(本記事は、小林昌平氏の著書『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

アルフレッド・アドラー 1870-1937
ユダヤ人としてオーストリアに生まれる。ユダヤ人街病院や軍医での経験から「個人心理学」を編み出す。師事のち訣別したフロイトやユングと並び、20世紀を代表する心理学者。早くからユング派心理学者・河合隼雄が紹介していたが『嫌われる勇気』で再ブレイク。

友人から下に見られている

見下す
(画像=Giulio_Fornasar/Shutterstock.com)

あの人のあの態度はなんなんだろう。

なぜ、私は人からバカにされ、ナメられ、下に見られなきゃいけないのだろう。

自信がなくなる。生きているのがつらくなる。

ささやかなようで、本人にとっては生死を分ける人間関係の悩みです。悩みの緩和や深い人間理解には、哲学と近しい学問を見ておくことも役立ちます。

ここではフロイトやユングと並ぶ、アドラーの個人心理学を見ることにしましょう。

ロングセラー『嫌われる勇気』で脚光を浴びているアドラー心理学の真骨頂といえるポイントは2点、「目的論的な発想」「課題の分離」です。「課題の分離」は、『七つの習慣』な ど自己啓発書の古典にもとりいれられた重要な考えかたで、職場や学校で「下にみられる」「バカにされる」、場合によっては学校を主とした「いじめられている」問題にも応用できるものです。

アドラー心理学では基本的なアプローチとして、なにごとも「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めます。

たとえば、目の前に親と子の間をめぐって「勉強する」という課題があるとします。「勉強する」は誰の課題でしょうか?子どもが勉強するかしないか。あるいは勉強をほっぽり出してゲームをするか、友達と遊ぶか。これは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。勉強することは子どもがやるべきこと(またはやらないと決めること)であって、親が勉強してもしょうがないのです。

親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して土足で踏みこむ行為であるとアドラー心理学は断じます。他者の課題に土足で踏みこむようであっては、摩擦を避けることはできません。

あらゆる対人関係のトラブルは、このように他者の課題に土足で踏みこむこと、あるいは、自分の課題に土足で踏みこまれることによってひきおこされるとアドラー心理学は説きます。「これは誰の課題なのか?」という視点から、どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのかを冷静に線引きし、分離する

その上で「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない」。この「課題の分離」ができるだけで、対人関係の悩みは一変するとアドラーは言います。それだけ画期的な視点だというのです。

では、「なぜ、この私が人からバカにされ、下に見られるのか」。

このような悩みに「課題の分離」を適用すると、どうなるでしょうか?

結論から言えば、「下に見られたくない」と願うのは自分の課題かもしれませんが、「わたしのことを下に見てくるかどうか」は他者の課題だ、ということです。

自分を下に見てくる人がいたとしても、自分はそこに介入することはできないし、止めさせることもできない。だとすれば「下に見てるヤツは勝手に下に見させておけばいいじゃないか」というように、他人の課題と自分の課題を切り分けられれば、問題は起こらないのです。

つまり、下に見られること自体が問題なのではなく、下に見られることを自分の課題であるかのように気にしてしまうこと、他人の課題が自分の課題であるかのように錯覚してしまうことが問題なのです。

下に見てくる人は、下に見ることでしか生きられない何かをかかえている人です。優越コンプレックスや劣等コンプレックスをかかえているのか定かではありませんが、それは彼自身、彼女自身の課題です。

あなたはあなたで、下に見られることを自分の課題として「内面化」させてしまうぐらい自信がないのであれば、それはあなた自身の課題です。まだまだ改善したり、努力すべきことがあるのかもしれません。特に対人面で発展途上の部分があるのかもしれません。あるいはそれは、よい面の裏返しであるのかもしれません。

いずれにせよ、それはあなた自身の課題であって、彼や彼女の課題ではない。つまり下に見ている彼や彼女と自分は実は、関係がないのです。下に見ている彼や彼女には彼や彼女なりの課題があり、それとは別に、あなたにはあなたの課題があるということです。

アドラーはまた、「人は自分に価値があると思う時にだけ、対人関係の中に入っていく勇気を持てる」と言っています。そうであれば、あなた自身はまず、自分が外の世界で下に見られることに動じない、それだけの内面を充実させる必要があるかもしれません。それができれば、「課題を分離する」ことができるのではないでしょうか。

課題の分離ができている心理状態とは、「自分ができることは努力すべきだが、どうにもできないことはどうにかしようとしない」ということです。そうなれば、下に見られたその日はそのことを気にはしても、いつまでも意に介さなくなるはずです。

それでも、自分の課題と他人の課題がどうしても引きはがせず、息苦しさを感じてしまうときもあります。

たとえば、ひどいいじめに遭い、「私は生きている価値がないんだ」と追いつめられてしまったとき。そんなときは、両者を自分から無理やり引き離すために、その環境から思いきって逃げてしまった方がよいのです。

学校や会社に無理に行くことは考えず、とにかくシェルターのような場所(図書館でもどこでも、居心地のいい特別な場所)に逃げこんで、生き延びることです。いじめられている苦痛にあるならば、死ぬことを考えるよりはるかにましです。そして、その苦痛をはねかえせるぐらい、あるいは切り離せるぐらい、「自分に価値がある」と思える状態に回復するまで、生き延びればよいのです。

あなたはあなたの課題を生きればよいのであって、他人の課題を引き受ける必要はない。あなたは誰の人生でもなく、あなた自身の人生を生きればよいのです。

アドラーが出した答え
自分の課題と
他者の課題を分離する
その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
小林昌平(こばやし・しょうへい)
1976年生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。専攻は哲学・美学。著書『ウケる技術』(共著、新潮文庫)は20万部のロングセラーとなり、東京大学i.schoolでのワークショップの教材となるなど、その後のビジネス書に大きな影響を与えた。大手企業に主任研究員として勤務する傍ら、学会招待講演、慶応義塾大学ゼミ講師も務める。テーマは人文科学の知見をビジネスに活用する “ Humanities on Industry(HoI)"。

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