日米株式市場では、中国の武漢市で発生した新型肺炎に対する疑心暗鬼によって株価下落を招いている。新型肺炎の不安が半年後の東京五輪までくすぶれば、その悪影響はより甚大になる。2003年のSARSの時は、やはり大混乱になったが、終わってみると約2カ月間の大騒ぎであった。今回の事態はまだ流動的なことが多いことは十分に承知しているが、仮に約2カ月間で不安が一服すれば、東京五輪へのダメージも少なく、悪影響も限定されることになろう。
焦点は東京五輪への影響
新型肺炎(新型コロナウイルス)の影響が甚大になってきた。中国政府は、国内旅行会社に対して、1月24日からのすべての団体旅行を中止するように命じた。中国での春節に伴う休日は1月24日(大晦日)から1月30日までの7日間である(中国国務院は春節休暇を2月2日まで延長すると発表)。春節前後の40日間に中国人は延べ30億人も大移動するとされる。その時期に団体旅行を制限したことの影響は大きい。
日本に対しても、中国政府が海外への団体旅行を1月27日から取り止めることの悪影響は大きい。日本の訪日中国人のうち、団体旅行客は26.7%(2019年)である。おそらく、団体旅行以外の個人旅行客にも中止・変更の影響は出るだろう。2020年に予想されるインバウンド需要は、全体で約5兆円(2019 年48,113億円)とみられる。その中で中国(除く香港)の需要は約4割の約2.0兆円(2019年17,718億円)を占める。年間で計算すると、中国のインバウンドが半減するとすれば、日本の実質GDPで▲0.2%の押し下げ幅になる。もっとも、数か月で鎮静化すれば、インパクトはその何分の1かに小さくなるだろう。
最も心配されるのは、新型肺炎の悪影響が長期化して東京五輪に響いてくることである。東京五輪のときは、中国からも大挙して訪日客が来ることが期待される。2019年の中国からの訪日客数は959万人で、彼らが1人当たり21.3万円を支出した。それが増加するのではなく、何割も減少することになると、日本の消費産業に対する打撃は相当に大きい。
現時点では、筆者は東京五輪までには新型肺炎の騒ぎが鎮静化して、悪影響はそれほど拡大しないことをメインシナリオにしているが、事態はまだ流動的である。
SARSの経験
私たちは新型肺炎の感染拡大をみて、2003年のSARSの騒ぎを思い出す。あのときも、先行きに何が起こるのかがわからなくて、金融市場では疑心暗鬼が膨らんだことを思い出す。もしも、日本に肺炎が上陸して、パンデミックが発生したならばどうしようという不安心理の拡大である。その当時は事態を過大評価していたように思える。
しかし、2003年のSARSは早々に鎮静化した。大騒ぎになったのは2003年4・5月で6月には落ち着きを取り戻した。記録では、SARSの発生は2002年11月で、終息宣言が2003年7月になっている。よく調べると、WHOがグローバルアラートを発した3月12日から騒ぎが大きくなり、6月3日に中国での最期の発症事例が確認された後、再発しないのをみて7月5日に終息宣言が出された。本当に大騒ぎになったのは約2か月間ということになる。
今回、中国での新型肺炎の感染者が発見されたのは2019年12月8日とされる。それが12月末頃から話題になり、1月中旬に日米株価を下落させるまでに大きな驚異になった。これが、もしも、前回同様に約2か月で鎮静化するとなると、2020年4月頃になるという計算である。それならば、東京五輪への悪影響は小さいとみららえる。
なお、インフルエンザの場合はどんなに強力な感染力であっても、人々はそれほど大騒ぎはしない。なぜならば、人々は数週間で感染が収まることを知っているからである。インフルエンザは、既知のリスクだから騒がれない。新型肺炎は、未知のショックだから、人々はその不確実性に怯える。さらに、新型肺炎は、人から人にも簡単に感染するのかもしれないという疑心暗鬼や、中国政府の対応が感染拡大に対して後手に回ってしまうかもしれないという不安心理が加わって、リスクの把握ができないという結果を招いてるようにもみえる。
中国人の訪日客は頼みの綱だった
今後、中国の団体旅行の禁止や、国内移動の制限はいつまで続くのだろうか。仮に、東京五輪の手前で非常事態が解除されても、すぐに日本への訪日客数が元に戻るかどうかもわからない。通常は、旅行の手配は2~3か月前に行われるからである。従って、非常事態からの脱却は、7月の2~3か月前の2020年4~5月までに行われてほしい。
また、最近の訪日外国人の状況からすると、今回の中国の肺炎はさましく最悪のタイミングであった。なぜならば、2019年の訪日外国人は、日韓関係の悪化、香港情勢の緊迫化という2つの事件を受けて伸びが鈍っていたからだ。2019年の3,188万人の訪日外国人数(前年比2.2%)はそれらがなければもっと伸びていたに違いない。ラグビーワールドカップの追い風に支えられ、加えて中国人観光客の伸びに助けられていた。2020年に入ってからは、ラグビーワールドカップの効果はなくなっているので、中国人の訪日客だけが頼みの綱になっている。そうした苦しい局面での新型肺炎であった。
4月には、習近平主席の国賓としての来日予定が控えている。そこまでに新型肺炎が鎮静化していれば、日本政府は訪日客の促進策についての議論を進めることもできよう。
中国経済を減速させる要因
新型肺炎の打撃はインバウンドだけに止まらない。中国経済の減速を通じた日本経済への影響がより警戒される。武漢市の人口は1,100万人でそこが封鎖されると中国経済にも打撃は大きいはずだ。また、武漢市のある湖北省は、人口5,902万人で工業生産額の約2割を自動車関連産業が占めている。武漢に駐在する日本人は約700人で、日本企業は自動車など約160社に及ぶ。すでに中国全土から多くの日本企業の駐在員やその家族が日本へ帰国してきており、日本からの中国への渡航もかなり慎重化している。日本企業への影響は必至とみてよい。
マクロ的には、中国経済の減速が、日本からの輸出減少につながる点が不安である。日本の現地企業の生産停滞が、輸出減少を招くなどのルートで輸出が減ることもあろう。最近の貿易統計では、日本から中国向けの実質輸出は、季節調整値でみて、2019年1-3月期から3四半期連続でプラスで推移してきた。5G需要の立ち上がりが、電気機械や一般機械の輸出を最悪期から脱出させていたところだった。折角のその流れが阻害されることになれば、新型肺炎の影響は誠にタイミングが悪いと言わざるを得ない。
中国にとっても、1月15日に第一段階の米中合意が結ばれて、これから輸出が改善していきそうな矢先であった。中国経済の低迷は、米国からの輸入額を減らすことにもなりかねない。米中貿易の不安定要因にも発展していく可能性はある。
そして、中国経済が趨勢的に悪化していけば、東京五輪終了後の日本経済も長期に亘って懸念材料となっていくだろう。筆者は、新型肺炎が過大評価されることをどちらかというと問題視しているが、その一方であまり過小評価もできないところもあって、非常にやっかいな存在だと思っている。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生