要旨
●6月にも公表される見込みの財政検証ののち、厚生年金保険の短時間労働者への適用拡大を巡る議論が進む見込みだ。①雇用者の社会保障格差の是正、②老後の公的年金水準を高めることのできる枠組み作り、のために進めるべき施策だと考える。
●2016年に適用拡大を実施した際には、被扶養者が社会保険加入を回避して労働時間を減らす動きが生じると懸念されていた。しかし、実際にはそうした動きは限定的で、厚生年金に加入する短時間労働者が増加した。パート・アルバイトの時給が上昇傾向にある点、将来の年金水準向上のメリットが、社会保険料負担を上回る結果になったと言えよう。
●企業側にとっては労使折半の社会保険料相当分の人件費負担が生じることになる。しかし、高齢の短時間労働者が増加する中、労働者にとっては適用拡大によって将来の年金水準を拡充できることは大きなメリットだ。それによって労働供給が拡大すれば、人手不足に悩む企業にとってはプラスにもなる。中長期の視座に立った大局観のある議論が望まれる。
適用拡大が年金改革の焦点
今年6月にも公表される見込みの財政検証の後、年金改革の議論が本格化することになる。その焦点の一つが、健康・厚生年金保険の短時間労働者への適用拡大だ。3月に行われた社会保障審議会の年金部会では、財政検証の際のオプション試算の内容案として、「被用者保険の更なる拡大」を行った場合の年金財政などへの影響を試算することが盛り込まれている。
企業に雇用される人に適用される健康・厚生年金保険には、労働者・企業それぞれに労働時間の長さや事業規模に応じた適用要件が存在し、それを満たさない場合は加入することができない。国民年金に加入しながら働く人にとっては、厚生年金に加入することで社会保険料が労使折半になる、将来の年金水準が増加するというメリットがある。政府は短時間労働者の要件を緩和することで、厚生年金者の加入者を拡大することを目指している。
2016年の適用拡大時には厚生年金への移行がスムーズに進んだ
短時間労働者の適用拡大は、2016年にも行われている。この際には当初週30時間以上の労働者に限っていた健康・厚生年金保険の適用範囲について、②雇用期間1年以上、③賃金月額8.8万円以上、④学生でない、⑤常時501人以上の企業といった条件のもと、週20~30時間労働者も社会保険を適用する改正が実施された。
この実施前に懸念されていた点は、適用拡大によって配偶者の扶養に入っている働き手(社会保険料負担がない第三号被保険者等)が健康・厚生年金保険への加入に伴う社会保険料の負担を避けるため、労働時間を削減する可能性だ。しかし実際に蓋を開けてみると、2016 年10 月の適用拡大を契機に第一号被保険者・第三号被保険者の減少とともに第二号被保険者は増加する形となっており、適用拡大によって厚生年金保険へのシフトが起こった(資料1)。その後も政府の当初見込み(25 万人)を上回り、厚生年金に加入する短時間労働者は着実に増加、2018 年11 月末時点で42.8 万人に上っている(資料2)。
適用拡大が順調に進んだ背景には、①人手不足の状況下でアルバイトやパートタイム労働者の時給が上昇する中、社会保険料負担による手取り減のデメリットが薄れている点が挙げられるだろう。また、②老後の年金充実に対するニーズの高まりが考えられる。将来的に年金水準の低下が予想されている中において、働き手にとっては目先の手取り減よりも将来の年金増が魅力的に移っている可能性がある。
「月額6.8 万円」と「事業規模要件撤廃」で対象は最大200 万人に
報道等によれば、政府は①標準報酬月額の最低ラインを月額6.8 万円まで引き下げる、②強制適用となる事業規模要件(常時501 人以上)を撤廃し、中小企業も適用範囲に加えるという要件緩和を目指しているようだ。これにより、新たに厚生年金の対象となる短時間労働者の人数は200 万人程度に上ると想定されている。足元の厚生年金に加入する短時間労働者数が40 万人強である点を踏まえると、政府想定通りに実現すれば2016 年改正と比べて相当大きな規模の改正になる。
変容する短時間労働者:40・50 代女性から高齢者へ
見逃すべきでないのは短時間労働者の属性が徐々に変化していることだ。資料3では、週30 時間未満の就業者数について、性・年齢階層別に2000 年・2018 年を比較している。一見してわかるように、過去には40 代・50 代の女性がその中心を占めていた。現在もこの層は30 時間未満労働者の中心だが、男性を含めた高齢者の働き手が明確に増加していることがわかる。
現行の公的年金制度では、任意加入被保険者など一部を除き、60 歳を超えた人が加入することができるのは厚生年金となる(厚生年金は現行制度で70 歳まで加入可)。これは、国民年金が20 歳から60 歳までを対象としているためである。60 歳を超えた人がより長く働き、社会保険料を納めることで公的年金水準の充実を図る場合、厚生年金に加入する必要がある。
そして、厚生年金保険の加入要件を満たすには一定の労働時間が必要になる。しかし、実際には年を重ねれば、健康・体力面からも労働時間が短くなるのが自然だ。総務省統計をみると、男女ともに60 歳を超えると週30 時間未満の就業者割合が上昇する傾向が見て取れる。しかし現行の年金制度では、週30 時間未満の労働時間では適用要件を満たせず(大企業は20 時間)、厚生年金が非適用となる。社会保険料の納付を増やすことで将来の公的年金水準を充実させることはできない1。
高齢者の就労長期化、それによって年金財政のバランスを保ちながら将来の年金水準の低下を防ぐことは、今後高齢化が深まるにつれて、個々人のミクロのレベルでも、経済全体のマクロのレベルでも重要な課題となる。拙稿「http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/pdf/macro/2018/hoshi190227.pdf " target="_blank">若い世代こそ支給開始年齢引き上げを訴えるべき理由~年金制度の「持続」だけでは将来世代が困る~」や、「「生涯現役」を日本経済再生の切り札に~“3つの将来不安”の払拭に向けた新たな「一体改革」を~」では、高齢者の就労長期化が団塊ジュニア世代が高齢期に達する2040 年に向けて重要な課題である点を述べた。こうした中で、高齢者が老後の公的年金の充実を図る際の障壁は、極力取り除いていくことが望ましい。短時間労働者への適用拡大はそれに資するものとなろう。
企業も社会保険加入を労働条件改善のアピールポイントに
今回の適用拡大が実施された場合、中小事業者で働く短時間労働者も適用の対象となる。課題となるのは労使折半の社会保険料負担が生じる企業側だ。労働者側は加入によって将来の年金増額を受けられるが、企業側にとっては人件費増の負担のみが掛かる。そして、短時間労働者を雇用している業種は、小売業や飲食サービス業など、人手不足度合いの高い一部業種に集中している。これらの業種に属する企業の負担は大きくなるだろう。
しかし、適用拡大は労働時間や賃金で社会保障に格差が生じる現状を是正するため、また高齢者の就労を年金増額に反映させやすくするために必要な施策である。激変緩和措置はあって然るべきだが、制度改正のスケジュールを明確にして段階的に進めていくべきであろう。また、企業側も社会保険への加入を単なるコストとしてみるのではなく、労働待遇の改善、人手確保の一手段として前向きに捉えるべき部分もあるのではないか。先に見たように、短時間労働者は高齢期ないしそれを控えた年齢層が相当多くを占めるようになっている。これらの年齢層の就業理由の一つは、老後の生活を賄うことであろう。働くことで将来の年金水準を増やすことができるようになる、という点はこのニーズに応えることになる。労働市場に新たな労働供給を引き出すことにつながれば、人手不足に悩む業態にとってはプラスに働く部分もあろう。
2017 年4 月からは2016 年に導入された短時間労働者について任意適用事業者の規定が設けられている。これにより、常時500 人以下の企業でも労使協定の締結を条件に、短時間労働者を健康・厚生年金保険の対象とすることができるようになった。任意加入を実際に行っている事業所数は4 千事業所程度と一部にとどまるものの増加傾向にある。これは労働者側の社会保険加入に対するニーズが強いこと、それを受け入れる企業が拡大している可能性を示唆するものである。 政府は、2019 年9 月末までに適用範囲について検討を加えることとしている。6 月の財政検証を経て、短時間労働者の適用拡大をめぐる議論が政府内でも本格化するだろう。中長期の視点に立った大局観のある議論を期待したい。(提供:第一生命経済研究所)
1 年金の増額を図る手段は①年金の繰り下げ受給(受給開始年齢を遅らせれば法定の増額率を乗じた年金が生涯にわたって得られる、 ②社会保険料の追加納付の2経路がある。ここで論じているのは②の経路。
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 副主任エコノミスト 星野 卓也