要旨
● 全世代型社会保障改革によって、60代前半の在職老齢年金の要件が緩和されるが、効果は一部の世代に限られる“時限的”なもの。2025年に男性、2030年に女性の年金支給開始年齢65歳への引き上げが完了するため、60代前半の在職老齢年金に該当する人がそもそもいなくなるためだ。
● 労働政策審議会では、高年齢雇用継続給付の見直しが示された。これは、60-64歳で賃金が減った場合に所定割合を働き手に給付する制度。同給付は2025年度以降に60歳になる人は半減、段階的に廃止が適当と整理された。こちらは“恒久的”なものである。給付額は2018年度実績で年間1,800億円、受給者一人当たりの支給額は概算で約31万円/年に上る。家計所得を通じた経済への影響も無視できない規模だ。
● 60歳を超えると賃金水準は平均3割下がるが、給付を受けるために賃金減額が是認されている側面もあったとみられる。制度創設当初から同給付は時限的な措置とされており、縮減は妥当な判断であろう。60代前半は、高年齢雇用継続給付と在職老齢年金の調整の仕組みなどによって、額面収入が増えると手取りが減る「働き損現象」が起こりうる制度になっていたが、これは解消することになる。
● 平均寿命、健康寿命が長くなる中で、60歳代前半は名実ともに社会保障給付の対象ではなくなっていく。これは、同一労働同一賃金の施行や日本型雇用の見直し気運もあいまって、企業に賃金カーブのフラット化を促すだろう。中高年の労働市場流動化も進んでいく可能性が高い。日本型雇用慣行の瓦解は始まったばかりである。
低在老要件緩和とともに明文化された高年齢雇用継続給付の縮減
これまで現役世代と高齢世代の端境期となっていた“60代前半”の年齢層は、名実ともに現役世代として整理されていくことになりそうだ。
全世代型社会保障改革の中間報告では、60代前半の在職老齢年金(低在老)の見直しが掲げられた。在職老齢年金制度は、厚生年金に加入して働きながら年金を受給した際に適用される制度で、これによって働く60-64歳の年金減額が緩和される。ただ、その効果自体は時限的なものである。なぜなら、支給開始年齢の引き上げによって60-64歳の年金受給者が(繰り上げした場合を除いて)いなくなり、そもそも年金を受給しなくなるためだ。現在、過去の年金改革で規定された支給開始年齢の60歳→65歳への引き上げの最中であり、男性は2025年度、女性は2030年度に65歳への引き上げが完了する。
加えて、60歳代前半の働き方などを考えるうえで、重要な改正方針が別の会議体で示されている。厚生労働省の労働政策審議会、職業安定部会において示された“高年齢雇用継続給付”の見直しだ。高年齢雇用継続給付は、60~64歳の雇用者(雇用保険被保険者)に対して、60歳到達時点の賃金が減額した場合に、所定割合を支給する制度だ。定年後の賃金減少に対する所得補填の性格を持つ制度であり、1994年に創設されている。この高年齢者雇用継続給付について、「段階的に縮小することが適当」、「2025年度から新たに60歳になる高年齢労働者の同給付の給付率を半分程度に縮小することが適当」、と経過措置を取りつつ撤廃していくことが明文化されている。
高年齢雇用継続給付半減で0.1兆円/年、廃止なら0.2兆円/年の影響
この在職老齢年金と高年齢雇用継続給付の2つの改正で、60歳代前半の社会保障の形が大きく変わることになる。家計にはどういった影響が及ぶのか。マクロの改正の影響を資料1に、一家計ベースの影響について、簡単な数値例を資料2にまとめた。
在職老齢年金の見直しについては、先に述べたように時限的な措置である。見直しの時期がまだ不確定のため、2021年から制度が施行されると仮置き、厚生労働省の公表資料から試算した。高年齢雇用継続給付に関しては、「2025年度以降新たに60歳になる人から半減」として数字を作成した。給付額は事業統計で年間の給付総額が公表されており、それに基づいた試算である。
在職老齢年金の要件緩和の影響から、最大2,800億円/年の給付増となるが、しかし、その効果は縮小していき、男性の支給開始年齢引き上げが完了する2025年度にその効果は300億円/年まで縮小、女性も引き上げが完了する2030年度には影響はゼロになる。2025年度以降は新規に60歳になる人から高年齢雇用継続給付が半減し、最終的なネットの改正影響は負担の方が大きくなる。高年齢雇用継続給付の支給実績をみると、2018年度の支給額はおよそ1,800億円に上る。これが2025年度以降、段階的に縮小されていくことになる。
高年齢雇用継続給付について、支給額を実受給人員数(試算値)(※1)で除して受給者一人当たりの支給額を導くと、年間およそ31万円となる。2025年度以降に60歳になる世代に対する支給は半減することになる。家計所得を通じたマクロ影響も無視できない規模となろう。
高年齢雇用継続給付の縮減自体は妥当な方向性。働き損の「壁」問題は解消へ、
高年齢雇用継続給付は、創設当初より企業や雇用者が“60歳以降も働く社会”に適応するまでの「時限的な措置」として整理されていた。縮減・廃止は妥当な方向性だろう。また、60歳以降の平均的な賃金水準がそれ以前の7割程度となっており(資料3)、これは高年齢雇用継続給付の支給要件である“60歳到達前賃金の75%以下”の規定と無縁ではないだろう。企業が賃金水準を決める際に給付を前提に賃金体系を設計することになる点は問題含みだ。雇用者側も給付を受けられる賃金水準として給与減額を是認してきた構図があったと推測される。
なお、この60代前半を巡っての一つの問題として、「額面収入を増やすと手取り収入が減る」、という問題があった。高年齢雇用継続給付と在職老齢年金が併給された場合に給付調整が行われる仕組みが設けられていること等から、働いて額面収入を上げると、却って手取り収入が減るという事象が起こりうる制度体系となっていた。詳しくは別稿2を参照いただきたい。今後、60代前半の年金給付や高年齢者雇用継続給付が無くなれば、この問題は解消していくことになる。
賃金体系の見直しなど企業側の対応に注目が集まる
今後65歳への年金支給開始年齢の引き上げとともに、高年齢雇用継続給付の縮減廃止が進められ、60歳代前半に支給される社会保障給付はなくなっていく。従来、現役世代と高齢世代の端境期となっていた60代前半期は、名実ともに現役世代=社会保障制度を“支える側”の世代になっていく。平均寿命、健康寿命が長くなっていく中で、必然的な流れであろう。
当座の注目点は、高年齢雇用継続給付の縮減に伴う企業側の対応だ。これまでは、高年齢雇用継続給付の存在が、60歳以降の賃金減額をある種正当化してきた側面があった。しかし、これが無くなることに加えて、2020年4月からは同一労働同一賃金が施行されることもあり、60歳を境目とした賃金水準差に対する目線は一層厳しくなる。さらに、企業には65歳までの継続雇用措置を用意することがすでに義務化されており、今後は70歳までの就業確保措置を求められていくことになる。こうした点を背景に、企業の賃金体系の見直しは、今後数年で大きく進む可能性が高い。
日本型雇用慣行全般の見直し気運もさらに加速していきそうだ。賃金カーブのフラット化が進むとともに、中高年の労働市場では流動化が一層進むだろう。昨今、業績好調下でも中高年に対する希望退職制度を設ける企業が出てきているという3。こうした形での労働市場流動化は、転職を通じた労働需給のマッチングを促し、日本経済にとってプラスと考えられるが、終身雇用を前提に働いてきた中高年世代にとっては厳しい状況でもある。日本型雇用慣行の瓦解はまだ始まったばかりだ。(提供:第一生命経済研究所)
(※1) 高年齢雇用継続給付については受給件数のみが公表されており、受給者の実人員数は公表されていない。同給付は2カ月に一度申請することになっていることから、月当たりの受給件数×2を簡便的に人員数とみなして受給者一人当たりの受給額を試算した。
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 副主任エコノミスト 星野 卓也