(本記事は、パスカル・ブルュックネール氏の著書『お金の叡智』かんき出版、2018年4月16日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

お金の叡智
(画像=Webサイトより ※クリックするとAmazonに飛びます)

【『お金の叡智』シリーズ】
(1)税金は貧乏人が払うものーー「超金持ち」は古くさい習慣に憤慨?
(2)バフェットの「パワーランチ」のからくりーー民主主義の活力は何で測られるか

税金は貧乏人だけが払うものか?

お金の叡智
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新しい僭主階級が一般人の世界を越えようとする傾向を示すのは、社会のルールを無視すること、その第一歩は税金の支払いを無視することだ。

税金逃れと競争的な移住の名手たるこのような金持ちは、大量の税専門家や弁護士を雇い、一般市民が負わされている義務を逃れる。

一部は自分の国に投資しないことを選ぶので、外国口座税務コンプライアンス法(FACTA)が2011年に可決されると、9000人のアメリカ人外国移住者たちは、自分の国籍を捨てた。この法律は外国銀行がアメリカ市民の持つ口座について、すべての情報をアメリカの税務当局に伝えるよう義務づけるものだ。

タックスヘイブンのマネーロンダリングや、大企業における税の最適化は、税負担が他より軽いところですら通常のやり口になっている(平均では、ヨーロッパでアマゾンとグーグルは、中小企業の支払うパーセントよりはるかに低いパーセントの税率になっている)。

それがあまりにひどいので、ウォーレン・バフェットをはじめとする億万長者たちは、「ニューヨーク・タイムズ」紙にオバマ大統領(当時)宛の声明を出し「腐るほど金を持っている連中を甘やかすな!」と述べて、政府が年収100万ドル以上の人全員について税金を増やせと要求している。

一般に、この「鷹揚な」金持ちによる訴えは、税金など平民向けの古くさい習慣だと考える超金持ちたちには憤慨された。

1989年に、ニューヨークのホテル業界の女王レオナ・ヘルムズリーは脱税で起訴され、保釈なしの1年の懲役刑を受けた。

裁判の間、彼女の家政婦はヘルムズリーが、「私たちは税金なんか払わない。税金を払うのは小者たちだけよ」と言うのを聞いたと証言した。

これは時代の全精神をまとめているようである。富裕層の一部は、自分たちが一般人類より上に暮らす、優れた精神を持つ孤立した集団なのだというフィクションを維持したがっている。

税負担が過剰ならそれを疑問視できるが、特権階級が、自分に教育や世話という形で与えられたもののごく一部すら、社会に返済したがらないというのはいささかショッキングなものがある。

万人の富裕化につながらず、財団、学校、病院、集団に有用な活動につながらない個人の富裕化とは何だろうか?

ここにかかっているのは、まさに中産階級の生存そのものだ。彼らはプロレタリア化のハンマーと、富裕の金床の間にはさまっており、そして税金を即金で払うはめになっているのだ。

金持ちは自分自身を守り、お互いを守りあい、あらゆる競争を防ぐ見事な独占を行使している(ジョセフ・スティグリッツ)。

経済学者ヨーゼフ・シュムペーターの有名な表現を受け入れて、市場が創造的破壊を特徴とするなら、それはまた破壊的破壊も特徴とする。金融の一部の部門は、「ハゲタカファンド」の襲撃や、嘘つきの現行犯でつかまってしまった格付け機関や、最高の企業の崩壊などで、そのシステムを少数の人々の便益のために清算しようとする。

これは現在の危機における彼らの罪状を圧倒的なものとしている。というのも彼らは経済を弱め、万人の市場へのアクセスを阻害しているからだ。この荒廃の疫病において、消滅しつつあるのは古典的なブルジョワだ。彼らはプチブルとはいえ、やはり責任がある存在だ。

フランスの小説家バルザックいわく、お金はそれがとんでもない量で存在するときにだけ権力になると述べた。それは人を文明化するものだが、限度がある。その先には、お金が野蛮さの仲間になる点が待っている。暴力的な啓示に奉仕するために、お金がかなりの財力を費やすようになる点だ。これはギャングやテロリストの暴力の光景が示す通りだ。

古いブルジョワは絶えず、支配階級を破壊してそれを食い尽くした、とフランスの歴史学者フェルナン・ブローデルは述べている。

貴族は「そのさび付いた肩書きを財務屋どもの娘」に売った。華々しくはなかったし、必ずしも笑いものにならずにすんだわけでもない。

でも少なくとも、古いブルジョワは高踏文化に魅了され、それを引き出して広める必要性を感じていた。

古いブルジョワは、「有益なものと快適なものに秀でる」方法を知っていた(ヴォルテール)。古いブルジョワたちは、アンチヒーローと呼ばれ(ホイジンガ)、ケチと呼ばれ(バタイユ)、恐怖に動かされたが、自分を高める方法を知っていた。自分自身に反する思考ができたし、自分自身のステレオタイプ破壊に参加できた。

最近の真のブルジョワとは、自分自身の階級を軽蔑し、反逆者を演じ、絶えず己を矮小化することを誇りに思う人物だ。

だからブルジョワは、ドイツの小説家トーマス・マンが『ブッデンブローク家の人々』で述べたように「実益の貴族」であり、進歩と厚生を重視しているのだ。高貴さはもはや生まれながらに人に備わるものではなく、節操と労働と才能に基づいて自分で獲得するものなのだ。

どんな時代にも金持ちが生活の技芸のお手本を自ら生き、背負っていたことを忘れてはいけない。今日彼らを軽蔑すべきなのは、世界を支配したがるからではなく、野心がないからだ。広大な使命を短命な快楽と交換してしまったからだ。

「きわめて発達した文明は、豪勢と富と不可分なのだ」とドイツの歴史学者オズウァルト・シュペングラーは述べた。

大パトロンたち、メディチ家やロスチャイルド家、カモンド家、ペレイレ家、ギリシャのオナシス家やニアルコス家、あるいは現代ならフランスのベルナール・アルノーやフランソワ・ピノー、アメリカのジェフ・ベゾスやイーロン・マスク(宇宙征服のため)、中国なら鄭志剛や劉益謙、インドならタタ一族やアジム・プレミジの責務は、その巨額の富を人類の奉仕に向け、卑しい金属を美と鷹揚さに変えることだ。

そうなって初めて、エリートたちは数学的偶像のためにすべてを犠牲にしたお金人間という無味乾燥ぶりから逃れることができるのだ。

パスカル・ブルュックネール(Pascal Bruckner)
1948年生まれ。哲学と文学を修める。パリ政治学院で教鞭をとるかたわら、作家・エッセイストとして活動している。哲学的エッセイから小説まで幅広いジャンルを手がけている。邦訳書に『無垢の誘惑』(法政大学出版局)、ポーランド出身の映画監督ロマン・ポランスキー監督によって映画化された小説『赤い航路』(扶桑社)などがあり、多才ぶりを発揮。多数の著書があり、これまで翻訳された数は24カ国に及ぶ。