ライフデザインはあくまで個人が自らの価値観に基づき、自ら作り上げ、実行していくものであることは言うまでもない。では、なぜ当研究所がこれを研究した上で個人に還元するライフデザイン普及・啓発活動を行う必要があるのか。その今日的意義はどこにあるのか。

 それは近年、個人の生活の実態を見たとき、もっぱら賃金を得るための活動に費やされる時間や神経が著しく増してきたことにかかわりがある。別の言い方をすれば、行き過ぎた市場経済の圧力が個人の本来自立的であるべき自由時間や家庭生活にまで及んできているとも言える。

 かつて私も家に帰ってからも仕事のことで頭が一杯というときもあった。考えてみればその時「今という二度とない機会」をみすみす無駄にした面もあったという気がしないでもない。もちろん仕事は大切である。しかし、仕事中心の考えが、自覚ないままわれわれの生活のすべてに及んできていたことに今更ながら驚かされる。

 昔は、といってもそれほど大昔ではないが、大勢の家族の下、お互いが相互扶助の形で生活を営んできた。時に近所の共同体的な結びつきの中で問題解決が図られる事もあった。少なくとも高度成長期に入るまでは、一部の人がそれなりの所得を得るため仕事についている場合、外で働かない人や働けない人も家族の中でそれなりの役割を果たし、皆で支えあって生きてきた時代であったと記憶している。

 ところが、核家族が多数となり所得を得られる仕事が生活のすべてであるような時代に変化してきた。所得がなくなる失業は社会の最大の問題となっている。言わば会社に繋がってしか生きていけない時代の到来ともいえる。さらに今日では、会社で働いている個人の本来の生活すら自立性を失いかねない事態である。

 最近、仕事と生活の調和すなわちワーク・ライフ・バランスの必要性が叫ばれているのも社会がこの行き過ぎに気がついたからではないか。その点で、例えばワーク・ライフ・バランスを少子化対策や男女均等政策としてのみ捉える事は一面的といわざるを得ない。もっと深い問題提起と捉えるべきものである。ましてや企業の雇用政策手段として論ずることも本質を捉えているとは言いがたい。

 ここで重要なことは、会社に頼る生活に慣れた個人が会社中心の発想しかできなくなっているということである。そうなればせっかくのワーク・ライフ・バランスもその使い方がわからないまま恩恵的な休息時間を得たに過ぎないものになりかねない。さらに会社を退職後は自己の存在を証明するものを失い、不安にさいなまれる人も少なくない。退職後何をやったらよいのか。将来不安が頭をもたげてくるのである。これまで会社に属していることで、何も考えてこなかった「つけ」が回ってきたという側面は否定できないにせよ、時代がそうさせた面もあろう。

 さすれば、これまで個人自ら、または大家族の中で自然と会得してきたかもしれない生活スタイルやノウハウを個々人に提供する活動が今日、より重要な意味を持ってきたと言える。また企業もワーク・ライフ・バランスの重要性を認識している以上、積極的に情報や支援活動を従業員に提供する役割があると思う。そのための材料となるライフデザイン普及・啓発活動は、生活に悩み、新たな人生のきっかけを求めている個人や、従業員のためにより良い経営を模索している企業に役立つものと考える。

 こうした観点からその内容を充実していけば、それは今日、最も意義ある活動のひとつとなるだろう。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 特別顧問
山口 公生