はじめに
「日本人とアラブ人が来たらそのマーケットは終わりだ」
マーケットの猛者らによる格言の1つである。諸外国に比べとかく意思決定が遅く結局当事国における実情を考慮せずに投資する日本人、またオイル・ダラーで潤っているアラブ人が投資する金融商品はもはやEXITしなければならない段階にあるという意味だ。これは逆に言うと、ある意味で無知蒙昧であったり余裕があったりする彼らに対し、欧米人らが利益確定ないし“損切り”のために投資を薦めるということを意味する。こういった事情があるために、意外にも日本マーケットにおけるリスク・オン/オフ事情と中東情勢はシンクロすることが意外に多いのである。
そもそも我が国の中東に対する原油依存度は未だに高いため、我々は中東情勢をシビアかつ冷徹に見つめなければならないはずである。しかし、物理的に距離が遠く、東(南)アジア諸国や欧米諸国に比べれば我が国への浸透度が低く、そもそも国が多く複雑な歴史背景を持つ中東地域への関心は低いのが残念ながら実態である。
本稿はそのような中東情勢に注目していきたい。まずは我が国のマーケットと中東情勢がリンクしていることを示す過去の事例を簡単に説明する。次に中東情勢の現在の情勢を描き出し、最後に今後の中東情勢と我が国へのインパクトを考えていきたい。
なぜ中東情勢と日本なのか?
2017年4月6日(ダマスカス時間)、シリア空軍基地に米海軍駆逐艦ポーターおよびロスからトマホーク巡航ミサイル59発が降り注いだ。その理由として、トランプ大統領は「シリアが禁止されている化学兵器を使用し、化学兵器禁止条約に違反し、国連安全保障理事会の要請を無視したことに議論の余地はない」と化学兵器利用を掲げている。
(図表1 トマホーク・ミサイルによる攻撃当時のシリア情勢)
シリア情勢を振り返るときに必ずセットとして考えなければならないのが実は北朝鮮情勢である。国連安保理の北朝鮮制裁委員会・専門家パネルにおいてかつて委員を務めた古川勝久は著書「北朝鮮 核の資金源 『国連捜査』秘録」第126頁においてこのように述べている:
“2011年3月から始まったシリア内戦において、アサド政権の兵器製造・開発に重要な役割を担っていたのが北朝鮮である。
地中海に面したこの国連加盟国(※引用者註:同書はこの国の名称を明言していない)では、これまで複数回にわたって制裁違反の多様な兵器関連物資が押収されていた。2009年11月にはシリア向けコンテナの中から、化学防護マスクをはじめ、大量の化学防護服や化学剤検知器などを押収していた”
他方でイラン情勢もまた、北朝鮮情勢とセットなのである。2017年5月2日(テヘラン時間)にイラン海軍はホルムズ海峡においてミサイル発射実験を行ったが、この実験でミサイルを発射した潜水艦が北朝鮮籍の潜水艦に類似しており、制裁下にあるにも拘らずイランと北朝鮮の武器開発協力関係が依然として継続しているとして米国防総省(ペンタゴン)が警告しているのである。
シリア北朝鮮関係は今でも緊密である。例えば毎年2月8日は建軍節(朝鮮人民軍創建日)であり北朝鮮にとって重要な祝日の一つであるが、これに対し祝電を発した一人がアサド・シリア大統領なのである。また2017年8月7日(テヘラン時間)には金永南・最高人民会議常任委員会委員長がイランを訪れ、ロウハニ大統領と面会している。直近では去る14日(ダマスカス時間)にイスラエル空軍がシリアのマシャフという都市を空爆した際、イラン人やシリア人に加え、ベラルーシ人と北朝鮮人エンジニアが死傷した旨報じされているのであり、未だにシリアと北朝鮮の関係は密接なのだ。
北朝鮮の核ミサイル実験が日経平均に与えた影響は図表2で見るまでもなく大きかったわけであるが、中東情勢、とくにシリア情勢ないしイラン情勢は北朝鮮情勢を通じて我が国マーケットと関係があるということをまずは忘れてはならない。
(図表2 2017年における日経平均株価の推移)
第2に考えるべきなのがイラン情勢である。我が国とイランの関係は深い。いわゆる日章丸事件以来、我が国とイランの関係は非常に深い。旧三菱銀行とイランの関係が非常に緊密であったこともまた非常に重要である(逆に言えば昨年8月に三菱UFJ銀行がイランとの取引を全面停止してしまったのは同国との関係を閉ざすことになったということでもある)。
第3に考えるべきなのがイスラエル情勢である。今月9日(テル・アビブ時間)に実施された総選挙の結果、イスラエルではネタニヤフ首相が所属する「リクード」が第1党の地位を維持し、同首相の続投が確実視されている。このイスラエルが我が国にますます浸透していることを読者は認識しているだろうか。
2014年以来、我が国の外務省とイスラエル外務省はサイバー協議を何度も開催しておりそれを直接的なきっかけとしてイスラエルが我が国へと続々と進出している。例えば公益社団法人・日本イスラエル親善協会がイスラエル発のブロックチェーン技術を我が国に向けて盛んに発信しているのだ。
他方でイスラエルは安全保障面で問題が生じているのは周知の事実である。国際的にはシリア領とされているがイスラエルが実効支配しているゴラン高原にはイラン軍とロシア軍が依然として展開している。
ユダヤ人が世界的に散っていることは良く知られているが、逆に世界で活躍しているユダヤ人(イスラエル人)も少なくない。したがって外国に出るということに対する抵抗感は諸国民に比べれば低いと言える。イスラエル情勢が緊迫すればするほど、イスラエルはディアスポラ(棄民)を行うことも在り得る。そうした中での棄民先の一つとして我が国日本を選択する可能性も充分在るというわけだ。逆に言えばそのために現時点で積極的に我が国において技術提供を行っているとも考えられるわけだ。
急激に動き始めた中東情勢 ~リビアとエジプトが持つインパクト~
今週に入り突如として変化が出たのがリビア情勢である。去る2011年のリビア動乱以来、依然として不安定な状況にあるリビアだが、昨年から民主化選挙を実施することが国際会合上で議論されてきた。つい最近では先月末に同選挙の開催が報道されたばかりであった。それがハリファ・ハフタル陸軍元帥による突如の挙兵により、リビアは再び混乱に陥った。
同元帥は1990年代に米中央情報局(CIA)からの資金援助を受けていたことが知られており、今回の挙兵もそれが関係している可能性が度々指摘されている。そもそもリビアは良質な原油を埋蔵している国家であり、1960年代には世界でも有数の原油生産国であった。
(図表3 1960年代からの原油生産高推移)
リビア情勢が原油マーケットに与える影響も決して小さくはないが、それ以上に憂慮すべきなのが、エジプトへの影響である。エジプトはリビアの隣国であるが、シシ大統領はハフタル元帥への支援を表明している。元来、元帥とは友好的な関係を築いてきたのがシシ大統領であった。 そのエジプトは中東でも有数の軍事大国であることが知られている。またエジプトは昔から食糧を輸入に依存しており、特に小麦は歴史的にロシア(ソ連)から輸入してきた経緯がある。
このエジプトで今月中にもシシ大統領の任期延長を巡る国民投票が実施される予定となっている。これが可決されると来る2030年まで同大統領は大統領職に居ることが出来るようになる。シシ大統領はエジプト軍軍事情報庁長官やエジプト軍最高評議会議長を歴任してきた人物であり、他方で米英両国に留学した経験のある親米英的な人物でもある。それとは対照的にエジプトは米国が主導する中東戦略同盟(Middle East Strategic Alliance)への参加は拒否したのである。
かつてのムバラク大統領(当時)時代、エジプトは軍事大国であることもあり、中東において不気味な存在感を有してきた。このエジプトがロシアおよび米英との関係性を考慮し、意図的にサボタージュを行ったとしたらどうなるのか。
これで問題となるのが、イスラエル情勢なのである。ゴラン高原において対イスラエル姿勢が鮮明化していることはすでに述べたとおりである。イランの友好国であるシリアもイスラエルとは当然敵対国でもある。そうした中でイスラエルの隣国ではあるが共同でシナイ半島に存在するイスラム国(IS)掃討を行ってきたエジプトが沈黙を貫いた場合、イスラエルは南西への退路をふさがれることとなるという訳だ。
イスラエルおよびエジプトはさらに別の面で一蓮托生であることはあまり知られていない。それは天然ガスである。エジプトもイスラエルも近年、領海内で巨大なガス田が発見されているのだ。そもそもシリア内戦が生じた理由の一つはシリアを通過する天然ガス・パイプラインの敷設にあったと言われている。
(図表4 イラン=イラク=シリア・パイプライン構想)
我が国は原油輸入国であるのと同時に天然ガス輸入国でもある。すなわちこれもまた我が国と中東を結ぶ「パイプライン」なのである。
おわりに ~中東情勢の何に注目すべきか~
ここまでで我が国ではあまり知られることのない日本と中東の関係性について述べてきた。では直近、中東情勢の何に注目すべきなのか?
まず憂慮したいのがイラン関係である。来月2日(米東部時間)には、米国によるイラン産原油輸入の制裁適用除外が期限を迎える。イラン産原油への依存度が他国よりも高い韓国は先月後半からトランプ米政権に対して同措置の延長を要請しているが、米国の反応は渋い。現時点では同制裁を再強化する可能性が米国で“喧伝”されている。
また去る2015年の核合意には参加していないものの、同協議を行う会場を提供し、合意直後に欧州連合(EU)加盟国の中では真っ先にイランを訪問したオーストリアが、米国によるイラン革命防衛隊のテロリスト認定を大いに憂慮しているのである。イランが火種になる可能性も低くなく、これが我が国に与えるインパクトも決して小さくはない。
第2に注目したいのが、ここで新たに触れることとなるクルド人勢力である。クルド人とは独自の国家を持たない中では最も人口の多い民族であり、トルコからシリア、さらにはイラクやイランなど非常に広範囲に分布している。それが2017年にイラク北部で独立を巡る投票を行なったのだ。
クルド人はそもそもトルコでは反政府勢力として永年対立してきた歴史を持ってきたのが、シリア内戦やイスラム国(IS)の興隆の中で米軍の支援を受けることでトルコからの影響を避けつつ、ISと最前線で戦ってきたのだった。それが、米軍からの支援を受けることでクルド人が保有する武器が問題になっていた中で、ここにきてやおらクルド人勢力が責められる展開となっているのだ。他方でトルコ当局が突如として米系巨大銀行であるJPモルガンに対し、為替操作の疑惑で捜査に入っているのである。
ここで注意しておきたいのが、ちょうどクルディスタンを通りトルコへ抜けるパイプラインが敷設されているという事実である。またクルディスタンはイラクの中でも有数の油田を確保しているのであり、クルド問題がここにきて米国が仲立ちをする形で混乱の最中にあるということは、原油および天然ガス・マーケットを混乱させる一因になっているというわけだ。
最後に注意しておきたいのがサウジアラビアである。サウジアラビアとイランがイエメンにおいていわゆる代理戦争を繰り広げてきたが、停戦へと至りつつある。それがスーダンの内戦へ資金援助しているとして突如批判されることとなった。またいわゆるカショギ事件を巡って結局サウジアラビアが焦点となったが、それに続き今度はイエメンでの内戦においてサウジアラビアが米国製の武器を使用していたとして再び米サウジ関係が荒れつつあるのだ。日本の原油輸入先で最も大きいのがサウジアラビアであることを想起すればサウジアラビアの情勢は決して無視できない。
グローバル化を一方で叫びつつも、こうした中東情勢には目を瞑るという姿勢は最早通らないのであり、無視をしてもならないのである。
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
大和田克 (おおわだ・すぐる)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2014年早稲田大学基幹理工学研究科数学応用数理専攻修士課程修了。同年4月に2017年3月まで株式会社みずほフィナンシャルグループにて勤務。同期間中、みずほ第一フィナンシャルテクノロジーに出向。2017年より現職。