ここにきて、新型肺炎が経済活動に与える悪影響が拡大している。新型肺炎の感染経路が特定しにくくなっているからだ。もしかして市中感染のリスクがあるかもしれないと多くの人が思うと、各種イベントなど消費活動に参加する人が減ったり、主催者による活動自粛が起きてしまう。消費者心理は、感染拡大の長期化を警戒することで、節約志向を強める可能性もある。

メディカル,女医
(画像=PIXTA)

相次ぐ行事の中止

新型肺炎の影響は、徐々に新しい局面を迎えているとみられる。少し以前は、感染拡大は何とか水際で食い止められるという見方があった。それが、現在は感染経路が追えないかたちで感染が確認された人が現れてきて、「市中感染」のリスクが高まってきた。そうなると、人々が大勢の人の中に入ること自体を敬遠する動きが広がっていくことになる。筆者が観光産業の人に聞いた話は、「これまではインバウンド絡みの顧客減少であったが、先頃から多数の人との交流を控える動きが、日本の消費者にも表れ始めた」という見方である。これは、目に見えないリスクに対して、活動を自粛することでリスク回避をしようという反応である。

すでに、天皇誕生日(2月23日)の一般参賀の中止が決まり、東京マラソン(3月1日開催予定)でも一般参加者の出場が取り止めになっている。こうした行事の見直しは、まだそれほど広がっている訳ではない。しかし、新型肺炎の感染拡大が長期化するとみる人が増えると先々の予定まで変更されることは起こり得る。今後、感染経路が特定できない感染者が増えることになると、もっと行事が変更されたり、街に出かける人が少なくなってしまう可能性がある。経済的影響は、インバウンド減少という初期ステージから、国内での疑心暗鬼が消費活動を自粛させる次の悪化ステージへと事態が移ってきている。

リーマンショックはコンテイジョンだった

2008年9月15日にリーマンブラザーズが破綻して、大不況が来た。今では「リーマンショック級の不況」と劇的な悪化を象徴する言葉として、リーマンショックは使われる。同時代を生きてきた筆者は、その特徴を「コンテイジョン」(伝染)という言葉で鮮明に記憶している。コンテイジョンとは、証券化商品を保有する金融機関にどのくらい損失が生じているのかが見えず、金融機関同士の資金取引が停止する「市場機能の麻痺」が起きた状態である。伝染とは、市場参加者の疑心暗鬼が広がる様子を指して、「不安心理の伝染」が起こることを言っている。

こうした疑心暗鬼は、新型コロナウイルスの感染拡大によって起ころうとしている。日本の消費者の購買心理の委縮によく似ている。見えないリスクを恐れて、何も行動せずにしばらく様子見をしようとする行動原理は、新型肺炎の今と、リーマンショックの昔で瓜二つにみえる。

そして、筆者がリーマンショックの教訓として極めて重要だと考えているのが、その対応策である。2009年以降に米国では、金融機関に対してストレステストが実施された。ストレステストは、金融機関の損失がある程度大きくなっても自己資本不足にならないことを、シミュレーションを行って明らかにする作用である。これだけが決め手になった訳ではないが、疑心暗鬼が伝染する状態を正常化するために、公的機関の健全性チェックが有効になった。

必要な情報公開

日本政府は、新型肺炎が経済に与える悪影響を強く警戒しているはずだ。おそらく、国民の疑心暗鬼を無用に拡大させないために、配慮しながら情報発信をしていると考えられる。武漢から来た人と接触した人と、発見された感染者の間にある関係をできるだけ細かく辿って公表することは、疑心暗鬼対策に一定の効果はあるだろう。今後、望まれるのは、病気の発症事例から、病状の確率分布を描くことだ。こうした情報の衆知は、リスクを未知のものから既知の対象へと変えていく効果がある。また、政府の情報把握がきめ細かく行われていて、感染拡大をどうにか制御しようとする体制ができていることを示すのも一手であろう。

本質的には、新型コロナウイルスに対する治療薬が発見されることが解決法になるが、現在はそれが叶わない。それができない期間は、次善策として、発症から治癒までの期間など症例を分析した情報を知ることが、不安を小さくする。コンテイジョンが、情報公開による不安心理の沈静化によって徐々に改善していくという発想が有益である。

心理がもたらす節約志向

新型肺炎の経済への影響は、結局はその終息のタイミングがいつになるかで決まる。感染拡大の途中では、所詮、経済損失は特定できない。ただし、消費については、心理的要因が強く働くことには留意が必要である。例えば、感染拡大が予め1か月で終わるとわかっていれば、人々が消費を減らす反応は限定的だろう。反対に、感染拡大が半年以上にまで長期化すると思えば、節約志向が強まる。それは、感染が終息しないことによって、企業収益にダメージが拡大し、賃金・雇用への波及が警戒されるからだ。将来の賃金が減らされると人々が思えば、それに備えて消費を減らし、貯蓄を増やそうとするだろう。不要不急の支出として、衣料品や外食、レジャー、旅行などが節約の対象にされる。このとき、家計は消費性向を引き下げて、貯蓄率(黒字率)を上げる。

今回、中国からは、感染拡大のペースは気温が温かくなり、湿度が上がると落ちていくだろうという情報も伝わっている。確かにインフルエンザは春になると勢いが衰えることはよく知られている。しかし、新型肺炎が春になってインフルエンザのように沈静化する確証はない。

むしろ、感染拡大に関して長期化するという悲観的な見方が信じられやすくなっている印象がある。すると、消費はそうした心理に流されることで、節約へと動かされてしまう。それが心配だ。

最後に、そうしたネガティブな心理に歯止めをかけるチャンスがあることに言及しておきたい。それは春闘交渉で一定のベースアップ率が認められることだ。賃金上昇の勢いが落ちないことが消費者を勇気づける。今年の春闘交渉は、景気減速下でそもそも厳しいとみられていて、新型肺炎はそれに追い討ちをかけると考えられている。経営者の心理は、目先の不確実性に反応してベースアップの抑制に傾きやすい。2014年以降の官民一体の賃上げ促進の元であっても、年によっては抑制が強まることもあった。自然に考えると、経営者は新型肺炎を警戒してベースアップ率を低く抑えようとするだろうが、本当はそうした本能に逆らって、できるだけベースアップ率を高めることが、前述の節約志向を高める動きを回避することになる。今後、人々の意識がひとつになって、新型肺炎の悪影響を極小化する選択が採られればよいと思う。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生