文明の視点から経済を見つめ直す試み、それが本書で展開される「経済文明論」である。なぜ文明的な視点が必要なのか? たとえば組織の集権/分権という点に着目してみると、近代文明の進展にともなって、富の再分配、相互扶助、自給自足、モノやサービスの交換取引といった経済社会的機能を担うものとして、国家、コミュニティ、家族、市場という組織形態が発達してきた。
それらが織り成す複合的で多様な近代の社会構造を通時的(歴史的)かつ共時的(同時代的)に捉えるためには、広く長期的な視野を持つ文明という視点に立つほかない。それが、本書の基本的な構えである。
『 貨幣・勤労・代理人 経済文明論 』
著者:坂井素思
出版社:左右社
発売日:2017年8月7日
経済文明と「思考習慣」
そもそも「経済文明」とは何か? 本書の叙述から拾ってみると、最も広い意味では、「人間と物質との関係」であり、「人間同士の関係に止まらず、道具として使われるモノの在り方に(中略)反映される人類のあり方」を指している。やや狭い意味では、人間と物質との間の「生産的かつ支配的な関係」であり、「思考習慣として成立する経済の考え方」をいう。またそれは、「経済の背景にあって、全体に関係を及ぼすような思考習慣」であり、「複合的に現れ、補完的・周辺的に集積され、長期的にかなりの影響力を持つ」ものである。
経済文明を初めて経済学の対象としたのは、アメリカの経済学者ソースタイン・ヴェブレンだという。ヴェブレンは、「経済のなかで、個人と個人を強く結びつけたり、個人と社会の関係を長期的に支配したりするような経済関係」を「思考習慣(habit of thought)」、またその一部として「制度(institution)」と呼んでいる。この意味において、貨幣であれ、市場であれ、企業組織であれ、すべてそれらの「経済的構築物」は、人びとの思考習慣であり制度なのだといえる。
経済文明が発展すると、市場は拡大し、組織は大規模化する。規模の経済を活かすために、組織を大きくすればするほど、専門分化が進み、代理人(エージェント)への依存度が強まる。それにともなって、組織内では成員の貢献・勤労意欲が低下する一方、依頼人(プリンシパル)本来の目的に反して代理人が自らの目的を優先した行動をとるようになる「エージェンシー・スラック」問題が生じるという。このエージェンシー問題にかんする本書の解説は、エンロン事件や東芝不正経理事件などの背景にある構造を理解するうえで参考になる。