はじめに

去る28日、英国などを中心とした6か国が、イランの核兵器開発に関する核合意維持に向けた協議をウィーン(オーストリア)にて実施した。米国の同核合意からの離脱という衝撃もありつつ、イランを取り巻く核兵器開発問題が中東情勢に大きく影響を及ぼしている。中東地域では米国とイランが“角逐”を繰り返す中、世界が中東情勢の展開を注目している。

アヘンから考える中東イラン問題 ~イランのアヘン問題が中東における地政学リスクの中で果たす役割~
(画像= Lightspring / Shutterstock.com)

他方で、イランでは麻薬の存在も大きな問題である。そもそもイラン自体がかつてはアヘンの生産国として有名であった。麻薬成分が交感神経系へ作用する鎮痛作用を持っており、医療目的などで使用されてきた経緯がある。イランではアヘンだけでなくヘロインやモルヒネといった麻薬類が広く普及しており、その主な供給源はアフガニスタンである。イランは周辺諸国向けのアフガニスタン産麻薬の中継基地としても利用されている。イランでの麻薬普及は深刻で、国を挙げての取締りを図っているのが現状だ。最近でも先月(6月)、イランの取締り当局が大量のアフガニスタン産の麻薬を押収した旨公表している。

イランにおいて出回っている麻薬類はアヘンやモルヒネ等、総じて中毒作用が強いもので、取締り当局と売買業者の間でいたちごっこが続いている。核兵器開発問題に関しては反イランの姿勢を示す米国もイランの麻薬取引に対する取り組みについてはイランを支持しており、何かと中東地域における問題でやり玉に挙げられるイランが好評価されている。本稿ではイランにおけるアヘン等、麻薬の歴史を振り返っていくと共に、同麻薬問題において米国および周辺諸国との間で如何なる歴史的経緯を経てきたのかを検証する。その上で今後の中東情勢に影響を与える可能性があるのかについて卑見を述べることと致したい。

歴史的経緯からみるイランの麻薬事情

上述の通り、イランこそがもともと麻薬の一大生産国として有名であった。主に国内利用向けにアヘン栽培・使用が行われていたが、外国マーケット向けの輸出が拡大したことで18世紀から19世紀頃にその生産量がピークを迎えた。

そもそもイランにおいてアヘンなどの麻薬類が広まった要因はイランが「イスラム教国」であることだ。イスラム教の聖典とされる「コーラン」が酒類を禁止しているため、その代わりの嗜好品として利用されていたのである。それに加えてアヘンの持つ鎮痛作用が医療目的で有用であることが当時から知られており、これもアヘン利用が了承された理由である。

しかしながら、20世紀を迎えると中毒者を巡る問題がやおら“喧伝”され始めた。イランとしては厳格な罰則と規制を設けることで国内における事態の鎮静化を図りつつ、輸出向け商品については重税を課すことでアヘンの商品価値を下げることを狙った。結果としては政府の思惑通りとはいかず、1920年代時点でも国内アヘン使用者は増加し、輸出項目でも総輸出の4分の1をアヘン輸出が占めていた。

1955年になるとアヘン栽培を一切禁止する旨決定し、1970年代にイラン革命を迎える頃になってようやく麻薬産出国としてのイランにおけるアヘン栽培が沈静化し始めた。ところが同時期になってアフガニスタン産のアヘンが急速に普及し始めたことで、イランにおける麻薬類の使用がむしろ増加する事態になった。

アフガニスタンが主な麻薬生産を担いそれをイラン経由で各地へ輸出するというスキームが整ったことで、同地域が「黄金の三日月地帯」と呼ばれる麻薬の一大拠点として認識され始めた。例えば欧州へもイラン経由でアフガニスタン産モルヒネが輸出されてきた経緯がある。イラン国内における麻薬使用は深刻化し、注射による麻薬の摂取が不衛生な注射針からのHIV感染リスクが高めた。このような事態に対しイランは国家として対応に当たらざるを得なくなり、結果的に「麻薬取締りに積極的なイラン」が出来つつあるのがこの時期であった。

周辺諸国との間におけるイラン麻薬問題の歴史的経緯

アフガニスタン産麻薬の輸出先としてはまずイランがあり、同地を経由してトルコ、イラクへも麻薬が到達していた。また旧ソ連によるアフガニスタン侵攻が大量のアフガン難民を生み出し、彼らが麻薬の運搬人としての役割を果たしていたために、特にイランでは引き続き麻薬利用が悩みの種として在った。

しかし事態の深刻度を重く見たイランは「麻薬に溺れるイラン」のイメージを払しょくするべく徹底対処を行い、同国では逮捕者も続出したものの、麻薬との闘いを繰り広げてきた。麻薬の原産地としてのアフガニスタンに対しても同国産の麻薬の規制がイランによって徹底して行われた。

一連のイランによる対麻薬政策が国際社会にも認知されるようになり、1988年、ついに米国がイランを「麻薬産出国リスト」から除外するところまで達した。米国がイランによる国際的な取組みとしての麻薬排除に対する貢献と、西側諸国(当時)へのアフガニスタン産麻薬の密輸を抑制することへの貢献を称賛したのだ。このように米国がイランとの“角逐”を“演出”し、イランも同国でのヘロイン流通問題が「米国による陰謀である」と応酬するなどしていることが多いように感じる両国の関係であるが、他方ではこのように「中東勢における先進国であるイラン」を“喧伝”してきた経緯がある。実はイランが中東諸国で唯一民主的に政権交代を成した国である点も、イランの評価を高めている理由である。

イランの対麻薬政策は、麻薬規制の一環として麻薬使用者の治療についても積極的な取組みを行っている。2000年までにはアルメニア、オーストラリア、フランス、英国、ロシア、タイ等と反麻薬に関する覚書を調印し、国際的な反麻薬に向けた努力とそのアピールを継続している。このように核と麻薬問題という2つの大きな問題を抱えるイランではあるが、こと麻薬に関しては米欧勢との関係改善、協力体制の布石が置かれてきたのである。

おわりに

とはいえ現代に至るまで繰り広げられてきたイランにおける麻薬問題は、依然として現在進行形の問題として存在する。先月(6月)にはイランの警察当局が3ヶ月の間で約800トンのアフガニスタン産麻薬を押収した旨“喧伝”している。米国勢との関係ではイランによる核兵器開発問題を巡って応酬が繰り広げられてきた。米国が本核兵器問題に関する核合意から脱退したために、現時点では両国が対話によって事態を収束させる展開はやや遠のいた感がある。結果として麻薬問題に関しても両国による積極的協調は実現していない。

他方で、アフガニスタン産麻薬の販売益がイスラム系武装集団であるタリバンなどの活動資金になっている可能性があり、イスラム系武装集団との“角逐”を“演出”し続けてきた米国にとってはその活動資金を断つために麻薬問題に対処する必要がある。そこで現地における協力国候補として、かねてより麻薬との闘いを繰り広げてきたイランを挙げることが出来る。米国がイランを麻薬生産国リストから除外したように、既に麻薬問題に関しては融和を“演出”するための布石が打たれてきたというのが卑見である。

トランプ米大統領の北朝鮮に対する言動を観察していていると、相手方元首を「ロケットマン」などと呼んだかと思えば、先月末には同大統領が朝鮮半島の軍事境界線で同元首と握手を交わしており、時勢如何によってあらゆる展開が想定できることが分かる。米イラン関係においても麻薬問題での協力を契機に中東和平に向けた協力が実現される可能性がある。

そのための仲介機関としては国連薬物・犯罪事務所(UNODC)が適当だ。同機関は既にイランにオフィスを構えており、イランにおける麻薬撲滅に向けたプロジェクトに携わっている。米イランがついに開戦する可能性も指摘されている一方で、麻薬問題に関しては融和の可能性が残され続けている。国連機関という中立組織を置いた上で、包括的な両国の関係改善へ向けてまずは麻薬問題に関する協力関係が検討される可能性に注目したい。

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。

岡田慎太郎(おかだ・しんたろう)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2015年東洋大学法学部企業法学科卒業。一般企業に勤務した後2017年から在ポーランド・ヴロツワフ経済大学留学。2018年6月より株式会社原田武夫国際戦略情報研究所セクレタリー&パブリックリレーションズ・ユニット所属。2019年4月より現職。