要旨
① 就労から完全にリタイアした男性高齢者を対象に調査した結果、仕事からのリタイアは「自由な時間が増え、好きなことができる」という肯定的な評価が74.0%と最も多く、マイナスの面では「経済的に苦しくなる」(28.2%)が最も多かった。
② 仕事からのリタイアは、総合的にみて「プラスに作用した」が22.7%、「どちらかというとプラスに作用した」が29.8%と、両者合わせて52.5%と過半数がプラスに評価していた。
③ リタイアの総合的な評価に、どのような項目が影響しているかについてみると、「自由時間」「経済的生活」「目標設定」といった領域で肯定的に評価することが、総合評価を押し上げることが分かった。
④ リタイアの総合評価の高いことと現在の生活満足度は強い関連性が見られた。
1.調査研究の背景と目的
(1)サラリーマンにとってのリタイアの意味
サラリーマンにとって仕事とは、①生活を維持するための所得をもたらし、②毎日の生活行動を秩序立て、③個人にアイデンティティの感覚を与え、④社会関係の基礎となり、⑤人々に有意義な人生体験をもたらすものである(岡村ほか 1997)。このような意義のある仕事からリタイアすることは、相当の混乱、ストレスを退職者にもたらすものと考えられる。つまり、仕事からのリタイアはマイナスのライフ・イベントとして捉えられるのではないだろうか。しかしながら、その反面、仕事から解放され、自由時間が増えるなど、プラスの面も多い。
これまでの我が国での先行研究では、職業からのリタイアについては否定的・肯定的のいずれの影響もないとする結果が示されている(杉澤ら、2006)。ただし、実際に仕事からリタイアすることは、単に肯定、否定といった単純な評価だけでは論じられない面がある。たとえば、対人関係では、それまでのわずらわしい職場の人間関係から解放されるというプラスの面もあれば、これまで築き上げてきた人間関係が失われるといったマイナスの面もある。これらの諸側面、諸領域の評価があって、はじめて総合的にみてリタイアがプラスだったのか、あるいはマイナスだったのかが決まるのではないだろうか。
本調査研究では、リタイアの持つ意味を多角的に分析し、それと同時に総合的にみてリタイアがプラスだったか、マイナスだったかの評価との関連性をみてみたい。さらに、そういった評価がリタイア後の現在の生活満足度とどのように関わっているのかを検討してみたい。
(2)アンケート調査概要
上記の目的のために、完全リタイアした高齢男性を対象としてアンケート調査を実施した。実施概要は以下のとおりである。 1)調査対象者:当研究所生活調査モニターとその家族で、60~79 歳の男性を抽出した。
2)調査対象地域:全国
3)調査時期:2006 年11 月
4)調査方法:郵送法
5)回収状況:発送数 791 名、回収数 699 名(回収率 88.4%)
6)データのスクリーニング 調査目的に該当する無職男性だけを取り出した結果、497 名が分析対象となった。
7)対象者の属性 分析対象となった対象者の属性は図表1のとおりである。なお、「リタイア年齢」とは、定年退職後も色々な形で就労する人も多いが、そういった仕事も含めて、完全に職業から引退した時の年齢を表す。また、最長勤務先は、これまで勤務していた勤務先の中で、最も長く勤めていた先が官公庁か、民間企業か、また民間企業であればその企業規模を表すものである。
2.リタイアに対する評価
(1)仕事からのリタイアの感じ方
1)リタイアの評価 仕事から最終的にリタイアしたときにどのように感じるかを調査した。調査は「人間関係」「組織帰属」「経済生活」など8つの領域で、プラスに作用したのか、マイナスに作用したのかを、図表2に示すような具体的な質問文を提示して行った。これによると、最も多い回答は、自由時間の領域で「自由な時間が増え、好きなことができる」の74.0%であった。第2位が人間関係の領域で「わずらわしい人間関係から解放される」(40.2%)であった。さらに第3位には目標設定の領域で「新しい目標や人生が開ける」(29.4%)が挙げられている。ここまでは、すべてプラスの選択肢が挙げられており、全体として仕事からのリタイアはプラスに評価されている傾向が読みとれる。第4位は経済生活で「経済的に苦しくなる」(28.2%)、第5位が情報接触分野で「接触する人や情報が減る」(25.8%)とマイナス評価となる項目が挙げられている。しかし、多くの分野で、プラスの項目のほうが、マイナスの項目よりも回答割合が高かった。マイナス項目がプラス項目を上回っているのは経済生活、情報接触のみであ った。
2)リタイア領域別得点 それぞれのリタイアの評価領域は、プラスの項目とマイナスの項目の組み合わせから構成されている。ここでは、プラス項目を選択した場合にはプラス1点を、マイナス項目を選択した場合にはマイナス1点を与え、対象者の領域別の得点を算出した*1。したがって、得点は、+1、0、-1のいずれかが与えられる。これらの対象者の領域別の平均得点を算出し、リタイア年齢別に比較したものが図表3である。これによると、人間関係、組織帰属、経済生活、自由時間については、どちらかというとリタイア年齢が低い方が得点が高い傾向にある。特に、人間関係では59歳以下と、66歳以上では0.4ポイントの差がみられる。しかしながら、目標設定、情報接触、社会との関わり、自己実現ではリタイア年齢間にあまり差がみられなかった。
(2)リタイアの総合的評価
個々の領域での、リタイアの評価とは別に、総合的にみて仕事からのリタイアをどのように評価しているかについて調べた。全体としては「プラスに作用した」は22.7%、「どちらかというとプラスに作用した」が29.8%となっており、合わせると52.5%と半数を超えていた(図表4)。これをリタイア年齢別にみると、リタイア年齢が低いほ ど「プラスに作用した」と回答する割合が高かった。リタイアする以前で最も長く勤めた勤務先の特性による分析では、民間企業の「1,000人未満」の中堅企業で「プラスに作用した」の割合が28.6%と最も高かった。官公庁勤務者は「どちらかというとプラスに作用した」を含めると、民間企業の「1,000人未満」「1,000人以上」とほぼ同等となる。最後に、定年退職した後にさらに勤務を続けたか、あるいはすぐにリタイアしたかによって評価が異なるかを調べたが、完全リタイアした人が「プラスに作用した」と回答する割合が高かった。
(3)リタイアの総合的評価に与える要因
1)個別領域の評価別にみたリタイア総合評価の分布 それでは、こうしたリタイアに対する総合評価に、個々の領域評価がどのような関連を持っているかを次に分析する。先にも述べたように、各対象者は各領域評価(図表2)毎に+1、0、-1の得点が与えられる。そこで+1を肯定的評価、0を中立的評価、-1を否定的評価と判断して、各領域別評価での総合評価の分布を検討してみた。
図表5は目標設定の領域を例にとって評価別に総合評価の分布を表したものである。これによると、肯定的に評価したものでは、総合評価で「プラスに作用した」が40.6%、どちらかというとプラスに作用した」が39.9%であった。これに対して、目標設定を否定的に捉えている場合、それぞれが4.1%、13.5%となっており、肯定的評価者と大 きく異なった結果が得られている。要するに、個々の領域での評価が全体の総合評価と密接に関連していることが示されているのである。
ここで、総合評価の評価得点を「プラスに作用した」を5点、「どちらかというとプラスに作用した」を4点、以下「マイナスに作用した」に1点を与えて加重平均を求めてみると、図表5に示すように、目標設定を肯定的に評価する人は4.15点と、中立、否定的と捉える人より高い数値となっている。
2)リタイア総合評価得点に影響を与える個別領域評価 これらの個々の領域ごとの評価が、リタイア総合評価に影響を与えることが分かった。次に、こうした8つの領域の個別評価で、その領域の評価が総合評価得点にどのように影響を及ぼしているかを明らかにするために、個別評価得点を説明変数として重回帰分析を行った。なお、ここに、リタイア年齢も説明変数として取り入れた。図表6はその結果である。これでみると、標準偏回帰係数が大きい領域として自由時間、経済生活、目標設定が特に総合評価に影響を及ぼす領域であることが分かる。これに対して、人間関係、社会との関わりや情報接触については、特に有意な関連性が見られなかった。さらに、リタイア年齢についてみると、係数の符号がマイナスであり、統計的に有意な関連性を持っている。このことは、他の要因を制御しても、リタイア年齢が低いことがリタイアの総合評価を高くしていることを示している。
3.リタイア評価と現在の生活
今回の調査では、仕事からのリタイアのとらえ方は、非常に肯定的であった。リタイアの総合評価を見れば「プラスに作用した」と考える人が実に52.5%と過半数を占めていた。リタイアのとらえ方として「自由な時間が増え、好きなことができる」が圧倒的な支持を集めていた。さらに、「わずらわしい人間関係から解放される」「新しい目標や人生が開ける」といったプラスの面を評価する人が多かった。
これまでは、定年退職は「毎日が日曜日」でやることがなく、「ワシ族」とか「ぬれ落ち葉」などと、妻の後を追うといった生活を想像させるようなマイナスのイメージが強かったように思われる。その点からみると、今回調査では極めてプラスのイメージで捉えられていることが分かった。
リタイアの年齢と、リタイアの評価に関して、中里ら(1997)の研究では50歳代でリタイアした群は精神的健康が悪化、60歳代でリタイアした群は変化なし、65歳以上でリタイアした群は改善するなど、年齢が低いうちにリタイアすることがマイナスに働いていることが示されている。これに対して、今回の調査結果では、リタイア年齢が低い方がリタイアをプラスに評価している結果が得られている。確かに、測定内容が精神的健康と、リタイアのイメージという点で異なっていることや、前者が同一人を3年間追った縦断研究であり、今回調査が一時点の横断研究という方法の違いはあるが、結果が相反するという点で興味深い。これは、前者の調査研究が1991年に対して、今回調査が2006年という時期の違いが大きいことによるのではないかと考えられる。現在のほうが、定年後の就労機会が増大し、職業からの完全引退は、強制ではなく本人の意志によるところが大きいために、若いうちに引退できることは、その準備が進んでいたことを意味しているように思われる。すなわち、早い引退を選択的に行ったという意味で、リタイアをプラスに評価しているのではないかと推測される。
リタイア時に感じた、こうした評価は、その後の生活にも何らかの効果をもたらしていると考えられる。その後の経緯はともかくとして、現在の生活満足度をリタイアの評価別にみると、プラスに評価するものほど現在の生活満足度を肯定的に評価するものが多かった(図表7)。
2006年4月から施行された「改正高年齢者雇用安定法」は、60歳定年制を敷いている企業に対して、定年延長するか、勤務延長するか、あるいは再雇用などで65歳までの就労機会の確保を求めている。我が国では、高齢者の労働力率は諸外国と比較して高くなっており、定年退職になっても就労意欲は極めて高い。したがって、60歳に定年退職したからといって、直ちに無職になる割合は低い。これまでは、定年=無職という暗黙の了解があったと考えられるが、今後は、それぞれ仕事からリタイアして、完全に無職になった状態を調査し、高齢期の生活を把握することが求められる。
1947年~49年に生まれたいわゆる団塊世代は2007年から60歳の定年期を迎えた。しかしながら、上に述べたように、彼らは定年を迎えたからといって、すぐには退職せずに、再雇用などの形で、企業に残ることが予測されている。再雇用を選ぶか、完全リタイアの道を選ぶかは、企業側ではなく働く側に決定権が移されたといっても過言ではない。つまり、それだけリタイア自体が肯定的に捉えられる社会になったことを示しているのではないだろうか。働く側にとってみれば選択肢の幅が増えた老後生活の到来といえよう。(提供:第一生命経済研究所)
【注釈】 *1 プラス項目のみ選択した場合はプラス1、マイナス項目のみを選択した場合はマイナス1、プラスとマイナスの両方の項目を選択した場合は0点、両方の項目とも選択しなかった場合も0点を与えている。
【参考文献】 ・ 岡村清子・長谷川倫子編,1997,『エイジングの社会学』日本評論社. ・ 杉澤秀博・柴田博,2006,「職業からの引退への適応-定年退職に着目して-」『生きがい研究』12:73-96. ・ 中里克治・下仲順子・河合千恵子ほか,1997,「職業生活からの引退と関連するイベントへの適応プロセス」東京都老人総合研究所『中年からの老化予防・総合的長期追跡研究』. ・ 中里克治・下仲順子・河合千恵子ほか ,2000,「中高年期における職業生活からの完全な引退と失業への心理的適応のプロセス」『老年社会科学』22(1):37-45.
研究開発室 主席研究員 鈴木 征男