度、価値の保存」というのが従来の理解である。だが経済機能にのみ着目したそうした見方では、多面的なお金の全体像を捉えきれない。著者がたどり着いたのは、「価値のシンボル」という定義である。お金とは「何か価値のあるものや大切なものの象徴」という捉え方である。本書では終始、この定義に則って考察が進められる。

人類が生き残るためには、他者との共生・協力関係を維持しつつ、交換行為を通じて必要な食物や資源を確保しなければならない。それに必要な道具や手段を人類は絶えず更新してきた。長い時間をかけて、高い表象的能力(抽象的な思考を大きな社会全体で具体化する能力)を身につけた人類は、ついにお金を発明する。著者はそれを生物学の知見に拠りつつ、旧石器時代の洞窟壁画や古代遺跡の出土品を観察することによって確認している。

次いで著者は脳の内部を覗き見る。そこでは心理学や神経科学、さらに神経経済学の研究が重要な意味を持つ。脳画像化技術の利用によって、金融・投資上の意思決定に際しての人間の脳内の動きが明らかとなり、感情や遺伝子による影響の可能性が見いだされる。

「合理的な人間が合理的な市場を形成する」という従来の見方は崩れる。ただしそれですべて決まるわけではない。お金をいかに解釈し利用するかの判断は、「社会規範、文化的儀式、社会的信念」、その他の要素の影響も受けるからである。

著者の視点は、人間の脳から社会の脳(集合知)へと移る。「お金の先祖は物々交換ではなく負債だった」という一部の人類学者の主張を手がかりに、世界各地に足を運ぶ著者は、様々な先住民コミュニティにおける債務や贈与の文化(ポトラッチなど)について調査している。贈与経済から市場経済への移行に注目する著者は、「社会的債務が市場の債務に変換されることによって、賦役や奴隷制など良からぬ慣習が定着してしまう」と述べている。

本書はさらに、ハードマネーからソフトマネーへの貨幣形態の変遷をたどり、未来の貨幣の姿にも想像を馳せる。決済システムを体内に埋め込む「ニューラル・ウォレット」の実現はそう遠い先の話とは思えない。ただし今後の世界の流れや、人間と機械の関係がどのように進むにせよ、お金は「価値のシンボル」という事実が忘れられないかぎり、人間のお金の使い方が根本的に変わることはないであろう。

神と金(かね)