(本記事は、小林昌平氏の著書『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

マックス・ウェーバー 1864-1920
『自殺論』のデュルケームと並ぶ、近代社会学の祖。精神病と戦いながら仕事に打ちこむ。マルクスの歴史観(唯物論)に対抗し、世界のあらゆる宗教から人間を分析する「比較宗教社会学」を構想。計画は未完に終わったが、『プロ倫』は後世に強い影響を与えた。

お金持ちになりたい

お金持ち
(画像=Andrey_Popov/Shutterstock.com)

誰だってできることなら、お金持ちになりたいです。

「お金では買えないものがある」とも言われますが、どれだけ持っていたって悪いことはありません。子どもの教育から最新の医学まで、旅の快適さから老後破産の不安まで、悲しいかな、人生の至るところでお金がカギを握っています。

お金を否定する人が、お金がもたらす富にふれたとたん、その威力の前に人生観が変わってしまうこともよくあること。

お金はそれだけ、悪魔的な魅力をもったものです。

ではお金をたくさん持つには、どうしたらいいのでしょうか。

人生の目的をお金のただ一点に定め、すべての時間をお金稼ぎに注ぎこみ、それ以外には目もくれない。それぐらい徹底して「金の亡者」になれば、富があなたのもとへ集まるようになるのでしょうか?

「それはどうも違う」というのが、社会学の祖マックス・ウェーバーです。お金持ちになるのは、金銭欲の強い、お金に執着する人であるとはかぎらない。むしろ「お金という富への執着を排し、ストイックに働いた人が結果としてお金持ちになった」とウェーバーは言うのです。

お金を否定する考えかたが染みついた人ほど、禁欲的にがんばって、お金を得られるようになった?これはいったい、どういうことでしょうか。

ウェーバーが分析したのは、近代資本主義が発達した19世紀のオランダやイギリス、アメリカの経済状況でした。これらの国々では「カルヴィニズム」というキリスト教の新しい宗派が根づいており、富裕層を調べてみると、まさにそのカルヴァン主義者が占める割合が高いというデータにウェーバーは着眼したのです。

「カルヴィニズム」とは16世紀、フランス出身の神学者カルヴァンが宗教革命でスタートさせたプロテスタントの一派です。カルヴァンはそれまでの堕落したキリスト教を原点に立ち返らそうと、聖書を丹念に読みこみました。そこで神の「圧倒的な偉大さ」を見出し、抽出したエッセンスがこの信仰の中心となっている「予定説」です。それは「神さまに救済される人間は最初からすでに決められている」という考えかた。この考えかたはのちのピューリタン革命やアメリカ独立革命など、世界史上の民主主義革命を動かす、**人類史上強力な力を持つ思想となりました。

「予定説」では、(日本人に比較的なじみのある「因果律」と違って)善人がよいおこないを積めば天国に行けるかというと、そうとはかぎらない。悪い人が悪いおこないをしつづけたって地獄に行くともかぎらない。

後天的な努力や悪行によってはひとりひとりの運命は変えられないし、変わらない。神は最初から、救うべき人間を、トップダウン式に、独断で、一方的に決めていると考えます。神の決めることはとうてい人智の及ばないことであると、「予定説」は神の「絶対的な偉さ」を担保したのです。

最初から救われる人が決められている「予定説」だと、「自分らはどうせ救われない組だ」とやけくそになった人々の中に、「だったらどれだけ悪いことをしてもいいや!」とひらき直りの風潮が生まれ、治安も荒れそうなものですが、歴史はそうはなりませんでした。

「予定説」では、だれが神に救われる人なのか、自分もまた救われる対象なのか、それがわからないようになっています。わからないと、どうなるでしょうか。

不安になります。私は死後に救われるのか。救われるかもしれないし、救われないかもしれない。もし救われなかったら、二度と生まれ変わることができない(これはカルヴィニズムの人々にとって何よりの恐怖なのです)。

私の魂はこの肉体をもって永久に消滅してしまう。神に救われる人間はあらかじめ一方的に決められているようだけれど、誰が救われて、誰が救われないかということがわからない。わからないことで、人々の間には強い不安と緊張(オブセッション)が生まれたのです。

ここでカルヴィニズムの人たちの思考に、知らず知らずのうちに理屈のすりかえが生まれた、とウェーバーは分析しています。

「予定説」は神の偉大さを担保すると同時に、人々の不安を駆りたてるエンジンとしてうまくできていました

というのも、救われるか救われないか、「宙吊り」にされているからこそ、カルヴィニズムの人々は必死になりました

「私は救われる人間である」という確信をもつために、「救われることになっている人間がやるべきことをやっていよう!自分が救われる人間であるなら、神の教えにしたがって、常日頃正しいおこないに努めているはずだ!」と、自らにいっさいの贅沢や快楽を禁じたのです。

遊びや享楽には目もくれず、少しでも気を抜いたりひまがあったりすると不安に駆られて、神に定められた天職にせっせと勤しむようになりました。

この生活態度(エートスといいます)のことをウェーバーは「世俗内禁欲」(もしくは「行動的禁欲」)と名づけました。この場合の「禁欲」とは、一切の欲望を禁じるというより、ひたむきにひとつのことに邁進するというニュアンスです。

それはけっして最初から利益(お金)を追求する思想ではありません。むしろ自分だけいい思いをするエゴイスティックな発想を、キリスト教はそもそも否定しています。

そうではなく、キリスト教が持つ「隣人愛」の実践として、安価で良質な商品やサービスを人々に提供するために、神に与えられた「天職(Beruf:「神のおぼし召し」という意味)」に全力ではげむ。

あくまでその結果として、利益を得て、お金持ちになることは、天職を与えたもうた神の栄光を証明することになるからよしとされたのです。

利益の追求を否定したはずのカルヴィニズムが、結果としてはお金持ちになる生活態度を促したという逆説は、このように説明することができます。

自分が救われる人間であるという確信を強くするには、労働の対価である利益がどれだけ多いか、その「量」も重要になります。

そのためにはわずかな時間を惜しんで、できるだけ長く、一心不乱に仕事に打ちこむこと。時間の管理が重要になります。こうして生まれた言葉が「時は金なり」です。

人々は片時も休まず、定刻で働き、納期は死守するというように、自分を厳しく律することになりました。「おちおちサボっていては救われないぞ」と。時計産業がカルヴィニズムの本場スイスで発達したのも偶然ではありません。

カルヴィニズムの国々では人々が天職に精を出す一方、イタリアやスペインなど、カトリック圏の人々はどうだったでしょうか。

だらだらとサボりながら適当に働き、長いランチタイムと、シエスタと呼ばれる昼寝をとって、日が沈めば飲みに出かける、ていたらくの働きぶりを続けていました。

享楽を愛するラテン的な生活態度は人間らしい生活を謳歌できるものの、生産性は低く、カトリック圏では資本主義が発達しませんでした。カトリックが商工業を奨励していたにもかかわらず、お金持ちが生まれにくかったのは必然的でした。

というのも、カトリックの人々にとっては、「予定説」のような、禁欲的に労働へとかりたてる物語、いわばモチベーション・エンジンというものが存在しませんでした。神の救済は「免罪符」という、教会が営利目的で販売する紙きれを買ってしまえばそれで解決済だったのです。

カルヴィニズムの労働者たちはといえば、まとまったお金を蓄えてもなお、むやみに消費することがありません。それどころか、さらなる利益追求のために、たまったお金を節約するための「複式簿記」が発明されます。

合理的にセーヴされた余剰のお金はふたたび投資へと回される。勤勉かつ投資。こうしてカルヴィニストの間ではお金が雪だるま式に蓄積されていったのです。

ウェーバーの分析をふまえ、カルヴァン主義者でもカトリックでもなく、一神教的な宗教が発達しているともいえないこの国の私たちがお金持ちになるには、どうしたらいいのでしょうか。

**私たち人間を突き動かすエンジンがあるとしたら、それはお金そのものではないというのがポイントです。勤勉になれる動機を、お金以外のところに見つけ出したのがウェーバーの発見でした。

だとすればそのエンジンは「予定説」のような「大きな物語」のかわりに、ひとりひとりの中にある、それまでの人生からみちびかれる「個人的な物語」になるのではないでしょうか。

それは幼少期より克服しがたい「他人への劣等感」なのか。かつて自分を軽んじた他者への「リベンジ精神」なのか。

「生きている実感がもてない」とか、「自分が何者にもなれないのでは」といった「漠然とした不安」なのか。他人がイヤがる面倒な作業を、苦にならないどころか好きでたまらないといった「ムダな情熱」か、はたまた「病的な適性」か。

その「物語」は人それぞれでしょうが、働くことへの異常な情熱となる、あなたにとっての尽きせぬエネルギー源、否応なく仕事へとかりたてる自分版の「予定説」がどこにあるか、胸のうちを探るところからはじめてみるのがよいのではないでしょうか。

ウェーバーが出した答え
できるかぎり多くの利益を得て
できるかぎり節約する者は
神の恩寵を増し加えられる
その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
小林昌平(こばやし・しょうへい)
1976年生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。専攻は哲学・美学。著書『ウケる技術』(共著、新潮文庫)は20万部のロングセラーとなり、東京大学i.schoolでのワークショップの教材となるなど、その後のビジネス書に大きな影響を与えた。大手企業に主任研究員として勤務する傍ら、学会招待講演、慶応義塾大学ゼミ講師も務める。テーマは人文科学の知見をビジネスに活用する “ Humanities on Industry(HoI)"。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます