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ケース20 海外M&A
売り手 ワ 社 | 買い手 カ 社(米国企業) | |
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業 種 | 運輸業ほか | 不動産管理及び投資会社 |
年商/上場区分 | 40 億円/非上場 | 非公開/非上場 |
M&A の目的 | 投資物件整理 | 投資物件購入 |
経営統合準備目的による、投資物件の整理
- 売り手 ワ社の社長 取引金融機関の担当者に対して
- 「それで、まだ買い手は見つからないのかね。アメリカに持っているホテルの売却先探しを頼んでから、もう1 年近くになるじゃないか。毎回判で押したように『現地のスタッフに急ぐように指示しています』と報告を受けるのはもうたくさんだよ。そちらには多くの預かり資産を運用させているのだから、早いところ処理してほしい。そもそも本業の延長で細々とやっている国内のホテル事業に、“米国の最新のノウハウを吸収しましょう”と3 年前にこの物件の買収を勧めたのは君の会社だろ? 結局ほとんど得るものはなく、早めに処分することを決めたわけだが、今回の売却でまた手数料を取られるなんて、本当にやり切れない思いだよ。今まで伝えてはいなかったが、本業も厳しくなってきて他社との統合を本格的に検討し始めているところだ。ただ海外にこのような投資物件を保有しているままだと、条件的に不利になることは目に見えているし、相手との間で統合準備委員会の設置もままならない。とにかく早期の売却に向けて、全力で取り組んでほしい。」
- ワ社が起用した米国の不動産ブローカー ワ社の社長に対して
- 「このたびは弊社をご用命いただき、誠にありがとうございます。これまで従来のお取引金融機関に依頼されて、かなり長い間“待ち”の姿勢で、お持ちの物件の売却をお考えだったと理解しております。正直なところ、現地の不動産市況を鑑みますと、積極的に売却に向けたマーケティング活動を行わないことには、買い手探しはおぼつかないものと思料いたします。弊社がお引き受けさせていただいたからには、業界内外に張りめぐらした多面的なネットワークを駆使して、今後は物件プロファイルの作成から最終契約に至るまで、十分なサービスを提供させていただきます。また対象物件(ホテル)を独立法人として保有されていることから、当該株式を譲渡するという売却形態をご希望とのことですが、早期に決着させるためには不動産物件としての売却も視野に入れる必要があると考えております。そのほかにも、なにぶん営業用の物件ですから、市政府や税務当局との交渉記録や設備投資・メンテナンスのレポートなど、整備しておくドキュメントは非常に煩雑で、大変な作業が必要になります。」
❶背景、経緯
◎ ワ社は副業として国内で運営するホテル事業への運営ノウハウ獲得のため、米国でホテル1 棟を買収(独立法人)し、現地管理会社に運営を委託していた。ただ地域性の違いや宿泊客の嗜好の急激な変化から、所期の目的を十分に達成することができず、売却を志向していた。
◎ 当初ワ社は、買収時にFA を務めた金融機関に再び売却のアドバイスを依頼し、買い手が現れた時点で売却の詳細を検討するという受動的な姿勢だったが、まったく進展がなかった。そこで現地不動産ブローカーを利用する積極的な売却マーケティング戦略に転換したところ、最終的に現地で不動産投資を営むカ社との間で売買契約書を締結し、売却戦略を転換してから約半年間で売却を完了した。
◎ ただし買い手は、ワ社の保有するホテルに“不動産投資物件”としての興味を示したため、運営法人の株式を売却する形態は取れず、ビジネスとホテル資産を事業譲渡する形で取引を完了させた。
❷このエピソードの特徴と問題点
◎ 本章のケース19 でも見たように、大企業に限らず中小企業に対しても、余剰資金の運用手段として、金融機関から金融商品や不動産などの投資案件を紹介されることは多い。貸金の利ザヤが確保できなくなった近年は、ますますこの傾向が強まっているが、現業の延長で持ちかけられる場合でも十分な検証が必要であることは、このケースからも理解できる。
問題点① 売却対象のホテルの許認可、環境汚染、訴訟に関する保証責任を負担する義務:売却以前に発生し、買い手の責任に帰さない上記に掲げるような事項については、売り手が保証責任を負う義務がある。通常は契約交渉の中で期限を議論したり、保険をかけたりすることによって最終的な落着点を見出すことになる。
問題点② ホテルの所在する市当局との間での、租税負担をめぐる紛議:売却交渉中に、ワ社のホテルが利用していた下水道施設について、税務当局から「本来支払うべき税金額が不足している」との指摘がなされていた。ワ社側は、「前オーナーからホテルを買収する以前から適用されている税率に従って納税してきた」、という主張で争う係争関係が続いており、案件の完了が遅延する懸念があった。
問題点③ 将来的な偶発債務が発生する可能性:本ケースは最終的に事業譲渡の形で現地法人の運営するホテル事業を売却する形態となったが、これを受けてワ社は、ホテル売却後も本業である運輸業の事業拠点として、現地法人はそのまま残すことを考えていた。ただし現地法人が存在している限り、将来的な偶発債務が起こる可能性があった。
❸問題点への対応
◎ 海外での取引において最も重要な議論となるのは、売り手側が保証すべき義務をどの程度の範囲にするかという点である。一般的に「表明保証」(英語でRepresentations and Warranties という)とよばれ、売買取引の契約当事者間において、その取引の前提となった内容(たとえば営業上の許認可を取得していることや、税金の未払いがないことなど)が真実であることを表明し、保証することをいう。
◎ 本ケースにおいても、この表明保証を含め、売却完了時点とそれ以降に売り手がどの範囲で責任を負うことにするかという点と、継続中の係争案件で将来的に支出が起こった場合、どのように売り手が補償するかという点が交渉上の大きな論点となった。
◎ 先の問題点はすべてこの論点が影響を及ぼしているが、十分な交渉と検討の結果、⑴保証義務については通例における最短の保証期間である1 年間とすることで決着し、⑵下水道施設利用の租税負担に関しては、ワ社側が税金相当額を供託し、追徴があった場合にはそれで補填し、なければ係争が終了した時点で供託金を全額回収する取り決めとし、⑶将来的な偶発債務の発生する可能性を極小化するために、ホテル資産売却後は残った現地法人を速やかに清算することで解決した。
❹成功のためのポイント
◎ 本ケースから学ぶ点はいくつかあるが、まずその道の「プロ」を起用する必要性があげられる。不動産であれ先物商品であれ、金融機関が売り込んできたものであったとしても、後処理については売込み時と比べれば熱心でないことも多く、特に損切りを行う覚悟があれば、最も取引に適したプロに任せて迅速に対処することが肝要である。
◎ また海外でM&A を行う場合は、法律、税務、会計、許認可や保証関係に至るまで、国内企業同士の取引とは勝手が違い、煩雑で手間のかかる作業となるため、数倍の労力とコストがかかると考えておいたほうがよい。
◎ そのうえで留意すべきは、⑴想定される事態をすべて洗い出し、契約書上でしっかり取り決めて曖昧な部分を残さない、⑵将来的に追加支出が起こることのないよう、可能な限り限定的な責任負担にとどめるよう交渉する、ことである。本ケースでは使われなかったが、売り手と買い手の間で補償範囲の歩み寄りが難しい場合には、近年「表明保証保険」を利用するケースが増えてきている。今後はこうした保険を使うことが多くなると予想される。
◎ 日本企業は一般的に、買収(参入)することができても売却(撤退)が不得手であることが多い。本ケースは売り手が経営統合を控えて売却を急いでいた状況にもかかわらず、自社に有利な条件で売却ができた好事例といえる。
税務・会計の観点から
会社の買収は、その方法いかんによっては、買収対象会社の債権債務のみならず、権利義務を承継することになります。会社の買収に際しては、買収対象会社の将来税務調査を受けた際に追徴課税を受けるなどの税務リスクも承継します。このため、買い手にとって、税務デューデリジェンスは重要な手続となります。一般的には、税務デューデリジェンスで税務リスクを把握し、買収を行うか否かの判断をし、買収を行うと決めた場合には税務リスクを買収価額に反映させたり、株式譲渡契約において、租税債権補償条項や表明保証条項に租税債務を明記させたり、本ケースのように供託金を拠出させる場合もあります。
税務署長は、申告内容が調査と異なる場合には更正をすることができます。租税債務の更正期間は、9 年ないし10 年です。2016 年度税制改正において法人税の欠損金の繰越期間が9 年から10 年に延長されたことに伴い、法人税の純損失等の金額に係る更正の期間制限も10 年に変更されました。国税通則法の純損失等の金額の更正期間制限も10 年に改正されています(2018 年4 月1日以後に開始する事業年度又は連結事業年度において発生するものに限ります)。したがって、この租税債権の更正期間に従って租税債権補償条項や表明保証条項に租税債務の期間制限を明記する必要があります。
法務の観点から
1.クロスボーダーM&A について
譲渡会社か買収会社のいずれか一方が外国の企業である国際間でのM & Aを、クロスボーダー(Cross-border)M&A といいます。国内企業が外国企業を買収する場合(In-Out 取引)と外国企業が国内企業を買収する場合(Out-In取引)とがあります。
本ケースでは最終的に現地法人による事業譲渡が行われていますが、国内のワ社と海外のカ社とが直接M&A 取引をなす場合を想定して、一般的なクロスボーダーM&A における留意点を述べます。
まず、契約交渉や取引の実行にあたって、相手方となる外国企業の国の法令の適用を考慮することが不可欠であることから、その国の法令に通じた法律事務所や会計事務所の専門家を確保することが必要となります。もっとも、距離や言語等の問題がありますので、海外の専門家と関係のある国内の専門家に依頼をし、これを通じて協働してもらうことも多いといえます。
交渉においては、用いる言語の決定や文化等の相違の考慮が必要となります。
また、法務の観点からは、国内及び海外における各種の法規制について、これを十分に調査し踏まえたうえで取引を進めていくことが不可欠です。投資規制については、Out-In 取引において、我が国でも外為法や一部の業法において外資規制が設けられていますし、In-Out 取引においても海外において同様の外資規制が存するのが一般です。ほかにも競争法規制、環境法規制といった法規制の調査と確認が不可欠です。
さらに、M&A 取引後の経営統合についても、距離、言語、文化等の問題から予想されたよりも円滑に進まないおそれが高いので、取引実行前の段階から計画やスケジュールの設定には慎重を期す必要があります。
当事者間で争いとなった場合の紛争解決方法や準拠法についても、あらかじめ定めておく必要があります。
2.対象会社の租税未納分とエスクロー
本ケースでは、ホテルの下水道施設利用の租税負担に関して、ワ社側が税金相当額を供託し、追徴があった場合にはそれで補填し、なければ係争が終了した時点で供託金を全額回収するとの取り決めがなされています。
売り手と買い手との間に第三者を介して、条件付きで譲渡代金を決済する仕組みをエスクローといいますが(⇒ケース9【法務の観点から】3 参照)、ここでも同種のアレンジメントが採用されています。
3.表明保証の範囲と表明保証保険について
本ケースでは、ワ社のホテルについて、営業上の許認可、環境汚染の有無、租税負担をめぐる紛議、偶発債務発生のおそれ等の**問題点があり、売り手であるワ社の表明保証が不可欠となっています。
もっとも、ホテルは現地法人が運営しており、国内のワ社にとって十分に管理しきれていないところです。
そこで、ワ社にとっては、表明保証の期間や上限額の設定がとりわけ重要になります。本ケースでも保証期間は1 年に限定されているところです。
あわせて、表明保証の範囲を限定するべく、条項に「知る限り」「知り得る限り」等の限定文言を入れること、さらにはアンチ・サンドバッギング条項の挿入などが検討されるとよいです。⇒第4章Ⅲ 2 ⑶ 参照
ところで、近時、表明保証に関する過大な責任の負担を免れるべく、表明保証保険の利用が検討される傾向にあります。これは、M&A に関する契約に規定された表明保証の違反があった場合に、契約当事者が被ることになる経済的損失を補償することを目的とする保険です。買主側が保険契約者になるものと売主側がなるものとがありますが、多く利用されるのは買主側のものです。
表明保証保険を利用するにあたっては、最終契約書に規定された各表明保証条項について、保険会社がなす補償の範囲や免責の有無等を確認したうえで、改めて当該表明保証条項の内容を見直す必要が生じ得ます(たとえば、表明保証の範囲を限定することによって、その違反から生じたすべての損害を補償対象とするなど。)。
被保険者が事前に認識していたり事前に開示されていた表明保証違反、将来の予測に対するものやデューデリジェンスが十分に実施されていない事項についての表明保証違反等については、保険の対象とならないおそれがあるので、注意が必要です。
まとめ
- クロスボーダーM&A は、国内案件の数倍の労力が必要!
- 将来的な偶発債務の発生は命取り。想定される事態は事前にすべて洗い出す!
- 早めの損切りは、将来に禍根を残さない。
- 表明保証保険は万能薬にあらず。表明保証違反事項は保険対象外!