米
(画像=農林水産省)

はじめに

都内の通りやデパ地下を歩いているとほぼ例外なくおしゃれで高級なパン屋さんを見かけ、人気店ともなると長い行列ができている。焼きたてのパンの匂いは人々の購買意欲をそそり、総菜パンから甘いパン、食事パンに至るまで多様な品ぞろえを用意することで店側は幅広い客の心を掴んでいる。

その陰で急速に進んでいると言われるのが、日本人のおコメ離れである。太りそうだから一日に一度もコメを食べない日がある、という若い女性は少なくない。炭水化物の摂取を避けるよう勧めるダイエット法やネットに溢れる類似の健康情報なども、日本人のコメ離れに拍車をかけている。だからこそ改めて立ち止まり、本当のところ今何が起きているのか、その真実に目を向ける必要がある。本稿は我が国のコメを取り巻く現況に着目し、果たしてこのままコメ離れが進めばどのようなリスクが待っているのか、展望を探ってみたい。

グローバルなコメ需給の現状 ~高い天候リスク~

まずは世界と我が国におけるコメ需給の現況を見てみよう。米農務省が今年(2019年)4月に発表した統計(以下、コメのトン数はいずれも精米ベース)によれば、世界全体におけるコメの生産量は5億138万トンであった。それを国別で見ると、1位は中国の1億4,849万トン、2位はインドの1億1,600万トン、3位はインドネシアの3,710万トン、4位はバングラデシュの3,500万トン、5位はベトナムの2,906万トンと続き、我が国は9位で765万トンであった。コメの消費量で見ると世界全体では4億9,239万トンであり、国別の順位も生産量と同じで、1位は中国の1億4,379万トン、2位はインドの1億110万トン、3位はインドネシアの3,810万トン、4位はバングラデシュの3,550万トン、5位はベトナムの2,220万トンと続いた。我が国は9位の855万トンで、消費量が生産量を上回ったものの、一人当たりの消費量は他のアジア諸国より圧倒的に少なくなっている。これには食の選択肢の多様化や、高齢化によりそもそも1人ひとりの食べる量が減ったという事情も影響しているものと考えられる。

次にコメの輸出量を国別で見ると、1位はインドの1,200万トン、2位はタイの1,000万トン、3位はベトナムの700万トン、4位はパキスタンの400万トン、5位はアメリカの305トンと続き、我が国は圏外であった(2015/16年度は12万トン)。輸入量の1位は中国で450万トン、2位はフィリピンで260万トン、3位はナイジェリアで220万トン、4位は欧州連合(EU)で200万トン、5位はコートジボワールで160万トンと続き、我が国は大きく間を空けて68万トンであった。

米農務省はこの統計において2つの懸念材料を指摘している。1つ目はアメリカやオーストラリアがこれまでほぼ独占してきた中粒種米の輸出において、中国が過去数年から一気に8倍に増やし2018年に首位に躍り出たことである。中国産の中粒種米はアメリカの半額程度で出回り、かつ2013年頃に収穫された古米が大量に流通していることから価格や品質の安定を脅かす恐れがあると述べている。2つ目はインドネシアによるコメの輸入量が前年比で80パーセント減となったことであり、その要因はインドネシア政府によるコメの輸入規制や小麦消費量の増大にあるとした上で、インドネシア向けの主な輸出国であるタイとベトナムが特に大きな影響を被る可能性があるとしている。

こうして見ると、コメはとうもろこしと小麦に次ぐ生産量を占める割に、貿易量が非常に少ない穀物であることが分かる。事実、同じ統計において世界全体におけるコメの輸出量は4,727万トンであり、数字上は生産量の約9.5パーセントしか輸出されていない。さらに、貿易率が低いということは国際的な価格も変動しやすい。そうした流れがある中、我が国はコメの自給率に関しては常に90パーセント台後半を確保してきた。

しかし、穀物の生産は天候の影響を受けやすい。そして我が国にはこれまで幾度となく、コメ不足による飢餓や暴動を経験してきた歴史がある。1230年には気候が極端に寒くなって全国的にコメをはじめとする農作物が大凶作となる「寛喜の飢饉」が発生し、鎌倉時代で最大規模の犠牲者が出た。江戸時代中期の1782年頃には冷害と火山の噴火が重なり、我が国史上最悪とも言われる「天明の大飢饉」が発生した。そのほかにも1993年には冷夏により「平成のコメ騒動」と呼ばれる深刻なコメ不足が起きてコメの値段が跳ね上がり、タイから長粒種米を緊急輸入する事態になった。さらに近年は冷夏だけでなく、真夏日が続くことによる稲の高温障害が原因でコメが不作となる恐れも指摘されており、天候の影響によるリスクは年々高まっている。他方で、我が国は過去10年において国内で消費する小麦の約85~92パーセントを輸入に頼っているという現状がある。なお世界的に見ると、小麦の生産量・消費量共にトップは欧州連合(EU)で、それに中国、インドが続く構図となっている。

おわりに ~本当のリスクとは~

以上、コメ需給の現況を見る中で浮かび上がってきたのは、我が国における食の安全保障が持つ脆弱さである。主食としてのコメ需要が薄れ、「ダイエット」や「健康」といったキーワードが持ち出されてしきりにコメが敬遠され、コメの存在感がじわじわと薄れるかのように“演出”されている。コメの消費減少に伴い、耕作放棄地も増えている。

他方で今後は世界的な人口増加によって食糧危機が起きる可能性が指摘されており、たとえ技術革新による生産性のさらなる向上によって不足分をカバーできたとしても、今度は天候不順といった突発的な理由で需給バランスが崩壊し価格が急騰するリスクは高まっている。しかもほかの穀物と異なり貿易に回るコメの割合はそもそも低いうえ、万が一の時に自国に先んじて我が国を救ってくれる国などない。天候不順に加えてもし朝鮮半島情勢を含む突発的な紛争によって海上輸送が封鎖でもされれば、我が国が食糧の確保において孤立無援となるリスクが一気に現実味を帯びるのである。

これ以外にも我が国が抱える課題以上に、「食の持続可能性」という視点からはさらに重い課題が浮かび上がってくる。それは遺伝子面での多様性の欠如である。カナダのトロント大学が発表した研究によれば、グローバルな傾向として大規模農家がそれぞれ同じ遺伝子を持つコメや小麦、大豆、トウモロコシを大量に栽培していること自体が「農業の持続可能性」を脅かしているというのだ。

実際にそれら4つの穀物の栽培面積は世界の農場の約50パーセントを占める上、北米地域で収穫されるトウモロコシの50パーセントがたった6種類の遺伝子を持つトウモロコシで占められているのだ。商用的に「売れる」穀物に偏って大量栽培されることで生じるリスクは多岐にわたる。土着の食文化に不可欠な食糧を栽培し、それを消費する能力そのものを失うことも一つである。さらに限られた種類の遺伝子をもつ作物がマーケットを独占すれば、19世紀にアイルランドを襲ったジャガイモ飢饉のように、何らかのリスク要因が生じた際に疫病や病気に抵抗できず被害が一気に拡大しグローバル規模での食糧難に陥る恐れがある。

安倍政権は昨年(2018年)4月、第二次大戦後の食糧不足の解決策として1952年に制定され、コメや麦などの種子の安定供給を都道府県に義務付けてきた「種子法」について、もはやその役割を終えたとして廃止した。その目的は、我が国の農業の競争力を強めるために稲や麦、大豆の種子生産に対する民間企業の参入を促進し、さまざまな事業者が種子を供給できるようにすることだという。今後、廃止の功罪を見極めるうえで一つの指針になるのは、果たしてその廃止が我が国におけるコメをはじめとする「種の多様性」を促進するのか、あるいは逆に、「売れる」コメの種子によるマーケットの寡占化を促進するのかという視点ではないか。

古来に大陸から伝来し、我が国の食を支えてきたコメは間違いなくグローバルな食糧である。だからこそグローバルな影響に対してコメは極めて脆弱であるということを念頭に、現況を見直し、トレンドの背後にある思惑やマーケットの動きを注視し、天候不順などの要因で価格急騰を招き人類が共倒れすることのないよう「食の持続可能性」の実現および代替食の開発・生産に率先して取り組む政府や企業こそ、今後一層求められていくのではないだろうか。

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。

河原里香 (かわはら・りか)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット・リサーチャー。神戸市外国語大学卒業。一般企業に勤務後、2012年よりフルブライト語学アシスタント(FLTA)プログラムを通じ、アメリカ・University of Scrantonで日本語講師、2015年に同大学教育学部修士課程修了。2019年4月より現職。