年金・医療・介護という高齢者対象の福祉政策に比べて、遅れが目立つ子育て支援政策も社会保障と税の一体改革の重点政策の一つとなった。2012 年度の社会保障給付費予算110 兆円のうち子供・子育て予算は4 兆7,000 億円程度で、GDP(国内総生産)の1%に達した。出生率が2.0 近くになった大方の国では家事と育児の両立を支援する家族政策にGDPの3%前後を投じている。やっとGDPの1%になった現在の日本に北欧、英仏並にせよといっても非現実的だが、少なくとも子育て支援環境も経済も良くなり、「明日は今日よりもよくなる社会」という希望を持てれば出生率も回復するだろう。
保育と就業の両立支援が重要なのは、それが「未来への投資」であり、先進工業国では人口と就業人口の増減が長期的には国の活力を左右するからだ。社会保障・人口問題研究所の日本の将来人口推計(中位推計)では、2010 年に1億2,800 万人の日本人口は、50 年後の2060 年には8,674 万人へと32.3%減る。経済を支える15~64 歳の生産年齢人口に至っては46%も少なくなり、65 歳以上の高齢者の比率は2060 年には40%近くになる。先進国中心の経済協力開発機構(OECD)諸国で1999 年以降、生産年齢人口と労働人口が減少してきたのは日本だけである。その傾向が今後も続くと政府は推計する。だが幸いそうはならない。長らく低下傾向から抜け出せなかった合計特殊出生率が2006 年から6年連続で上昇しているからだ。2009 年と2011 年の出生率は前年と同じと報道されているが、不況だったにも拘わらず、実はいずれの年にも微増している。
欧米の最先進国群の米英、フランス、北欧4カ国でも何年か前までは出生率が下降線をとっていた。それが1990 年代中葉からU字型に反転して緩やかな上昇に転じ、現在は1.8~2.0 前後にまで回復している。英科学専門誌ネイチャーが2009 年8月号に出生率の反転を裏付ける論文を載せて、出生率反転の趨勢は国際的にも認知されるようになった。
先進工業国で出生率を引き下げる大きな要因は、経済発展に伴う女性就業の一般化に、子育てと就業を両立させるに必要な制度・慣行・政策がついていけないことにある。1970 年頃から日本でも女性の就業が普及し始め、女性就業率の上昇、女性の初婚年齢の上昇、出生率低下という悪循環に陥った。就業などの経済構造が変化したのに、制度や慣行が適応しないために生じる問題を、デンマーク出身の福祉国家論で有名なエスピン・アンデルセンは「不完全革命」と呼ぶが、出生率低下問題はその最たる例である。近年の日本の経済社会問題には日本的経営の衰退のように、市場化・IT化・国際化への対応の遅れからくる不完全革命に類する問題が少なくない。
両立支援体制が整い、明日は今日よりもよくなると期待できれば、子供を持ちたい者も増える。内閣府が29~49 歳男女を対象に2010 年に行った国際意識調査では、北欧、米仏では子供を増やしたい者が80%近くかそれ以上だったのに、日本では50%以下だった。今の日本は「明日は今日よりよくなると期待できる社会」(野田総理の施政演説での言葉)ではないが、明るい展望が開ければ、出生率のU字型回復が促され、労働人口の減少も食い止められるだろう。
女性就業と子育ての両立支援政策は、出生率を高めて将来の就業人口を増やす上に、女性就業率の向上で就業者が増えるので経済成長にも寄与する。先進工業国で就業者が増えている国は活力があり、概して経済成長率も高い。日本には失業者以外にも、不完全利用の労働力の大きなプールがある。第一に、仕事・育児が両立可能なら働きたい女性を支援して女性の就業率を北欧・アメリカ並みにしていけば就業人口の減少を緩和できる。第二に、人口高齢化で増加する仕事意欲旺盛な定年退職者も適切な仕事さえあれば働く。第三に、就業者人口の3分の1 に達した非正規労働者がフルに働らけるようにする積極的労働市場改革が、日本経済再興への道になるし、出生率改善にも役立つだろう。昨年の東日本大震災後の日本経済の成長は、はからずも総需要さえ創出すれば、経済は成長することを実証する結果になった。経済停滞も雇用需要不足も経済学者と政策の責任である。一体改革で供給不足の介護、保育、医療等の福祉サービスが増える。環境・IT・国際金融部門の拡大で総需要も労働需要も増えるし、実質GDPも成長する。
増税による社会保障充実に加えて、これを実現することも一体改革の課題である。(提供:第一生命経済研究所)
尚美学園大学名誉教授 丸尾 直美