ジョンソン新首相の誕生の真の問題は予見可能性のさらなる低下
23日に結果が公表された保守党の党首選は、事前に広く予想されていた通り、ボリス・ジョンソン前外相が勝利し、24日に首相に就任する。
ジョンソン首相は、10月31日には「合意があってもなくても」「何があろうと死ぬ覚悟で」EUを離脱すると主張してきた。党首選後のスピーチでも「なぜばなるの精神」で「10月31日に離脱を実行する」と呼び掛けた。
こうした発言を額面通り受け取れば、合意なき離脱は避けられないように感じられるが、ジョンソン首相は「政界のカメレオン」と評されるほど、発言が場当たり的で、前言を翻すことは厭わない。党首選での一連の発言は、EUに強い姿勢で向き合う覚悟を示すことで、強硬派の議員や離脱を強く望む党員の支持を獲得、期限通りの離脱の失敗に失望し、ブレグジット党に流れた支持者を呼び戻すためのものだ。潮目が変わった場合には、約束にこだわることもないだろう。
ジョンソン首相の誕生は、必ずしも「合意なき離脱」への道ではないが、政策の予見可能性がさらに低下し、ただでさえ迷走し続けてきたEU離脱のプロセスは、さらに混乱しかねない。それでも、国民投票によって引き起こされた問題の収拾には、EUに強硬姿勢で向き合う(と期待される)首相が舵を取るプロセスが必要なのだろう。
「合意なき離脱」の可能性が高いと考えられている2つの理由
ジョンソン首相の誕生が必ずしも「合意なき離脱」への道ではないのは、同氏にとって、「合意なき離脱」はプランCであり(1)、「合意なき離脱の確率は100万分の1」とも述べているからだ(2)。
それでも、「合意なき離脱」の可能性が高いと考えられる理由は2つある。
第1に、プランA、プランBの実現可能性が低いことだ。
プランAは、メイ首相がまとめた合意よりも、より良い合意に基づく離脱だ。新首相がのぞむEUとの交渉では、保守党内の最強硬派と政権協力するアイルランド地域政党・DUPがメイ首相の協定に最後まで反対し、期限通りの離脱失敗の原因となったアイルランド国境の厳格な管理を回避するための安全策が焦点となる。安全策について、保守党内の最強硬派が関税同盟の恒久化を、DUPが英国内の規制の乖離を嫌った。EUには、EU側の当初の提案だった「北アイルランドのみの関税同盟」ならば、本来、受け入れ可能だろうが、DUPは強く反対するであろうし、野党からの支持も見込めない。EUは、実効性のある代替策があれば、速やかに置き換える用意があるが、離脱協定の再交渉、特にアイルランドの安全策の削除は、EU側は拒否している。英国議会の承認を取り付けられる「より良い合意」が得られる目途は立たない。
プランAの場合、10月31日に期限通りに離脱することも難しい。英国議会は、7月26日から夏季休会に入り、再招集は9月3日となる。さらに、9月中旬から10月初旬には党大会のための休会もある。新たな離脱協定の議会承認、法制化の手続きを10月31日までに完了することは不可能だ。
プランBは、より良い合意による離脱がEUないし、議会によって阻止された場合の選択肢で、EUとの自由貿易協定(FTA)がまとまり、アイルランドの国境管理の方策がみつかるまでの間、現状を維持するための協定を締結するというものだ。しかし、EUは、「離脱協定」以外に現状を維持する「移行期間」は設けるつもりはなく、時間的に考えてもプランBの実現可能性はプランA以上に低い。
第2の理由は、同氏が、10月31日の「合意なき離脱」が議会に阻止されることがないよう、議会を閉会とする可能性を排除していないことだ(3)。
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(1)19年6月25日talkRadioのインタビュー( https://talkradio.co.uk/news/boris-johnson-talkradio-interview-19062531433 )による
(2)19年6月26日の保守党党首選の討論会での発言( https://twitter.com/i/status/1143954015451041793 )
(3)議会の会期を離脱期限前に終了させ、女王陛下の施政方針演説に始まる新たな会期を離脱後の11月とする可能性が取り沙汰されている。
「合意なき離脱」強行は政権基盤の弱さがネック。すでに与党内からも阻止の動き
ジョンソン首相にとって、「合意なき離脱」は、交渉でEUからの譲歩を引き出すカードであり、EUも英国の「合意なき離脱」は望んでいない。しかし、英国議会が、期限までに離脱協定を承認し、必要な法的対応を終えるか、離脱期限の延期を求めない場合には、EUは「合意なき離脱」を容認するしかない。
ジョンソン首相が、10月31日の離脱の約束を果たすため、期限延期はせず、「合意なき離脱」に進もうとする可能性は、このタイミングで「合意あり離脱」が実現する可能性よりも高い。
だが、「合意なき離脱」の実現可能性は、政権基盤の弱さを考えると、5割を大きく超えるメイン・シナリオではないと見ている。ジョンソン首相が、保守党支持者から高い支持を得たとは言え、議会で保守党の議席は法案成立に必要な318(4)に満たず、DUPの閣外協力で辛うじて過半数を確保している状況で、DUPが離れるか、与党から複数の造反が出れば、政権は維持できない。
すでに、ジョンソン新首相の方針に懸念を抱くハモンド蔵相、ゴーク法相、ダンカン閣外相が、「合意なき離脱」阻止の立場から閣僚辞任の方針を示している。
7月18日には、10月31日の議会の休会阻止につながる法案(5)が315対274で可決したが、保守党からは、17名が造反して賛成に回り、30名が棄権した。
「合意なき離脱」を止める他の手段が尽きれば、野党と与党からの造反派の賛成による不信任案の成立、総選挙という流れになるだろう。保守党とともに最大野党・労働党も早期の総選挙には抵抗があると言われる。保守党の支持率は、3月29日の期限通りの離脱失敗で半減、その後の回復も思わしくない。他方で、「ソフトな離脱」と「再国民投票」で割れた最大野党・労働党の支持も20%台まで低下、戻りが弱い。離脱支持者は「合意なき離脱」を掲げるブレグジット党に、残留支持者は、「再国民投票、離脱撤回」を掲げる自由民主党(LDP)の支持に動いている。単純小選挙区制で実施される下院選では、世論調査が示すほどは、ブレグジット党やLDPが議席を獲得することはないだろう。それでも、議席減が確実視され、特に離脱を実現できない段階での総選挙は保守党に不利で、連立パートナーが限定されることもあり、政権の座を手放すことになるリスクは高い。
早期総選挙の引き金となる内閣不信任には、保守党の「合意なき離脱」反対派も慎重にならざるを得ないが、「合意なき離脱」で混乱を引き起こせば、いずれにせよ次の選挙で勝つことは難しい。
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(4)総議席数から議長副議長、計算係、未登院のシンフェイン党を除いた議席数の過半数
(5)採決が行われたAmendment (a) to Lords Amendment 1 to the Northern Ireland (Executive Formation) Bill( https://commonsvotes.digiminster.com/Divisions/Details/708 )は、10月31日に北アイルランド晴雨の権限分担の回復の進捗状況について中立的表現での報告を求めるというもので、EU離脱と直接の関係はない。
ジョンソン首相自身の方針転換もあり得る
ジョンソン首相が、「政界のカメレオン」としての本領を発揮、より柔軟な姿勢に転換することもあり得る。
例えば、EUが、従来から、修正に応じる構えを示してきた将来関係に関する「政治合意」の修正を、成果としてアピールして、メイ前首相がまとめた「離脱協定」と組み合わせ、議会の承認獲得を目指すといった場合だ。しかし、この妥協案の場合には、アイルランドの安全策の問題が残り、DUPの賛成を得られそうにない。
ジョンソン首相が、自らの基盤を固めるために、離脱期限よりも前に、下院の3分の2の賛成を必要とする自主解散に踏み切る可能性もある。その場合は、EUに離脱期限の延期を求めることになり、「10月31日の離脱」の約束を破ることが、得票に負の影響を及ぼすリスクを冒すことにはなる。しかし、自ら打って出る総選挙のキャンペーンこそ、持ち前の能力が最大限に発揮できる舞台と判断するかもしれない。
「合意あり離脱」でも「合意なき離脱」でも「離脱延期」でも不透明感は解消しない
そもそも、10月31日が「合意あり離脱」にせよ「合意なき離脱」にせよ、総選挙のための「離脱延期」になるにせよ、先行き不透感は解消しない点にも注意したい。
「合意あり離脱」は「将来の関係の協議」の始まりに過ぎない。メイ首相の「離脱協定」で移行期間は20年末までで、延長の判断は20年7月までに決めなければならない。移行期間を延長する場合には、EUの新たな中期予算枠組みの期間に入るため、EU予算への拠出をどうするかという問題が生じる。
「合意なき離脱」も「ブレグジットの終着点」ではない。アイルランド国境をどう管理するかなど、英国政府は、EUとの交渉のテーブルに就かなければならないし、「第3国」となった交渉上の立場は、「EU加盟国」よりも不利であり、時間に追われる。世界貿易機関(WTO)の最恵国税率ルールに基づく貿易関係は、EUとの間だけでなく、EU加盟国として締結してきた40のFTAの相手国・地域についても、再締結の作業は、現時点では12までしか進んでいない。EUとEPAを締結する日本も、再締結作業が進んでいない国の一つだ。英国は、EUとの交渉とFTA締結国、さらに通商交渉の早期開始を望む米国との交渉を並行して、急ぎ進めなければならない。財の関税や非関税障壁だけでなく、金融、データの流通など、EUの単一市場から移行期間なく切り離されることに事後的に対応する作業は膨大なものになる。強硬姿勢が期待される首相誕生の背景には、離脱支持者の間でのEU主導の離脱協議への強い不満があるが、離脱を強行すれば、残留派の不満は募るだろう。
総選挙のための「離脱延期」で労働党中心の政権に交代することになれば、改めて民意を問う可能性も出てくるだろう。再国民投票に関する世論調査では、残留支持が離脱支持を上回る傾向が観察される。再国民投票の結果は、設問や方式次第の面もあるが、今度は残留支持多数となる可能性はある。さらに期限を延期し、再国民投票というプロセスを経て、離脱撤回となった場合には、離脱派が強い不満を持ち続けることになるだろう。国民投票前のように英国をEUのゲートウェイとして活用することを目的とする新たな投資の拡大は見込めないだろう。欧州司法裁判所の先決裁定では、離脱撤回は可能であり、加盟国としての地位の条件を変更しない、つまり英国の場合は、ユーロ未導入などの権利が維持されるものの、この3年余りの混乱をなきものとはできない。真の意味で以前と同じ場所に戻ることはできないし、失われた信用を取り戻すことができない。
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伊藤さゆり(いとう さゆり)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 主席研究員
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