※画像をクリックするとAmazonに飛びます
ケース7 業績不振①
売り手 M 社 | 買い手 N 社 | |
---|---|---|
業 種 | 航空貨物代理店業 | 倉庫業、港湾・海上・陸上運送業 |
年商/上場区分 | 7億円/非上場 | 300 億円/上場 |
M&A の目的 | 事業承継・業績不振 | 事業拡大・免許取得 |
航空貨物業者の売却 ~総合物流業者による買収
- 売り手 M 社の社長 訪問してきた取引銀行の担当者に対して
- 「これまでいろんなゴタゴタもありましたが、お宅(銀行)の皆さんには本当によくしてもらって、随分と大きな仕事もしてきました。以前はウチのような小回りの利く会社は、それなりに重宝がられていたんですが、最近は何から何まで一気通貫で荷がさばける“総合力”っていうんですか、大手に仕事が集約しちまって、業績がどうにも上向かないんです。最近は体もいうことをきかなくなって、カミさんとごく少数の事務員と切り盛りしてますが、跡取りもいないからいま私に何かあったらお取引先に大変な迷惑をかけちまう。ここまで何とか今までの貯えで食いつないできましたが、もう厳しいね。ウチの価値は、小体の割にはしっかりとした会社さんとの取引口座をいっぱい持っていることと、IATA(国際航空運送協会)代理店業務の免許を持っていることだと思うんです。まぁこの免許は全国でもせいぜい百数十社しか保有していないから、いい取引があるわけなんですけどね。こんな会社ですが、興味を持って引き継いでくれる会社はないでしょうかね。」
- 買い手 N 社の社長 父親で創業者である同社会長に対して
- 「…そういうわけで会長、祖業である倉庫業と、そこから業務範囲を広げてまず陸上運送、そして港湾と海上運送に至ったという、これまで当社が強みとしてきた事業はほぼ完成形を描くことができました。本州のみならず北海道・四国・九州、そして沖縄に至るまで、当社のトラックとコンテナが行きわたっています。これもお父さん、いえ、会長が寝食を忘れて従業員の皆さんと取り組んできた業容拡大方針の成果でしょう。そこで社長を引き継いだ私のミッションは、この勢いをさらなる成長につなげ、総合力を強化することです。日本企業は否応なくグローバル化に直面し、海外との取引を避けて通れない中、長年検討していた国際航空貨物の分野に進出することが、その解だと考えます。国際海上輸送は大手事業者の寡占化を崩すことが難しく、航空貨物の分野はまだ成長の余地があります。その実現のためにはIATA 免許の取得が前提となりますが、最も効率的なやり方は、免許を保有する業者を買収することです。具体的な対象企業がありますので、それをこれからご説明します…」
❶背景、経緯
◎ M 社社長はかつて大手の貿易商社に勤務していた。若くしてスピンアウトし、業界の黎明期にいち早く航空貨物事業に特化したことにより、M社は日本全国で百数十社にしか認められていないIATA(InternationalAir Transport Association:国際航空運送協会)代理店業務の免許を保有していた。
◎ M社はそのメリットを生かして、かつては独立系業者として業界の中でも目立った存在だったが、近年は大手業者の総合力に対抗することが難しくなり、こうした中で後継者の不在に悩んでいたM 社社長に追い打ちをかけるように本人の健康問題が生じた。長期にわたって低迷する業績と財務内容にも歯止めがかからず、M 社は取引先の銀行に会社売却を相談した。
◎ N社は倉庫業をベースとして、港湾・海上・陸上の物流業務を営むオーナー系の上場企業だった。国内での物流網はほぼ完成していたが、取引先からのサービス拡大の要請にもとづき、海外事業への展開が急務であった。これに応えるため、N 社は自律的な成長だけでなく、M&A をも活用した事業拡大によって、総合力を高めることを企図していた。
◎ N 社が多方面に案件の紹介を働きかけていたところ、M 社の売却意向をキャッチした取引銀行より本件が持ち込まれた。業績面、財務面いずれも問題含みだったため検討に時間を要したものの、IATA 業務免許を保有し、国際航空貨物分野へ確実に展開できるM社の有用性を十分に理解したN 社は、約1 年後にM 社社長が保有していた株式100% の買収を完了した。
❷このエピソードの特徴と問題点
◎ 近年、我が国でも政府の主導によって規制改革が叫ばれ、各方面で規制の緩和が話題となっているが、ビジネス上では依然としてライセンスや既得権益を有することによる優位性は存在している。このような状況から、M&A の中には特定の事業を営むために必要な許認可を取得する目的で実施される買収があるが、本ケースはこうした事例の1つである。
問題点① IATA 代理店免許の継承:N社によるM社買収の動機は、国際航空貨物事業に進出するためのIATA 代理店業務の免許取得だったが、加盟業者が一律に結ぶ契約書には、株主が変更される場合はIATA 本部の許可が必要であるとの記載(チェンジ・オブ・コントロール条項)があり、単にM 社を買収するだけでは免許が引き継げないおそれがあった。
問題点② 業界内の競合関係:新興企業で成長力の高いN 社が海外展開を企図していることは業界内で噂されており、同業他社による警戒感が強い状況だった。そのためM 社を買収しても、実質的にN 社主導の体制が整う前に、M 社の商権が他社の草刈り場となってしまうおそれがあった。
問題点③ M 社の累積損失:近年の売上低迷による業績不振のほかにも、M 社には⑴バブル経済の最盛期に本社を建設したことによる償却負担、⑵過去に役員だったメンバーの背任行為によって会社資産の流用があったこと、などによって会社の規模に比べると相当の累積損失が存在していた。
❸問題点への対応
◎ IATA 代理店の免許獲得が本件取引の肝であったため、N 社は国際商取引に詳しい弁護士を起用し、株主変更によるライセンス継続の可否をIATA 本部へ問い合わせた。事前の照会では「問題なし」とのことであったが、慎重を期し株式の譲渡契約書調印と並行して同本部宛てに株主変更申請を提出し、その認可取得をクロージングの条件とした(最終的に問題なく認可は取得できた)。
◎ 競合他社による介入への対策としては、N 社によるM 社の買収が上場企業の適時開示義務における軽微基準に該当するものだったため、外部発表は見合わせた。さらに買収後1年間はM社の商号を変更せず、M社社長は続投しながら徐々に業務の引継ぎを行い、N 社主導の体制を固めていった。1年後にM 社の子会社として社名を変更し、他社による干渉を排除して、念願の国際貨物分野への“ロケットスタート”を切ることができた。
◎ M 社の財務状況は相当危機的で、N社の前にM 社に興味を示していた大手の同業者は財務的なリスクから検討を取りやめたほどだった。父親から社長職を引き継いだばかりのN 社社長も、デューデリジェンス後にM社買収をあきらめかける一幕もあったが、会長から「バランスシートではなく、免許を買うのだ」というアドバイスを受け、買収の決断に至った。
❹成功のためのポイント
◎ 本ケースは実質的な「買収の対象」が会社の事業そのものではなく、対象会社に属するライセンスであった。一方でM&A における買収対象は会社又は事業であるため、この種の案件における買い手は、形式と実体のバランスをしっかり認識しておく必要がある。
◎ 前述の発言からもわかるとおり、N社の会長はこの点をよく理解しており、買収によるメリットとリスクを天秤にかけて最終的な判断を下したのである。ただしサラリーマン経営者にとってこのような判断は難しい部分があり、上場企業ではあるものの、買い手側のオーナー経営者が自らの責任で買収を決断したことが取引の成約につながった面も大きい。
◎ このほか、売り手のM 社社長が長年構築してきた取引先基盤と信用力が堅固だったことも、成功の大きな要因として特筆される。というのも買収後1年間のN 社による引継ぎと体制固めのための準備期間に、ほぼすべてのM 社の既存顧客が取引の継続を確約し、この間の情報漏えいを防ぐことに協力してくれたのである。買収目的は許認可であるにせよ、その実効性を担保するのは、やはり対象会社(経営者)であることも忘れてはならない。
税務・会計の観点から
会社を買収する場合には、その会社が有する資産及び負債を時価評価した純資産額が企業価値の基本となります。しかし、会社には有形の資産だけではなく、無形の資産もあります。IFRS(国際財務報告基準:InternationalFinancial Reporting Standards)では、無形資産をマーケティング、顧客、芸術、契約、技術の5 つの区分で例示しています。
無形資産には、以下のものがあります。
① マーケティング(商標権、商号、商品名、インターネットドメインなど)
② 顧客(顧客リスト、受注残、顧客との契約、顧客との関係)
③ 芸術(書籍、雑誌等の権利、音楽作品、映画等のコンテンツ)
④ 契約(ライセンス契約、フランチャイズ契約、販売権、許認可など)
⑤ 技術(特許技術、特許製法、特許権)
本ケースは、買い手が許認可という契約の無形資産に価値を見出し、買収に至ったというケースです。このような無形資産の取得を狙ったM&A も多く実行されています。会社を売却するにあたっても、自社にとってこの5 の区分においてどのような価値があるかを考えてみるのもいいかもしれません。
無形資産はどのように評価されるのでしょうか。PPA(プーチェス・プライス・アロケーション)における無形資産の評価方法を紹介します。PPA とは、買収後に、買収価額を資産、負債の時価評価を基礎として配分する手続です。無形資産及びのれんも識別されます。
コスト・アプローチは、再調達原価法とヒストリカルコスト法があります。再調達原価法は、現時点で再度取得する場合に要するコストの総額で評価する方法です。本ケースのように、IATA(国際航空運送協会)代理店業務の免許のような特許権では、コストだけでなく、取得の困難性(いわゆる参入障壁)も加味されることになります。
マーケット・アプローチは、実際の類似取引価格との比較によることになります。とはいえ、取引事例も少なく、また、実際の類似取引価格を知りうることはあまりなく、見聞程度でしか類似取引価格を把握することができないのが実情です。
インカム・アプローチは、将来の収益(インカム)により評価を行う方法です。評価方法には、ロイヤリティ免除法、超過収益法、利益分割法などがあります。
法務の観点から
1.航空貨物代理店資格とM&A
M 社は、国際航空運送事業(航空貨物代理店)を業として営んでいます。
航空運送代理店業を営もうとする者は、航空会社から代理店認可を取得後、国土交通大臣に届出をする必要があります(航空法133 条1 項)。
航空貨物代理店には、国際航空運送協会(IATA)に認可されたIATA 貨物代理店とサブ・エージェントがあるところ、IATA 貨物代理店以外は、IATA加盟航空会社(世界の国際航空貨物輸送の9 割以上を運んでいます。)の代理として航空貨物運送サービスを提供することはできません。
最初に、M&A の手法と許認可の関係が問題となりますが、本ケースでは、株式譲渡の手法が用いられているところ、株式譲渡の場合は対象会社の法人格自体に影響はなく、事業に関する権利義務の承継が生じないことから、新たに許認可を取得しなくて済むケースが一般的です。
しかしながら、本ケースでは「加盟業者が一律に結ぶ契約書には、株主が変更される場合はIATA 本部の許可が必要であるとの記載があり、単にM 社を買収するだけでは免許が引き継げないおそれがあった。」との事情があることから、このチェンジ・オブ・コントロール条項についての手当が必要となります。⇒第4章Ⅱ 3 ⑴ 参照
具体的には、最終契約書において、売主であるM 社の義務としてIATA 貨物代理店の資格の承継の可否について必要な手続を確認してクロージングまでに履践することや、N 社がIATA の承認を得てIATA 貨物代理店としての認可を受けることを取引実行の前提条件として盛り込む等することが考えられます。⇒第4章Ⅱ 6 参照
あわせて、M 社の既存顧客との取引契約関係においてもチェンジ・オブ・コントロール条項が盛り込まれている可能性がありますので、この点についても手当が必要となります。
2.上場会社とのM&A における注意点
M 社の取引相手となるN 社は上場会社です。上場会社とのM&A においては、臨時報告書の提出やインサイダー取引規制といった制度があることに留意する必要があります。⇒ケース3【法務の観点から】2参照
3.対象会社の財務状況と表明保証
対象会社であるM 社は、会社の規模に比べると相当の累積損失を抱えており、危機的な財務状況にあります。
そこで、最終契約書において、最終契約日及びクロージングの日の時点で、M 社の財務諸表及び会計帳簿に虚偽記載はないことや、貸借対照表上引当計上されていない偶発債務 (保証債務等) が明らかにされたもの以外に存在しないこと等について、表明保証条項を盛り込むことが不可欠です。⇒第4章Ⅲ 2 ⑶ 参照
まとめ
- 事業の円滑な承継は、売り手の積極的な協力があってこそ!
- 許認可の引継ぎは、手間のかかる“ガラス細工”。くれぐれも慎重に!
- 表明保証条項は転ばぬ先の杖。