「秋の日は釣瓶落とし」とはよくいったものだ。秋分を過ぎると日が暮れるのが早くなり、そして釣瓶を落とすかの如くあっという間に日没となる。昔から人々はこの時季を秋の夜長といって風流に季節を愉しんできた。時代が変わり、現代人の私たちも音楽や書にふける人、お酒や食事をゆっくり愉しむ人、あるいは家族や友達との親交を深める人など、秋の夜長をそれぞれの愉しみ方で過ごしている人も少なくないだろう。その一方で、つい夜更かしをして寝不足になる人も多いのがこの季節。読書好きの筆者も毎年この季節になると悩まされるのが睡眠不足だ。

 そもそも最適な睡眠時間とはどのくらいなのか。一般的には7~8時間くらいといわれているが、専門家によると少し意味合いが違ってくる。私たちが生まれ持った生体リズムには個人差があり、起きたときにスッキリ目覚めることができれば、それがその人に適した睡眠時間の目安だという。人は眠っている間、脳が完全に休んでいる深い眠りの「ノンレム睡眠」と、身体は休息していても脳が活動している浅い眠りの「レム睡眠」を繰り返していることはよく知られている。1回の周期は約90分といわれ、レム睡眠中に目覚めると快適に起きることができる。最近は、眠りの浅くなった最適なタイミングで心地よく起こしてくれる商品も開発されるなど、睡眠は何時間眠るかよりも「いつ起きるか」が重要といえる。

 人生のおよそ3割を占める睡眠。昔は休息程度にしか考えられていなかったが、現在では食事、運動、飲酒、喫煙など、他の生活習慣と同様に私たちの健康と深く結びついていることが多くの人に知られるようになった。当研究所が今年7月に発刊した「ライフデザイン白書2015年」でも、健康に関して心がけていることのトップに「睡眠や休養を十分とる」ことがあげられている。多くの人が睡眠の大切さを感じていることがよくわかる。

 その一方で、私たち現代人は生活の夜型化がすすむにつれ、明らかに眠らなくなってきている。日本人の睡眠時間はこの半世紀で1時間も減少したといわれている。世界的にみても日本人の睡眠時間が短いことは有名だが、有職者に焦点をあてると、さらに日本の睡眠事情が浮き彫りになる。総務省統計局労働人口統計室の「平成23年 社会生活基本調査」によると、日本の有職者の睡眠時間は調査対象9カ国の中で最も短い。著しく短いのは日本の女性有職者で、最も長く睡眠を取っているフランス女性と比べると1時間以上も短いから驚きだ。また日本人はやはり働きすぎのようだ。2014年のOECD(経済協力開発機構)の発表では、加盟26カ国のなかで日本人が最も長く働いている。とりわけ、日本男性の平均労働時間は加盟国平均より2時間近くも長く、最も短いフランス男性のなんと2倍以上も働いている。

 このように世界有数の「短眠長時間労働」大国ニッポン。それを象徴しているのが朝の通勤電車の風景ではないか。座席に着くなり勤労者と思しき多くの人が居眠りをはじめる。なかには膝をガクガクさせながら必死につり革に掴まったまま眠っているつわものもいる。そして降車駅が近づくと目を覚まし、何事もなかったかのように降りていく。私たちには見慣れたこの光景。以前、豪州人の知人が「とても興味深く滑稽だ」と語っていたのを思い出す。

 国もこうした日本人の睡眠時間を懸念し良い睡眠を推奨している。厚生労働省健康局が昨年発表した「健康づくりのための睡眠指針2014」では、午後の早い時刻に30分以内の短い昼寝をすることが、勤労世代の疲労回復や作業能率の改善につながるとしている。いわゆる職場での午睡だ。最近ではパワーナップと呼ばれ、世界的なIT企業やNASAなどの国家レベルの組織では既に導入されているところもあり、その高い効果が実証されている。ポイントは深い眠りに入るとされる30分以上は眠らないこと。そこが単なる昼寝との大きな違いだ。しかし、日本の企業ではまだ十分に浸透していない。真面目で働き者、個人より集団を優先することが美徳とされてきた日本では、職場での昼寝は怠慢で、だらしなく、さぼっている印象が根強いのは否めない。

 こうした日本独特の価値観や文化が、合理的なパワーナップ導入の足かせになっているのかも知れない。だが、ひと昔前にはオフィス内や館内全面禁煙など考えられなかったように、昔の非常識が今の常識などということは山ほどある。もしかすると職場で一斉に昼寝をとる光景があたり前の時代が、それほど遠くない将来到来するかも知れない。

 人生90年ともいわれる時代。その30年近くを私たちは寝て過ごしている。しかし、無意識のうちに心と体の健康を支えているのが、この30年にも及ぶ睡眠なのだ。決して疎かにはできない。忙しい毎日に追われがちな現代人。これからの秋の夜長、夜更かしに代えて自身の健康と睡眠について、一度ゆっくり考えてみるのも良いかもしれない。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 ライフデザイン研究本部長 松丸 一弥