会社の終活
福谷 尚久(ふくたに・なおひさ)
国際基督教大学(ICU)教養学部卒、コロンビア大学MBA(Beta Gamma Sigma会員)、筑波大学大学院法学修士、オハイオ州立大学大学院政治学修士。国際連合(国際平和年事務局・ニューヨーク)勤務を経て、1987年三井銀行(現・三井住友銀行)入行。さくら銀行事業開発部、同行投資銀行DC企画米国代表(ニューヨーク)を経て、2001年大和証券SMBC(シンガポール)コーポレートファイナンスヘッド兼アジア太平洋地区M&A統括。2005年3月GCAサヴィアン入社。マネージングディレクター、基師亜(上海)投資諮詢有限公司(中国現法)董事長、GCA Savvian India Investment Advisers Private Limited(インド現法)取締役などを歴任。2015年7月パートナーとしてPwCへ入社。土屋 文博と共著で2019年9月に『会社の終活』を出版。

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ケース2 事業承継②

売り手 C 社 買い手 D 社
業 種 化粧品受託製造 買収ファンド(PE)
年商/上場区分 50 億円/非上場 非公開/非上場
M&A の目的 事業承継 会社買収(ファンド資金運用)

化粧品製造業の事業承継 ~株式・事業資産の譲渡

売り手 C社社長 県内の同業他社との懇親会にて
「ご商売はいかがですか。私どもはいわゆるインバウンド消費の影響で、取引先からの増産要請に必死で応えている状況です。化粧品受託製造会社といっても、御社のように大量生産が可能な工場があればいいのですが、我が社はなにせ少量多品種製造が売り物なので四苦八苦していますよ。お蔭様で業績は順調なものの、最近悩むことが多くて。お取引先から感謝されて、忙しくしていることはむしろ幸せなことですし、社員も自分たちで勉強会を開いたりして、熱心に仕事に取り組んでくれています。ただ大学院に進んで留学している一人娘がね、薬学専攻で将来を託そうと期待していたのですが、あちらの生活が楽しいらしくて帰ってくる気配がないのです。社員から後継者を見つけられるかというと、研究家肌の人材が多くて経営を担えそうな者がおりません。ここしばらく会社の行く末をじっくりと考えてみたのですが、工場の敷地や建物は私の一族で所有していますし、誰かが会社を引き継ぐと手を上げてくれたとしても、金額的に相当な負担を強いることになりそうで、困っています。」
買い手 D社の投資担当取締役 社内でのミーティングにて
「C 社の分析資料は…これか。ふむふむ、非公開会社だから推測の部分はあるが、50 億円程度の売上に対して利益率も高いし、ずっと増収増益を続けている。取引先からのヒアリングを参照しても、技術力が高く、伸びしろのある会社だと称賛のコメントが目白押しだね。唯一の懸念材料が後継者問題、というのは我々にとっていい仕事をさせてもらえる可能性が高いということだ。この情報を早めに入手できたのは何よりだ。おそらく同業のプライベート・エクイティ・ファンド(PE)に気づかれたら、C 社への猛烈な攻勢が始まるに違いない。すぐに提案書を準備して、C 社社長へアポイントを取ってくれ。バリュエーションはEBITDAマルチプルで2 桁近くなるだろうし、DCF法で評価しても相当いい線になるから売り主には納得してもらえるだろう。ただ提案書はできるだけ横文字を使わないように気をつけて。我々の強みである、“ハート・トゥ・ハート”を強調するように。エグジットは我々のポートフォリオ先の、紫外線吸収剤を作っている会社とのロールアップがIPO より現実的かもしれない…」

❶背景、経緯

◎ C社は地方に所在し、少量多品種製造が得意な化粧品受託製造会社で、技術力が高く内部留保も十分といった堅実な経営を続けていた。ただ社長が1人で経営全般を見ているような状況で、後継と頼んでいた一人娘に会社の将来を託すことは難しいと考えるようになっていた。

◎ D 社は中堅・中小企業を買収し、価値を高めたうえで将来的にエグジット(EXIT:“出口戦略”ともいう)して投資資金を回収するPE で、特にオーナー系企業の買収を得意としていた。

◎ 両社の接点は、D 社がC 社の同業者からC 社社長の悩みを伝え聞いたことで、面談を直接申し入れたことによる。D 社の投資先(“ポートフォリオ先”ともいう)の1社にC 社の商材に近い製品を扱う会社があったため、D 社担当役員の業務に対する理解は深く、C 社社長は好感を持って迎えた。

◎ だが議論を進めるうちに、株式の売却価額よりも会社の存続と社員の今後に腐心するC 社社長の思いと、他のファンドに参入機会を与えないため、高い買収価額を提示して早期の決断を迫るD 社の考えにズレが生じるようになり、買収交渉が頓挫するおそれが出てきた。

◎ これに危機感を持ったD 社は、C 社社長の優先事項を再確認し、買収後もC 社社長が一定期間経営を担うことや社員の処遇を確約するなど、条件面で配慮することとした。この結果、約1年間の交渉期間を経てD社によるC 社の100%買収が完了した。

❷このエピソードの特徴と問題点

◎ 本ケースは、業績が順調で株式価値の高い優良企業が身内以外の後継者を見つけることが難しい点、そしてこうした企業が買収ファンドにとっては垂涎の投資対象であった点において、ファンドによるバイアウト型の典型的な事業承継案件だった。

問題点① 社長一族が保有する不動産の取扱い:C社工場の不動産と設備は、C 社社長の親族(本人含む)が出資する合資会社が所有していた。それぞれC 社の事業継続のためには不可欠な資産であるが、D 社のファンドの規定では買収対象は有価証券(=会社株式)に限られ、不動産は買い取れない決まりとなっていた。

問題点② 双方の“文化背景”の違い:最初のアプローチでD 社がC 社の製品と技術に理解を示したため、C 社社長はD 社による会社へのコミットに期待していた。ところがD 社は「高い価格で会社の株式(価値)を現金化できる」という点を強調し、特殊用語(EBITDA マルチプル、ポートフォリオ会社、ロールアップなど)を駆使して理解を求めようとしたため、技術家肌でお金には比較的恬淡としていたC 社社長に違和感が生じた。

問題点③ 双方の思惑の齟齬:D 社は傘下の投資先の1つに紫外線吸収材生産で国内シェアトップの企業を抱えており、この会社はシナジー効果の高い新規事業を求めていた。ファンドによる買収のエグジットは通常、株式上場(IPO)か他社への売却(別のファンド又は事業会社など)となることが多いが、C社の買収は将来的に両社を統合して主力商品である紫外線吸収材を活用した化粧品の商品化を狙う要素もあった。D社はC 社の成長戦略としてこのアイディアを示したが、C 社社長にとっては社員と築き上げてきたものが失われるという危機感が募った。

❸問題点への対応

◎ 売り手にとって会社の譲渡とは、当然事業そのものが一体化した形での取引を想定している。ところが本ケースのようにファンドによる投資の対象には制約があるため、事業資産の一部を買い取れない事態が起こる。

◎ ただこうした状況も相互の理解と取引形態の工夫で解決が可能である。本ケースにおいては、事前に売り手一族の合資会社が保有する不動産の鑑定を綿密に行って価額を算定し、C 社株式の売却と同時に、C 社が合資会社から事業に関連する土地・建物を買い取る契約を結び、不動産取引に伴う手数料や税金支払額も織り込んで、最終的な株式譲渡価額を決定した。

◎ 本ケースで直面した当事者間の“ささくれ”については、ファンド(D社)側が丁寧に内容や考え方を説明することによって、C 社側の誤解や思い込みを解くことができた。たとえばD 社の既投資先との統合もあくまでアイディアであって、C 社の独立性と社員の待遇の確保を約束する観点から、D 社は買収後も一定期間C 社社長に現職にとどまってもらい円滑な承継を進めることを提案し、C 社社長もこれに応じた。

❹成功のためのポイント

◎ 多くの中堅・中小企業にとって、事業承継とはすなわち「会社を現在のまま、どのように次世代に引き継ぐか」を意味する。ところがファンドによる会社買収のケースでは、承継した企業に一段の価値の積み上げを求める点が通常とは大きく異なる。そのためこうした概念が腹落ちするまで交渉にはじっくりと時間をかける必要があり、これが成否を左右する。

◎ 特に本ケースのように売り手の事業が順調な場合には選択肢も多く、買い手側が拙速に事を進めようとするのは禁物である。根気強く買収(売却)の意義を説明し、相互のニーズの一致をみない限り成功はおぼつかない。

◎ 化粧品受託製造業の業界は意外に狭く、業界内で本件に関する情報が漏えいしないよう細心の注意を払った。同業他社の参入を回避したいとの買い手の意向もあり、案件の進行状況が外部に漏れにくかったことが奏功した。このほか、同族会社で事業資産の一部を保有しているケースは少なくないが、本ケースのように会社株式の譲渡と同時に処理することが最良の対応策である。

税務・会計の観点から

1.プライベート・エクイティ・ファンド(PE)の株価評価

M&A における特殊用語を簡単に解説します。

プライベート・エクイティ・ファンド(PE)は、多くの機関投資家や個人投資家から集めた資金を使って、上場していない会社の株式(プライベート・エクイティ)を取得し、企業の経営に関与して企業価値を高めたうえで株式を売却し、利益を獲得することを目的とした投資ファンドをいいます。

ロールアップとは、囲い込みともいい、同じ業種の企業を次々に買収し、買収した企業の経営資源を統合することにより企業価値を高める手法です。

ポートフォリオとは、分散投資(異なる分野、業種などへの投資の組み合わせ)を意味します。PE ファンドは、ファンドのポートフォリオ戦略によって投資先を決定しています。また、PE ファンドの投資手法として、会社の支配権を獲得しないマイノリティー投資と、会社の支配権を獲得する(企業全体を買収する)バイアウト投資があります。

PE ファンドは、一般の事業会社が対象会社を買収する際の企業価値の見方とは異なった見方をします。PE ファンドでは、対象会社の事業のキャッシュに着目し、NPV 法、IRR 法、回収期間法により、投資判断をすることが多いようです。PE ファンドの買収後のエグジット(出口)は、IPO(株式上場)による株式の売出しや市場売却、M&A による株式売却を想定しています。

EBITDA マルチプルとは、EBITDA の倍率(=マルチプル)であり、企業価値がEBITDA の何倍かということを示す指標です。EBITDA は、Earnings Before Interest、 Taxes、 Depreciation and Amortization の略であり、直訳すれば、「利息、税金、有形・無形固定資産の減価償却費の控除前の利益」という意味です。具体的には、下記の算式で算定します。

EBITDA =当期純利益+ 税金+支払利息+有形・無形固定資産の減価償却費

いってみれば、EBITDA は営業キャッシュ・フローに近い概念であり、営業キャッシュ・フローで何年で回収できるかという指標です。EBITDA マルチプルの目安は、8 倍から10 倍といわれています。

DCF 法とは、ディスカウンティッド・キャッシュ・フロー法(Discounted Cash Flow Method)であり、その事業で稼得するキャッシュを現在価値に割り引いて企業価値を算定する方法であり、理論株価といわれています。⇒第3章Ⅴ 参照

2.不動産の譲渡に関する税金

本ケースでは、C 社株式の売却と同時に、C 社が売り手一族の合資会社から事業に関連する土地・建物を買い取っています。対象会社が事業に関連する不動産をすべて所有しているとき、対象会社の株式を取得すれば、事業に関連する不動産もすべて自動的に取得することになりますが、対象会社以外の者が事業に関連する不動産を所有している場合には、株式の譲渡とともに、不動産の譲渡を受けることになります。

この不動産の譲渡は、株式の譲渡以外の税金が発生することになるため、M&A を検討する際には、忘れずに考慮しなければならないポイントです。

合資会社において譲渡した土地・建物に含み益があれば、合資会社において、固定資産譲渡益が生じます。合資会社に税務上の繰越欠損金がない場合には、合資会社のタックスプランニングが必要となる場合もあります。

また、土地・建物を取得したC 社においては、不動産の取得に係る登録免許税及び不動産取得税が生じます。登録免許税及び不動産取得税の概要は、下記のとおりです。

① 登録免許税

内容 課税標準 税率
土地の売買による
所有権移転登記
不動産の価格 1,000 分の20
1,000 分の15(2021 年3 月31 日まで)
建物の売買による
所有権移転登記
不動産の価格 1,000 分の20

② 不動産取得税

内容 課税標準 税率
土地 不動産の価格
2021 年3 月31 日までに宅地等(宅地及び宅地評価された土地)を取得した場合、不動産の価格×1/2
100 分の3
(2021 年 3 月31 日まで)
建物
(非住宅)
不動産の価格 100 分の4

法務の観点から

1.株式譲渡と許認可

本ケースでは、M&A の手法として株式譲渡が用いられています。

株式譲渡は、対象会社の支配株主が買主に変わるだけで、対象会社の法人格や組織には何ら変動がないことから、対象会社が許認可業務等を営んでいる場合には、原則としてその許認可をそのまま引き継ぐことができます。

C 社は化粧品受託製造業者であり、後述のとおり化粧品製造業は許可が必要となりますから、株式譲渡が適しているといえます。

2.化粧品製造業と許可

化粧品(通常の化粧品のほか、シャンプー、顔・からだ用石鹸、歯磨き粉、日焼け止めやリップクリーム、香水なども含まれます。)を製造するためには、化粧品製造業許可が必要です(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(いわゆる薬機法、旧薬事法)13 条)。通常の化粧品製造のほか、出荷前の化粧品の包装や保管のみを行う場合にも許可が必要です(前者は一般区分、後者は包装・表示・保管区分)。

さらに、製造した化粧品を国内に流通するためには、別途、化粧品製造販売業許可が必要となります(同法12 条)。

許認可は、法務デューデリジェンスにおける重要な対象です。許認可を要する対象会社の事業について必要な許認可が取得されているか、許認可が将来的に取り消されるおそれはないか、M&A 取引の実行に伴い許認可に係る事業を引き継ぐことができるか等を主に調査することになります。⇒第4章Ⅱ6 参照

3.不動産の取扱い

法務DD では、対象会社が保有又は使用している不動産の調査は不可欠です。⇒第4章Ⅱ 4 参照

ところで、本ケースでは、対象会社となるC 社の工場・設備は、C 社の所有ではなく、同社の社長一族の出資する合資会社が所有しており、他方で買主となるD 社のファンドの規定では買収対象は株式に限られています。

そこで、C 社に、合資会社から不動産を買い取らせることが重要となります。

対象会社の使用している不動産を、同一親族が運営する会社が所有していることはしばしばあります。買取後も対象会社から不動産をそのまま借り受け続けるのは、①買収前の対象会社と同族会社は同一親族が運営する会社同士であるので、相場から見て公平でない借地契約や、使用貸借にもとづく利用権限の設定がなされていることが多いこと(いわゆるアームズ・レングスでない。⇒ケース12【法務の観点から】4参照)、②そのような利用権限では土地の利用権者がその利用権限を第三者に対抗できなかったり、対抗はできても契約上の権利が弱く利用権限を維持できない可能性が高いこと、③利用権者と利用権設定者が親族間であればそのような弱い利用権限でも問題ないが、買収が完了し対象会社と合資会社の親族関係がなくなった場合には問題が顕在化するおそれがあること、といったことが懸念されます。

そのため、本ケースのように、対象会社をして不動産を買い取らせるか、それができない場合でも、土地の利用権設定契約を締結し直すなどして利用権者の権限を強化する必要があり、そのような買取りや契約の変更が、最終契約書においてクロージングまでの義務及びクロージングの条件とされるべきでしょう。

4.対象会社の従業員・役員の取扱い

株式譲渡の場合、対象会社の法人格自体に影響はなく、建前としては、雇用契約、就業規則といった労働関係はそのまま買主側に引き継がれます。

しかしながら、本ケースでは、D 社の思惑として、C 社の買収後、将来的に同社とD 社の傘下企業とを統合したいということがあり、この統合(組織再編)の手法によってはC 社の従業員の待遇に影響が及ぶことがあります。
⇒第4章Ⅱ 5 参照

雇用の維持や労働条件の維持義務を最終契約書において誓約条項として規定する(⇒第4章Ⅲ 2 参照)ことにこだわる売り手と、買収後の見通しが必ずしも万全とは限らず将来の雇用や労働条件の維持をできるだけ確約したくない買い手との間では、しばしば激しい交渉が行われるところであり、通常、義務を負う期間を一定期間に限定したり、努力義務にとどめる形で妥結する場合が多いともいえます。

また、買収前の対象会社の役員が、買収後も会社に残るか否かも、しばしば論点となります。

買収前の役員の知見が必要である等、買主が当該役員に会社に残ってもらうことを希望する場合には、買収後の待遇等について、基本合意書締結の段階あたりから検討しておく必要があり、さらに、こうした待遇についてまとめた経営委任契約の締結を行うことがしばしばあります。
⇒ケース9【法務の観点から】5参照

まとめ

  • M&A の成否は、相手先の会社カルチャー(社風)の尊重が大きく影響する!
  • 「 相互理解に十分時間をかけること」=「ハッピーエンディング」。
  • 業界内は「壁に耳あり障子に目あり」。情報漏えいには細心の注意を!