外国人観光客
(画像=chainarong06/Shutterstock.com)

はじめに

今、我が国の主要都市や観光地で外国人観光客を見かけない日はない。その数は2013年に初めて年間1,000万人の大台を超えた後、2014年には1,341万人を記録。そして2015年、訪日外国人観光客の拡大に向けた具体策をまとめる「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」(議長・安倍晋三首相)を我が国の政府が発足させた年には1,974万人に達するなど、順調に拡大を続けた。翌年3月に開かれた同会議において、政府は目標人数を一気に倍増させ、2020年までに4,000万人、2040年に6,000万人とすると決定した。そのような流れの中、昨年(2018年)の訪日外国人観光客数は初めて3,000万人を突破し3,119万人となった。2013年から5年で3倍以上に増えたこととなり、このままのペースでいけば今年(2019年)中に4,000万人という目標を達成するかもしれない。

他方で盲点となっているのが、富裕層向けの観光マーケットである。とりわけ一回の滞在でより多く支出する傾向が強い欧米の観光客のニーズに応え、リピーターを増やす取り組みに苦戦しているように見えるのである。本稿は、そのような欧米の富裕層の動向に着目しつつ当初の政府構想から欠落していた視点を指摘した上で、果たして我が国が観光面において叡智を集めて取り組むべき課題は何であるのかを一緒に考えてみたい。

ビジョンなき政府目標 ~顔が見えない「外国人観光客」~

まずは「富裕層」およびそれに関連するキーワードに注目しながら、前述した「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」においてこれまで政府がどのような話し合いを行ってきたのか、その経緯をたどってみよう。2015年11月9 日に開催された第1回会議において、安倍首相はビザ緩和や免税制度の拡大を行っていくと明言し、「成長著しいアジア諸国」に言及し、彼らをターゲットとする姿勢を暗示した。他方で民間の有識者からは「国内における観光消費額のうち、9割は日本人による消費であり、今後、高齢化がさらに進むことを勘案すると、日本の観光産業を維持するためには、訪日外国人の旅行消費額を5倍増加させることが必要」とする意見が出ていた。

その翌年3月に開催された第2回会議においては、「観光先進国」「IoT」「通訳案内士等の古い規制の廃止」「働き方改革」「GDP600兆円」など今や聞き慣れたワードが続々と登場した。その席で安倍首相はこう述べている:

「2020年に 4,000 万人、2030年に6,000万人。この目標については、明日から、一部からは批判もあるかも知れない。しかし、私が官房副長官当時、1,000 万人に目標を設定した際にも、それは無理だと言われた。安倍政権ができて、 2020 年に2,000 万人も難しいのではないかと言われたが、それを見事に前倒しで、それぞれ実現をしている。今大きく、皆様のお陰もいただき、政府も世の中も変わってきた。スピードが出てきた、この加速を生かして、この目標に到達をしていきたい」

これらの議事要旨には、安倍首相の数値目標達成に達する並々ならぬ意欲がにじみ出ている。他方で、関係閣僚は安倍首相に対するイエスマンを貫き、自身がトップを務める省庁の管轄で成果を上げることで目標実現に貢献する姿勢をアピールしたと推測できる発言を行っている。

このように一見成功しているようにも見える外国人観光客招致について、別の角度から見ると、そもそも構想の当初から在って然るべき戦略や先見性が欠如していたのではないかという疑念が生じてくる。すなわち、我が国がこれほど必死になって呼び込もうとしている「外国人観光客」とは果たしてどのような人々なのか、本来主役であるべき彼らの「顔」が全くもって浮かんでこないのである。

分かりやすく説明するためにスーパーマーケットの経営にたとえるならば、好調な売上に気をよくしたワンマン社長が突如野心的な売上目標を掲げ、役員会議で披露したところ拍手喝さいを浴びた。しかしターゲットとする肝心の顧客層に関しては「潜在的に近隣に多く居住していそうな、これまで当店と付き合いのなかった住民」といった極めて曖昧なイメージしか共有されなかった。それにもかかわらず社長の鶴の一声で見切り発車をしてしまったという状況に、前述した政府による一連の会議は極めて近いと言える。なお、2015年12月から始まった菅内閣官房長官を座長とする同会議のワーキング・グループにおいては、「体験型」「宿泊施設の不足に伴う民泊サービス」「まちづくり」といったワードが新たに登場しているものの、「外国人観光客」の実像に踏み込んだ議論には至っていない。

我が国を旅行する「外国人観光客」は各員が大きく属性の異なる集団である。たとえばその消費傾向には出身国などによってバラつきがあることが統計上明らかになっている。観光庁が今年(2019年)3月に発表した「2018年の訪日外国人旅行消費額(確報)」 によれば、2018年の1年間に訪日外国人観光客が我が国で消費した額は過去最高の4.5兆円に達し、2012年以来7年連続の増加を記録した。国籍・地域別に見ると、1位が中国の1兆5,450億円、2位が韓国の5,881億円、3位が台湾の5,817億円、4位が香港の3,358億円とアジア勢が軒並み上位を独占している。しかし外国人観光客1人当たりの旅行支出に目を向ければ、1位はオーストラリアの242,041円、2位がスペインの237,234円、3位が中国の224,870円、4位がイタリアの223,555円、5位が220,929円と、アジア勢を押しのけて欧米諸国が上位をほぼ独占しているのである。国別で2位の韓国は地理的に我が国と非常に近いこともあり、1人当たりの旅行支出は78,084円、平均宿泊日数は4.4日であり、共に最下位であった。

おわりに ~前のめりの代償~

前述の統計において旅行支出を費目別にみると、全体では買物代(51,000円)が最も高く、次いで宿泊費(46,000円)、飲食費(34,000円)の順となっている。しかし宿泊費は必然的に宿泊日数が多くなる欧米豪で圧倒的に高くなる傾向が見られる。1人当たりの宿泊費の1位はイギリス(100,691円)で、2位はオーストラリア(99,175円)、さらに3位はスペイン(92,543円)であった。また4位はイタリア(87,652円)で、5位はフランス(85,554円)、6位はドイツ(84,555円)であり7位はアメリカ(82,286円)であったのであり、上位を欧米諸国が独占した。

筆者は数年前、所用で来日した知人の米国人夫婦による意外な行動に遭遇した。夫はワシントンDC近郊で投資会社のCEOを務める富裕層である。夫婦は京都観光の初日、米国から事前に予約した京都市内で最高級とされる旅館に宿泊した。ところが翌朝、連泊予定だったにもかかわらずどうしても宿を変更したいと言い出したのである。理由を聞けば、「エンドレスに料理が出てくる懐石料理はペースも量も自分たちには合わなかった。しかもここはどこに出かけるにも不便だ。もっとシンプルな環境がいい」と言う。その後、夫婦は京都駅近くで空室があった1人1泊数千円のビジネス・ホテルへと移動した。高級旅館と格安ホテルの落差に戸惑うかと思いきや、旅館と比べて一切の無駄が省かれていると大満足し、そのまま最後まで連泊していった。

このエピソードが象徴するのは、欧米の観光客が宿泊先に求める「スタンダード」と我が国が良かれと思って提供する「おもてなし」の間に、知らず知らずのうちにギャップが生じている危険性である。今回の場合も、高級旅館と夫婦の双方に非はなく、単なるミスマッチングであったと言える。

そのような前提で見ると、外国人観光客を一括りにして2020年までに「4,000万人」「国内消費8兆円」といった目標ばかりを前面に押し出せば、『良い』外国人観光客が徐々に我が国から遠ざかってしまう恐れがないだろうか。そもそも政府議論の初期段階から、ビジョンたるものはほぼ存在しなかった。だからこそその教訓を踏まえた上で、今後は顔が見える外国人観光客、特に富裕層を対象とする旅行関連サービスのマッチングや彼らのニーズに細やかに応じられる観光ビジネスへの需要が高まっていくと考えられる。富裕層に対しては常に「我が国のスタンダード」で最高級のモノとサービスを提供しなければならないという固定観念すら、一度取り払ったほうが良いのかもしれない。

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。

河原里香 (かわはら・りか)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット・リサーチャー。神戸市外国語大学卒業。一般企業に勤務後、2012年よりフルブライト語学アシスタント(FLTA)プログラムを通じ、アメリカ・University of Scrantonで日本語講師、2015年に同大学教育学部修士課程修了。2019年4月より現職。