(本記事は、小林昌平氏の著書『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

ジョン・スチュアート・ミル 1806-1873
イギリスの哲学者。父の友人であり「快楽計算」でも知られるベンサムの「量的功利主義」の考え方を批判的に継承し、「質的」功利主義を説いた。父と同じくイギリス東インド会社に勤務。社員当時のインドでの発見がマルクスの『資本論』にも影響を与えている。

ダイエットが続かない

ダイエット
(画像=Freebird7977/Shutterstock.com)

産業革命期のイギリスで提唱された、「功利主義(utilitarianism)という哲学があります。

「生み出される幸福の量が増大する行動こそ正しく、苦痛の量が増大する行動はまちがっている」と考える哲学です。「正しさ」や「よさ」よりも快楽や苦痛の量、内面やプロセスよりも結果を重んじる、ある意味現金な哲学。

経済が発展し、人々の生活が豊かになった時代を反映する哲学だけあって、人は理性やモラルではなく、快楽と苦痛によって生きているという、身もふたもない人間理解を土台にしています。

これは、欲望に突き動かされる現代の私たちにも通じる考えかたではないでしょうか。

功利主義のベースとなったこの考えかたを導きの糸にしましょう。すると、「ダイエットが続かないこと」「ダイエットをサボること」もまた、一種の快楽だということになります。

甘いものや夜食をがまんせずに食べる快楽、というのは強烈なものがあります。

やせようと心に決めたものの、どうしても、この深夜にラーメンが食べたい。そういう強い欲望はときに、「自分はやせるのだ」という理性のはたらきや「夜食は太る」という知識をこころに呼び起こせなくする。それほど強い快楽だからしょうがない、というわけです。

「正しさ」や「善さ」を追求する哲学の伝統をうちやぶり、人間本来のありかたに迫り、快楽というものの強さを重く見た功利主義哲学。その提唱者ベンサムの考えかたを19世紀イギリスの哲学者J・S・ミルは深化させました。快楽にはしかし、「量」だけではなく、「質」というものがあるのだと。そして、人は二つの快楽が目の前にあるとき、「質」の高い方を選ぶというのです。

『高級な快と低級な快」をどちらも知り、どちらも感じられ享受できる人々が、自分の持っている高級な能力を使うような生活態(=高級な快)をきっぱりと選びとることは疑いのない事実で ある。動物の快楽をたっぷり与える約束がされたからといって、何かの下等動物に変わることに同意する人はまずいないだろう。(『功利主義論』)

同じ快楽といっても快楽には「質」がある。食べたいものをがまんせずに食べてしまうレベルの低い・動物的な快楽に対して、高いレベルの快楽があることを知っているならば、後者の快楽を人は選ぶとミルは言っています。

ダイエットでいえば、目の前の甘いものや深夜のごちそうをがまんすることで得られる快楽というものがあるならば、それが「高級な快楽」ということになるでしょう。それは食事を減らして、ぽっこり出たおなかをひっこめることで「ひきしまった肉体の自分になれた」という達成感でもあるでしょうし、「ダイエットすると決めた自分との約束を守れた」ことで得られる自信(自分への信頼)でもあるでしょう。

なぜミルは、レベルの高い快楽を知る者は低い快楽を選ばない、と言えたのでしょうか?

「人は理性によってではなく、快楽によって生きている」という前提に戻れば、高級な快楽の方が、低級な快楽よりも快楽が強いからでしょうか?目の前のおいしいものの誘惑に負けるより、苦しくてもなりたい自分になれた達成感の方が快楽が強いといえば、話としては美しい感じもします。

しかし本当に、からだをしぼった自分にうぬぼれることの快楽は、目の前のごちそうを断つに足る強烈さを持っているといえるのでしょうか?

ミルはこういっています。

下劣な存在に身を落としたくないというためらいについては、なんとでも説明できるだろう。(中略)だが、それにいちばんふさわしい呼び名は、尊厳の感覚である。人間はだれでも、なんらかの形で尊厳の感覚をもっており、高級な能力と、厳密にではないが、ある程度比例しているこの感覚が強い者にとっては、これ(尊厳)と衝突するものは、瞬時をのぞけば、まったく欲求の対象となりえないほど、その人の幸福の本質をなしている。(『同』、傍点引用者)

人は、ひとたび高いとされる快楽を知ると、低い快楽に戻ろうとは思わなくなる。高い快楽を知る者は「低い快楽で満足する下劣な存在」に身を落とそうなどとは考えなくなる。それはなぜか。自分は高い快楽を知っているという「尊厳」、つまりプライドがあるからだとミルはいいます。

そのプライドが、目の前にあるカロリーたっぷりの甘いものや脂っこいものを我慢させるのです。目の前の欲望を一度でも我慢して、その結果「なりたい自分」という高みにのぼりつめる経験をした自分自身へのプライド。それを記憶に刻みつけたことが、目の前の誘惑を我慢させる支えになります。そのことをミルは有名な次のたとえで語っています。

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。そして、もしその馬鹿なり豚なりがこれとちがった意見をもっているとしても、それは彼らがこの問題について自分たちの側しか知らないからにすぎない。この比較の相手方(不満足な人間)は、両方の側を知っている。(『同』)

ダイエットが続かないのなら、ダイエットを一度でも、意地でも続けて、やせてみたことがあるという成功体験をもつことが必要になります。その成功体験が自分に「低級の快楽」を我慢させ、ダイエットを続けさせることになるプライドを与えるのです。

では、「今まで一度もダイエットに成功したことがない」という人はどうしたらいいのでしょうか?

ミルの理論にしたがえば、ダイエット以外で目の前の誘惑を我慢して、何かをやりぬいた成功体験を思い出せばいいのです。これまでにきっと、誘惑に打ち克って何かをやり遂げた経験があるはずです。そこで得たプライドを思い出して、今晩あなたを襲う甘い誘惑をきっぱりと断ってみてはいかがでしょうか。

ミルが出した答え
下劣な存在に身を落としたくないという
ためらいにふさわしい呼び名は、
尊厳の感覚である
その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
小林昌平(こばやし・しょうへい)
1976年生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。専攻は哲学・美学。著書『ウケる技術』(共著、新潮文庫)は20万部のロングセラーとなり、東京大学i.schoolでのワークショップの教材となるなど、その後のビジネス書に大きな影響を与えた。大手企業に主任研究員として勤務する傍ら、学会招待講演、慶応義塾大学ゼミ講師も務める。テーマは人文科学の知見をビジネスに活用する “ Humanities on Industry(HoI)"。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます