今年の春闘は、連合の集計データをみる限り、今のところ非常に厳しいものとなった。そこで、賃上げについての重要性を今一度整理してみた。賃上げ幅を広げることは、景気悪化に対してマイナスに陥らないための厚みを持つことになる。これは、リフレを推進する人々が唱えてきたことと同じ理屈である。経営者の発想はそれとは異なるのだろう。賃上げは、コロナ・ショックなどのときは免責されるという感覚があるのかもしれない。
コロナ直撃
連合が3月9日に発表した春闘の第2回集計では、賃上げ率が前年比1.94%と、2019年に比べて前年比2.13%から▲0.19%ポイントも低下した。この結果は、3月13日の第1回集計(賃上げ率1.91%)に続くものである。この伸び率は、ベースアップと定期昇給を併せたものである。おそらく、2020年度のベースアップ率は、官民一体の賃上げが2014年に始まって以来、最も伸び率が鈍くなるとみられる。賃上げ率は、2013年1.71%から、2014年2.07%、2015年2.20%、2016年2.00%、2017年1.98%、2018年2.07%、2019年2.07%で推移してきた(6月末の最終集計結果)。新型コロナウイルスが中小企業の業績に与えるダメージは、春から夏にかけて広がると予想されるので、大手企業(1,000人以上)の春闘が特に低調だったことに拍車をかけて、今後、夏にかけて進んでいく中小企業の賃上げは厳しいものとなるだろう。
ショックに過敏な反応
今回の春闘に感じる筆者の違和感は、いくつかの企業で業績悪化を先取りするかたちでベースアップ・ゼロを決めたことである。2019年末には、以前からの米中貿易戦争が、トランプ大統領らによる第一段階の合意によって、ようやく一段落するという期待感があった。2020年に入ると、5G移行という情報通信分野での需要拡大の見通しも強まってきて、いよいよ製造業の生産活動が上向き始めるという基調変化も感じられた。従って、1月中旬からコロナ・ショックに見舞われる直前までは、春闘での賃上げの期待感は強かったはずである。僅か1か月半の期間で、ムードは一変して、6年連続の賃上げは7年目にして足踏みとなったのである。その様子は、経営者のマインドが目先のショックにいかに過敏に反応するかを示している。まだコロナ・ショックが十分に業績悪化に織り込まれていないタイミングから、ベースアップを停止するというのは、やり過ぎだと思える。業績改善は、ベースアップよりも賞与で還元すると説明されても、次の夏と冬のボーナスは大幅減になるだろう。そうすると、ベースアップがゼロないし僅かであれば、賃金上昇は見込めなくなる。2019年10月に消費増税があった負担増を賃上げ分でカバーすることもできない。これまで、業績改善に対して、様子見してゆっくりとしかベースアップ率を引き上げてこなかった企業が、いざコロナ・ショックになると機敏に賃上げを消極化させる。ここには、賃金の上方硬直性(上がるときだけ硬直する性質)が確認できる。
右肩上がりのトレンドがある方がよい
ところで、賃金上昇率が「不況期であっても、一定のプラス幅を保っていた方がよい」という理屈をご存知であろうか。そこには、デフレに戻らないために、十分に厚い賃上げの上昇率によって右肩上がりの成長が担保されておいた方がよいという発想があった。例えば、不況期に賃金上昇率が2%から1%に鈍化したときと、0.5%から▲0.5%にマイナスに転じたときでは、前者の方がましだという考え方である。後者は、デフレ経済に陥りやすく、右肩上がりのトレンドを企業や家計は見失いがちになる。一定のプラスの成長率をたとえ不況期にでも維持できていれば、経済規模が膨らんで債務負担は年々低下することになる。債務負担を言い換えると、企業の借入能力になる。右肩上がりの成長トレンドがある方が、企業は借入をしやすくなり、投資計画を実行しやすくなる。
こうした見方は、「日本経済が長いデフレを経験して、デフレ下では企業が借入をしにくくなり、設備投資や正規雇用の拡大に慎重化した」経験によって、より支持が強まった。そして、せめて物価上昇率がプラスであれば、経済活動がうまく回るのに、日本銀行はなぜそれをしないのか、というリフレ系経済学者から伝統的金融政策への批判が生まれた。
経営者と学者の発想の違い
企業の経営者の中には、グローバル競争があるとき、ベースアップを毎年実施すると、固定費負担が高まって不利になるから、ベースアップはゼロがよいという人もいる。「ベースアップは時代遅れ」という発言も聞かれる。雇用者の報酬は、ベースアップではなく、賞与で全部還元したいという発想になる。
しかし、それは先にみてきたリフレ的な「右肩上がりの経済の方が望ましい」という考え方と鋭く対立する。リフレ論者の理想とする経済からすれば、ベースアップ率をプラスにすると同時に製品価格を上げて、コスト増を価格転嫁すればよいと考えるだろう。経済が右肩上がりになると、価格転嫁はしやすくなるから、すべての企業が一斉にベースアップ率を上げることが重要だと判断するだろう。
筆者は、リフレ政策を長く批判してきたが、ここでの議論では考え方はリフレの人々に近い。ベースアップ率を一斉にプラスにして、物価上昇率を高めることがデフレの害悪から遠ざかることになると考えている。ただ、個々の企業が賃上げ・値上げに対して足並みを揃えることは難しく、「よーいどんでスタートする」と約束しても、全員が同時に走らないので、合成の誤診が起こりやすいと感じている。
賃上げの責任は免除されるのか
安倍政権は、官民一体の賃上げの旗を振ってきた。その考え方は、リフレの学者に近いのだろう。アベノミクスの考え方では、企業がベースアップをして人件費が増えても、それは生産性上昇によって吸収すればよいという考え方になる。アベノミクスを支持する企業の経営者は、生産性上昇が見込めるような平時は賃上げを可能な範囲で進めるが、コロナ・ショックのような時に限っては、免責してほしいと態度を変化させる。ベースアップは、経営者の責任に拠って生産性上昇分から原資をつくる。しかし、経営者にとって、外から来た外的ショックが生産性上昇分を食ってしまったときには、ベースアップの責任からも免除されると理解している。
この経営者の考え方は、そう簡単に否定できない。企業自身は、賃上げによって業績が悪化して、経営破綻してしまっては元も子もないと思うからだ。
しかし、これまで金あまりと批判されてきた企業は、経営破綻するほど経営基盤は弱くない。逆に、先行きが不安だから、賃上げをせずに内部資金を増やしたいという姿勢は、何のために余裕資金を貯め込んでいるのか理由が曖昧になる。不況期ほどベースアップ率を維持して、これまで蓄積した内部資金を吐き出す機会である。無論、経営破綻しそうな企業は免責される。反面、経済基盤のしっかりした先は、マクロ的なデフレ傾向に戻らないためにも、一定のベースアップ率をつけるべきだろう。
筆者は、政府の経済対策ばかりでなく、民間の地力でベースアップを維持することで経済安定を目指すことも、コロナ不況に立ち向かう重要な要素だとみている。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生