富裕層に共通するものとは何か。

高級車、ブランド品、上品な仕草や言葉遣い――富裕層にはさまざまなイメージが付きまとうが、これらは結局人によりけりだろう。

どんな富裕層にも共通するもの、それは「表情」だ。どこか余裕が感じられる、穏やかなほほ笑み。

富裕層だからこそ、そんな表情ができると考える人もいる。しかし、富裕層が穏やかな笑みをたたえることには、理由があるのかもしれない。

今回は、行動と感情の因果関係について、有名な実験を紹介しながら解説していく。

営業ケーススタディ(16)――とある富裕層の教え

富裕層はなぜほほ笑むのか?「As if(アズイフ)の法則」に見る行動と感情の因果関係【営業心理学#16】
(画像=autumnn/shutterstock.com,ZUU online)

人材コンサルティング会社で働く及川圭佑(37)は、待ち合わせ場所にたどり着き、そわそわと落ち着きなく辺りを見回した。時計を確認すると、約束の時間まで10分を切っている。及川は身だしなみをチェックし、軽く深呼吸をした。

担当顧客である経営者の吉田に、一緒にパーティーに来てみないかと誘われたのは、つい2週間ほど前のことだ。20代の頃から担当している、気心の知れた関係だったこともあり、及川は二つ返事で了承した。

しかしふたを開けてみると、それは富裕層が集う会員制の社交パーティーだった。吉田によると、会員の紹介であれば同伴者も参加できるそうで、比較的敷居の低いパーティーであるらしいのだが、及川にとっては初めての経験だ。これから連れて行かれるのがどんな場所なのか、期待半分、不安半分が正直な気持ちだった。

「及川くん、待たせたね」

声を掛けられて振り向くと、高級車に乗った吉田の姿があった。及川は「今日はありがとうございます」とお礼を伝え、助手席に乗る。そのまましばらく車を走らせると、前方に壮観なホテルが見えてきた。

ゲートをくぐり、吉田にともなわれて建物に入る。会場内にはいくつかのテーブルがあり、吉田と及川はその1つに案内された。

パーティーの参加者は壮年から初老の男性が中心で、ほとんどが会社経営者や医師だという。また、優雅なドレスに身を包んだ若い女性の姿もちらほら見えた。会員の娘や孫娘だと吉田が教えてくれる。

最初は豪奢な調度品や高い天井、参加者の放つオーラに圧倒されていた及川だが、会話が始まると少しずついつものペースを取り戻すことができた。

人間は幸福だから笑顔になるのか、笑顔だから幸福になるのか

同じテーブルの初老の男性と話が弾む。彼は経営していた会社を息子に譲り、今は最高顧問の立場で息子を支えながら、自分は別の事業を始める準備をしているらしい。

「採用は会社にとって命綱です。いい人材が入社しなければ、どんなに実績や歴史のある企業も、一瞬で転落してしまう。及川さんの仕事は、社会的な意義の高いものです」

初老の男性は、穏やかな笑みをたたえて及川にそう言った。上品な物腰や知的な話し方など、端々に余裕が漂っている。及川は緊張しつつも、自分が日頃から考えていることを真摯に話した。

「そう仰っていただけて恐縮です。ただ私にできるのは、あくまでいい人材を発掘するためのお手伝いです。最近は、日本の教育のあり方について考えさせられることがよくあります。産学連携が進むことは、学生と企業のミスマッチを減らすことにもなるのかもしれません」

初老の男性は及川に興味を持ったようで、その後しばらく会話を楽しんだ。すると途中で、吉田が「及川くんは面白いでしょう。私は及川くんの応援団なんですよ」と茶目っ気たっぷりに話に混ざってきた。

「及川さん、幸福と笑顔に関する面白い法則があるんですが、ご存知でしょうか?」

初老の男性に問われ、思い当たることがなかった及川は、素直に首を振った。初老の男性は、重ねて及川に問うた。

「人間は、幸福だから笑顔になるのか、笑顔だから幸福になるのか、及川さんはどちらだと思いますか?」

それは奇妙な問いかけだった。及川は、何と答えようかと思案した。

あなたならどちらを選ぶ?

(1) 幸福だから笑顔になる

(2) 笑顔だから幸福になる

「As if(アズイフ)の法則」から富裕層マインドを学ぶ

及川は直感的に(1)の「幸福だから笑顔になる」を選んだ。

悲しいから泣く、幸せだから笑う。先に悲しい・幸せといった感情があり、それが泣く・笑うといった行動につながる。それが及川の中にある常識だった。

しかし、初老の男性は笑みを深くし、首を左右に振った。

「じつは、リチャード・ワイズマンという心理学者が、『笑顔だから幸福になる』という理論を証明する興味深い実験を行っています」

初老の男性は言葉を続けた。

「リチャード・ワイズマンは、被験者をいくつかのグループに分けました。そして、それぞれのグループに対して『自分が幸せだと言い聞かせる』『幸せだった出来事を思い出す』『周囲に対して感謝の気持ちを持つ』『毎日数秒ずつ笑う』といった指示を出しました。そして、1週間後にそれぞれのグループの幸福度の変化を測定したのです」

及川は話に聞き入った。及川の常識では、『幸せだった出来事を思い出す』グループや『周囲に対して感謝の気持ちを持つ』グループの幸福度が高まるように感じられた。

「結果的に、もっとも幸福度が高くなったのは『毎日数秒ずつ笑う』よう指示したグループだったんです。リチャード・ワイズマンは、これを『As if(アズイフ)の法則』と名付けました」

意外な実験結果に、及川は驚きを隠せなかった。

「意識的に笑顔でいることが、本人の幸福度に影響するんですね。自分で思っている以上に、行動が感情に強く影響を与えるということでしょうか」

及川の言葉に、初老の男性は満足そうに深くうなずいた。

「その通りです。これは、行動が感情に与える影響の大きさを証明した実験です。幸福だから笑顔になるというのも、決して間違っているわけではありません。しかし、人間は笑顔でいることによって、自ら幸福を引き寄せることもできる。これを知っているだけで、日頃の行いが変わってくると思いませんか?」

初老の男性の言葉に、及川は何度もうなずいた。それと同時に、初老の男性が絶えず笑顔を浮かべている理由が、今まさに理解できた気がした。

自分の感情をみだりに表情や行動に表したりせず、むしろ表情や行動によって、感情を制御する。そんな姿勢や心がけが、富裕層独特のオーラへとつながっているのかもしれない。

間接照明に照らされたパーティー会場では、さざなみのような歓談が続く。この場に来ることができてよかったと、及川は改めて社長に感謝の念を抱いた。

行動で感情を律することで、結果が変わる

翌日、及川は珍しく内務だった。昨日のことを思い出しながら、社長にお礼のメールを打つ。送信し終えたタイミングで、たった今電話を置いた同期が、血相を変えて及川のもとに来た。

「今、A社から電話があった。プロジェクトの途中だけど、コンサルティング契約を解除したいって……」

A社は上場している企業で、同期は部長のサポート役として顧客対応をしていた。しかし今日になってミスが発覚し、先方の人事部長が激怒しているらしい。情報漏洩に関するクレームで、事態は深刻だ。A社のコンサルティング契約がふいになれば、今年の部署の予算は未達になる。また、クレームの内容的に、コンサルティング契約の解除だけではすまないかもしれない。

さすがの及川も動揺した。しかし、とっさに昨晩初老の男性から聞いた話が及川の心によみがえった。

――行動が感情を引き寄せる。これを知っているだけで、日頃の行いが変わってくると思いませんか?

及川は、努めて冷静な表情と態度を心がけた。ひと呼吸おき、立ったままの同期にまず椅子に座るよう勧めた。そして穏やかに言葉を紡いだ。

「状況を整理しよう。ミスが発覚したのは今日の午前中で、電話をもらったのが11時。部長は今顧客対応中だから、電話で報告できるのは13時過ぎになるだろう。先方の担当者には、何て伝えてある?」

「すぐに折り返しますって……」

「それなら一度折り返して、『対応を検討し14時までに部長から連絡します』と伝えておいたほうがいい。部長にはショートメールで状況だけ簡単に報告しよう」

同期は及川の言葉にうなずき、電話を入れ、ショートメールを打ち始めた。及川は、A社のプロジェクトに参加していた別の部署の課長に一報入れておく。また、クレーム対応マニュアルとクレーム報告書のフォーマットを同期に送った。

ふと隣を見ると、後輩の若林心一(25)と新垣理子(22)が不安そうに及川と同期を見ていた。及川は2人にほほ笑み、「大丈夫だよ」と声を掛けた。

その後、ショートメールを確認した部長が一時離席してA社に電話し、夕方には直接訪問して謝罪する運びとなった。部長の判断で、ミスの事後処理から及川がサポート役として入ることが決まった。一緒にA社を訪問した及川は、新しい採用施策の提案書を持参した。

先方の人事部長は怒っていたが、対応の早さは評価すると言った。また、及川が持参した採用施策の提案書に関心を示してもくれた。結果的に、何とかコンサルティング契約の打ち切りは免れた。ミスを挽回するまで、しばらくは厳しい状況が続くだろう。しかし、しっかり対応すれば信頼関係を回復することは不可能ではなさそうだ。部長も及川もそんな手応えを感じ、会社に戻った。

「お前がいてくれてよかった」

フロアに入ると、同期が駆け寄って来た。部長に怒鳴られることを覚悟していたようだが、意外にも部長は穏やかな表情で「俺も若い頃はやらかした」と肩をすくめた。その後、ミスが起きた過程を振り返って報告するよう同期に指示していた。

部長に頭を下げたあと、同期は及川に向き直った。

「及川、本当にありがとう。お前が落ち着いていたおかげで、俺も冷静になることができた」

及川は驚いて「困った時はお互いさまだろ」と返した。部長も後ろから及川に声を掛けてくれる。

「いや、俺からも礼を言いたい。正直、クレームが起きた時、お前がいてくれてよかったよ」

その言葉は、及川にとって素直にうれしかった。そして、偶然にも昨晩聞いた話が今日のピンチを救ったことに、不思議な縁を感じた。

何かのきっかけで知った事実が、自分や誰かのピンチを打開するヒントになる。仕事に直接役立つ知識やスキルも重要だが、それ以外の情報にも広くアンテナを張ることが大切なのかもしれない。

自席に戻ると、後輩の若林と新垣が、心配するような目を向けてきた。及川は「これからは俺が行くし、契約は継続させてみせるよ」と言った。その言葉を聞いて、2人ともほっとしたようだった。

「そういえば、2人にも『As if(アズイフ)の法則』について話しておこうかな。人間は、幸福だから笑顔になるのか、笑顔だから幸福になるのか、若林と新垣はどっちだと思う?」

昨日の問いを、若林と新垣に投げかける。眉間にしわを寄せて考え込む2人を見て、及川はほほ笑ましい気持ちになった。

感情が行動を生むのではなく、行動が感情を生むことがある。この事実を知り、日常生活に取り入れることで、仕事の仕方や振る舞いがきっと変わるはずだ。行動を律することで感情をコントロールできれば、さまざまな大舞台でも存分に力を発揮できるようになるだろう。