はじめに

中国とベトナムが対立を深刻化させている。端的な例が5Gを巡るものである。先月28日にベトナムの通信最大手で国防省傘下のベトテルが5G移動通信網構築計画から華為技術(ファーウェイ)を除外することを明らかにした。アジアで5G通信網構築からファーウェイを除外するのは初めてだという。2016年にハノイ空港およびホー・チ・ミン空港に対して中国からサイバー攻撃が合って以来、ベトナムは中国を警戒してきた経緯がある。

中越問題,深刻化
(画像=esfera/Shutterstock.com)

また南シナ海の領有権を巡っても、中越は対立を深めてきたが、そのきっかけは2014年5月に生じた中国による石油リグ設置事件であるというのが広く知られている。そしてこれ以来ベトナムは外交方針すら変更し、それまでの中国重視姿勢から全方位外交に方針を移した。無論、ベトナム戦争の仇敵であった米国とも、である。

そもそも興味深いのが、実は米越関係は1995年に国交を回復して以来、2000年代には蜜月関係とも呼べるような親密さを“演出”してきたのだ。つまり、中越対立は米中摩擦の「副問題」という側面もあるのである。

1979年には戦争を行なったこともある中越関係がどうなっていくのか。本稿は中越関係を中心に我が国にとっては経済的に重要な二国の行く末を分析する。

終わらないメコン川問題という“対立”

隣国ということもあり、歴史的にもベトナムは中国王朝の支配下に置かれることが多かった。そうした地理的な事情が原因となって、中越関係は様々な係争を抱えている。その典型がメコン川を巡る問題である。

チベットを水源とし中国・雲南省を流れた後、ミャンマーやラオス、タイ、カンボジアを流れ、ベトナムで海に注ぐ国際河川であるメコン川は近年、上流で中国がダム建設を加速化させたことをきっかけに中越のみならず中ASEAN間における争点の中心となっている

メコン川の下流部分を巡っては、歴史的にタイ・ラオス、ベトナム・カンボジアが参画するメコン川委員会を通じてある程度平和的に治水政策を行なってきた。同委員会が関係諸国全員の合意を以て活動を進める方針を取っていることから、東南アジア諸国ではミャンマーを除いて大規模な対立は生じてこなかったと言える。

(図表1 メコン川の全体像と周辺諸国)

メコン川の全体像と周辺諸国
(出典:WWF
(図表2 メコン川におけるダム(計画))

メコン川におけるダム(計画)

しかし、ここにきて中国の建設したダム以上に問題となっているのがエル・ニーニョの影響である。ダム建設に伴う水位変化で海水の進入度合いも増えている上に、乾季における干ばつが深刻化する上に台風といった気候変動も激化しているというわけだ。

このメコン川問題を巡っては実は1950年代から米国が関与を深めてきた経緯がある。特に対中バッファーという意味でも2010年代からもオバマ前政権からますますその関与を深めてきた。この意味でも米中問題の延長線上で中越問題が動いているという側面が在るのである。

おわりに ~中越ではとどまり得ない人類問題としての「水問題」~

水資源が人類にとって最も重要な資源であることは言うまでもない。とはいえ、なぜこのタイミングで長年の係争であるメコン川問題を取り上げたのか。それは、衛星を利用した5Gの利用が資源問題と大きな関係が在るとの非公開情報が存在するからである。

すなわち、ベトナムが実際に中国(ファーウェイ)の排斥を行なったとしても5G利用を世界中が推進すればするほど、結局こうしたメコン川問題を深刻化させ得るのであり、それは必然的に中国・ベトナム両経済に悪影響を及ぼすわけであり、それはグローバル経済に更なるダメージを与えるのだ。

サプライ・チェーン上、我が国も含めた各国が東南アジア及び中国に依存している。その意味でも、また水などの資源という意味でも中越関係の異常はウォッチしなければならないことだということを忘れてはならないのである。

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。

大和田克 (おおわだ・すぐる)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2014年早稲田大学基幹理工学研究科数学応用数理専攻修士課程修了。同年4月に2017年3月まで株式会社みずほフィナンシャルグループにて勤務。同期間中、みずほ第一フィナンシャルテクノロジーに出向。2017年より現職