(本記事は、小林昌平氏の著書『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

ジル・ドゥルーズ 1925-1995
20世紀フランスを代表する哲学者。ベルクソンやスピノザの研究で哲学史家としても優秀だが、『差異と反復』以降、精神分析家ガタリとタッグを組み独自の哲学を展開。「リゾーム」「ノマド」など魅力的な概念を数多く打ち出した。日本の思想界での人気は今も健在。

会社を辞めたいが辞められない

その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
(画像=『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』※クリックするとAmazonに飛びます)

会社の仕事がつまらないけど、やめるにやめられず、悶々としている。

そう思って今朝もまた満員電車に揺られる人は、この日本にたくさんいらっしゃると思います。多くの人にとって、この悩みはもはや悩みであることを越えて、「悩んだってもうしょうがない」 から日々飼いならし、やり過ごしている悩みではないでしょうか。

目の前にあるのは、自分じゃなくてもやれる作業。明日死ぬとわかっていたら、決してやりたくないような業務ばかり。

もっと、自分じゃなければやれない仕事、死ぬ前にこれをやっていたいと思えるミッションはなかったんだろうか。あったんじゃないだろうか、どこかに。

そう思うと、ため息が出ます。

「だったら会社なんかやめた方がいい」のだけれど、だからといって転職する勇気も、やめて腕一本で食べていくような自信もない。会社をやめて無一文になった自分を想像すると、ぶるぶると身震いがするようで「やめるにやめられない」

では、どうしたらよいのでしょうか。

20世紀後半を代表するフランスの哲学者ジル・ドゥルーズはこう言いました。

「動かなくても、動くことはできる」と。

資本主義による搾取そのものでしかないような、いやな作業にがんじがらめに支配されている職場であっても、よく見ると実は、あちらこちらに見えない「穴」がうがたれている

いや実は、「穴」だらけなのだ、とドゥルーズは言います。

その「穴」をみつけることで、そこから逃げ出すことはできるのだと、詩的な表現(レトリック)を駆使してドゥルーズは「資本主義からの逃走」をとなえました。

「いい大学・いい会社」というレールをよしとする価値観がいまだ根強い日本に暮らす私たちにとって、ドゥルーズの哲学は新鮮な魅力をもつもので、この国に紹介されて以来、人気の哲学でありつづけています。

が、注意しなければならないのは、ドゥルーズの言う「逃走」とは、「とにかく会社を辞めてフリーやノマド(この言葉も元はドゥルーズが使いはじめた言葉です)になろう!」といった物理的な逃走、所属的な逃走であるよりも、まず「精神的」な逃走である、ということです。

「居場所はどこだっていい」とドゥルーズは言います。

会社をやめたくてもやめられないのなら、やめなくたっていい。

「決然と会社を後にする」必要なんか全然ない。そこに在籍していればいい。

在籍しつつも、ときたま上手に時間をとって(就業規則に引っかからない範囲で)自分の好きなことをやる。もちろん、自分の好きなことをやるといっても、人間一人で大したことはできません。

志を同じくする会社〈外〉の人々と通じて、水面下で構想を温め、地中で根っこが大きくなるように、徐々に大きく育てていく。そしてある時、そのプロジェクトを立ち上げ、創造的な活動を興したり、会社外でのネームバリューを高めたりする(それが会社員としての自分に好循環をもたらすこともあるかもしれません)。

このように、徹底した管理が行き届いているかに見える高度資本主義的な企業社会においても、「ものは考えよう」で自分たちがのびのびと生きるやりようを、ドゥルーズは「逃走」と言っているのです。

「逃走」のための準備には、いつでもすきま時間を活用できるデバイスと、軽快なフットワークさえあれば十分でしょう。しかし、ドゥルーズの説く「いながらにしての逃走」において難しいのは、内面的な問題、つまり「気分転換」です。

というのは、スーツを着て会社にいると、肉体も場所も資本主義を駆動させる(ドゥルーズの表現を借りれば)《整流器》に流しこまれたようなもので、ある種の惰性というか慣性で、どんなイヤな作業でもこなしてしまう「高級作業員」になってしまう傾向は否めません。社会人の方なら誰しも経験があることではないでしょうか。

どんなに仕事に不満を持っていても、この《整流器》の力は強力で、本来やりたかったことへの気分転換はなかなかうまくいかないものです。気づけば、重要でないかわりに急ぎではある「雑務」のアポで手帳を埋めつくし、「自分は多忙だ」と悦に入ってしまったりする。

そのような流れに、意志を持ってあらがえるか。忙しい中にすきま時間をみつけて、自分の好きなこと、自分にとって重要だと思える仕事をやってしまえるかどうか

それができるかは気分転換の技術にかかっているのですが、切りかえがスムーズにいかない理由は「ストレス」にあります。社内スタッフの反応が悪いとか、取引先や上司に嫌なことを言われた とか、会社の業務をこなすというのは、多かれ少なかれ、不可避的に精神的ストレスをためこんでしまうものです。

そのストレスは次の作業で解消できればいいのですが、当然、次の作業でまたストレスを抱えるという連鎖が生まれます。まるでチェーン・スモーカーのように、ある種の中毒状態におちいっているのです。これこそが「社畜」という心理状態ではないでしょうか。

ストレスの連鎖を生み出す職場の中毒的な雰囲気にのまれずに、自分がやるべき会社外の仕事に気持ちをさっとふり向けられるか。現実的には、スキマ時間の集積だけでやりたいことをやるのは難しいので、早朝に起きるなどして、誰にも煩わされない、まとまった時間を日常的に確保する対策が必要になるでしょう。

ともあれ、どう会社業をやりながらその脇でやりたいこともやれるか、そのための気分転換の戦略を立てたり、切りかえのできる習慣づくりをしておくことが大切です。

ドゥルーズは「左翼」の哲学者だけに、資本主義からの「逃走」を提唱しましたが、それは必ずしもスタイリッシュな逃走であるとはかぎりません。会社での冷や飯のような業務や、そこで受け たくやしさをバネにして、孤独にやるべきことに熱中する、それだけの覚悟が必要な「逃走」だ、ということができるでしょう。

とはいっても、「私は会社員だけど、上司や同僚がどう思おうが、やりたいことはやってやる」といった、孤高をおそれぬ覚悟さえあれば──閉鎖的で息苦しく見える職場環境も、実は考えようではそこからいくらでも「逃げ」出すことのできる、やりようのあるスキマにみちた希望の場所だということに気がつくのではないでしょうか。

ドゥルーズが出した答え
逃走の線を引け
その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
小林昌平(こばやし・しょうへい)
1976年生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。専攻は哲学・美学。著書『ウケる技術』(共著、新潮文庫)は20万部のロングセラーとなり、東京大学i.schoolでのワークショップの教材となるなど、その後のビジネス書に大きな影響を与えた。大手企業に主任研究員として勤務する傍ら、学会招待講演、慶応義塾大学ゼミ講師も務める。テーマは人文科学の知見をビジネスに活用する “ Humanities on Industry(HoI)"。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます