コロナ危機で廃線目前~貧乏でも絶対に諦めない
千葉県を走る銚子電気鉄道、銚電。水揚げ量日本一の銚子港や犬吠埼の絶景などを求め、この時期は大勢のお客さんが訪れ、一年を通じて最もにぎやかだった。しかし今年はコロナショックが直撃してガラガラだ。「非常に売り上げも落ち、ひどいと1日1万円を切ってしまうことも」と言う。外出自粛を受け、少しでも経費を減らそうと減便に踏みきったが、収支は急降下。3月は前年比で乗客数マイナス80%、売り上げはマイナス50%となった。
しかしこの会社には武器がある。社員は口々に「やるしかない」「諦めない」と言う。
銚子電鉄は銚子駅から外川駅までわずか6.4キロを片道20分で結ぶローカル線。実はコロナ前からずっと崖っぷちを走ってきた貧乏鉄道だ。
通常、車両は20~30年で交換するが、銚電の車両は全て60年近い年代物。12万円で買った中古車両もある。駅に自動改札はもちろんない。時刻表は社員たちの手書きで、切符は手売り。制服を縫い直すのも自分たちでやっている。
仲ノ町駅の横にある、バラックのような建物の本社は築107年。建て替えることができず、使い続けていると言う。社員は24人だ。
そして「節約」の極め付けとも言える施設が電車庫。しかしそこに電車はなく、古い部品がズラリ。これを磨いたり削ったりして再利用している。ここにあるのは、他の鉄道会社からただ同然で買い取ってきた物ばかりなのだ。
ここまでギリギリでも続けているのは、銚電を必要とする人がいるからだ。地域の人にとって欠かせない「生活の足」となっている。
社長の竹本勝紀(58)は、以前は銚電の顧問税理士だったという経歴の持ち主。少しでも役に立とうと、電車の運転免許までとった。「当社はもともとギリギリの資金繰りでまわしてきた会社。たぶん日本一弱小の鉄道会社です」と言う。
そんな弱小をも飲み込んだコロナ危機。3月下旬、社員が招集され対策会議が開かれた。本社に会議室はないので、会議は車両の中で行われる。そこで竹本が提案したのは「こういう状況なので資金が逼迫しており、普通の会社なら倒産です。だから、売れるものは何でも売ろうと」。
売れるものは何でも売る~もはや食品会社に?
銚電はこれまでも、売れるものは何でも売ってきた。その一つが駅名。「駅名に企業の名前が入ります」「宣伝にどうぞ」と売り出している。料金は年間契約で80万円から300万円。例えば「笠上黒生(かさがみくろはえ)」という駅は、シャンプーメーカーが権利を買い「髪毛黒生(かみのけくろはえ)」と名付けた。
「お正月は隣に『はつもうで(発毛出)』という看板を出します(笑)」(竹本)
その銚電が、今回のコロナ危機で売り出したのが「廃線危機救済セット」に「お先真っ暗セット」。倉庫に残っていた過去の記念乗車券や、売れ残った機関車型の栓抜きをくっつけたのが、「廃線危機救済セット」。イベントで売れ残ったサングラスをメインに据えたのが「お先真っ暗セット」だ。
必死に考えたかいあって、ネットに反応が。販売サイトの総売り上げが、セットを売り出してから急激に伸びた。
「約10日間で2800件のお申し込みをいただき、1000万円の売り上げ。やはり銚電を応援していただいている方々だと思います。ありがたいです。これで続けられる? まだまだ。やっと社員の給料分くらいです」(取締役・柏木亮)
銚電にはもう一つ大事な収入源がある。駅で販売されているお土産に「銚子電鉄」の文字が。銚電は食品事業も行っているのだ。しかもその売り上げは本業の鉄道事業の4倍になる。中でも最大の稼ぎ頭となっているのが「ぬれ煎餅」だ。
その食品事業も今回のコロナショックで大打撃を受けた。そもそも外出自粛で客が来てくれないから、店の売り上げが立たない。
「かなりヤバイです。今までも経営状況は良くなかったですが、それに追い打ちをかける感じです」(食品事業部・神原良之)
ただ、この状況を黙って見ている銚電ではない。この日、社長の竹本自らが向かった先は銚子で人気の洋菓子店「ル.ノワ」。地元のおいしい物を発掘し、コラボしてネットで売ろうと考えたのだ。そこで目をつけたのが金目鯛の「きんめ大漁マドレーヌ」。「あんこが金目鯛の煮付けの割り下の感じ」なんだという。
しかも主人は「本当は金目鯛そのものを入れたかったんです。煮付けをフレークにして」と言う。竹本は「鯛が入ったマドレーヌ、史上初ですよね」と大乗り気。さっそく試作品をお願いした。
その一方で竹本は一発逆転を狙ったプロジエクトも進めていた。去年から映画製作をスタート。中身はホラー・コメディーで、『電車を止めるな!』と、どこかで聞いたようなタイトルだ。制作費はクラウドファンディングで500万円、さらに銀行の協賛金や竹本自らも出資し、合計2000万円をかき集めた。社運をかけたプロジェクトなのだ。コロナの影響で製作は一時中断したが、再開した。
「コロナ収束のおりには、この映画をたくさんの方に見ていただいて、鉄道存続の礎にしたいと思っています」(竹本)
気持ちは一つ、電車を止めるな。
「いつかは銚子電鉄も自らの使命を終える時が来るかなと。ただ言えるのは、今はその時ではない。地元住民の足として、観光シンボルとして、存続に向けて力を尽くしているところです」(竹本)
創業から大ピンチの連続~会社を救った奇跡の物語
少しでもお金を稼ごうと、銚子電鉄は仲ノ町駅にある電車の車庫を150円で公開している。そこには丸ノ内線で使われていた車両や、80年も前の国内では最小だった電気機関車が置いてあり、わざわざ遠くから見に来る鉄道ファンもいる。
銚子電鉄の開業は1923年、市民鉄道としてスタートした。戦後になると地元のメーカー、ヤマサ醤油の輸送も手がけ、乗客も殺到。黄金期を迎えた。
しかし高度経済成長期、マイカーが普及すると乗客はみるみる減り、赤字経営に転落。そこで初めて副業に手を出す。当時を知る鉄道部長・石橋清志が案内してくれたのは、犬吠駅の「たい焼き」売り場だ。ちょうど『およげ!たいやきくん』が大ヒットし、銚電は便乗して作り始めた。これが年間で2000万円を売り上げ、赤字会社にとっては大きな収入となる。ついでとばかり、「『たい焼き』のあんこが入っていた一斗缶を切断して『ちり取り』まで販売」(石橋)。「売れる物は何でも売る」の精神はこの時代から続いているのだ。
次なる危機はバブル崩壊だった。当時、親会社となっていた建設会社が倒産。資金面での後ろ盾を失った銚電はまたしても大ピンチに陥った。
そんな時、経理課長が「銚子には『ぬれ煎餅』があるじゃないか」とひらめいた。経理課長の部下だった山崎勝哉は「『作れるか』と言われて、簡単に考えていて『楽勝でしょう』と作り始めたのですが、非常に難しかった」と言う。
そこで山崎は地元の「ぬれ煎餅」の名店「イシガミ」に助けを求める。「おいしく作る技術を教えてほしい」と頼み込み、鉄道員を派遣。プロの技を叩き込んでもらった。指導役を務めた現社長の石上てるよさんは「市民の足なので、足がなくなると困る。『銚子市民のお役に立てるのなら』と、当時の社長は言ってました」と語る。
1995年、犬吠駅で販売開始。駅の構内で手焼きすると、醤油のおいしそうな匂いも手伝って大ヒット。「ぬれ煎餅」は売れ続け、ついに鉄道収入を大きく上回るようになった。
2006年、最大の危機が銚電を襲う。倒産した親会社の社長が、勝手に銚電の会社名義で2億円を借金。業務上横領で逮捕されたのだ。2億円といえば当時の「ぬれ煎餅」1年分の売り上げだ。さらに市や県から出ていた補助金が凍結され、銀行からの融資もストップ。銚電は倒産寸前に追い込まれた。
こんな三重苦の時に、巻き込まれたのが税理士の竹本だった。
「ある時、電話がかかってきて、『非常に経営状況が厳しく、破産の申し立てをしようと思うが、裁判所に納める予納金もない』と。『会計の専門家もいないから見てやってくれないか』というところから始まりました」(竹本)
竹本は顧問税理士となり、借金の対応や金融機関まわりに奔走。少しでもお金を作ろうと、社員と一緒に「ぬれ煎餅」を売って歩いたこともあった。しかし、車両の修理代400万円を2週間以内に用意できなければ、電車が止まるところまで来た。
「もう断末魔を迎えている状況です。補助金が1円も入ってきませんから」(竹本)
「ぬれ煎」作戦で活躍したあの山崎は当時、経理課長になっていた。
「市内に『ぬれ煎餅』を売りに行ったのですが、なかなかすぐ売れるものではない。夜、会社に帰ってきて……」(山崎)
そこから奇跡が始まる。山崎は、何かしないでいられず、自社のサイトに「ぬれ煎餅、買ってください。電車の修理代を稼がなくちゃいけないんです」と打ち込んだ。するとその後、それまで一日数件しかなかった注文が殺到。1週間で1万5000件になった。
「もう何が起きたのか、分からなかったですね。10件ぐらい買ってくれたらいいなと思ってやったので。ネットにそんな力があると当時は分からなかった」(山崎)
その売り上げで修理は無事完了。銚電は最大の危機を乗り越えた。
その後も東日本大震災などの逆境が続き、銚電の経営は綱渡りとなっていく。そんな中、2012年に竹本が社長に就任。月10万円という報酬で会社経営に身を捧げている。
市や県に粘り強く陳情を続け、補助金を復活させたかと思えば、電車の中にお化け屋敷やプロレスを持ち込むエンタメ戦略で新たなファンを開拓。さらに食品事業でもヒット商品を生み出した。資金不足に陥った2年前、新商品「まずい棒」を、8ヵ月で100万本売り、危機からの脱出に成功した。
竹本が、また新しい商品ができたと言う。それが線路の石の缶詰。レールの下に転がっている石を拾い集め、ほとんど原料費をかけずに商品化。中にはおみくじも入っている。
「コロナ収束への願いを込めて、『石に願いを』と」(竹本)
新潟の「えちごトキめき鉄道」、静岡の「天竜浜名湖鉄道」と、ローカル鉄道3社でタッグを組んで販売を開始する。
地域を愛し、愛されて~銚電を支える市民たち
銚子電鉄にはマドンナがいる。それが鉄道事業部の紅一点、袖山里穂だ。袖山はいま、免許を取得しようと実際の車両で練習している。銚電初の女性運転士を目指している。その腕前は「まだまだ、相撲で言ったら序二段くらい」(運転士・田中昌宏)。だが、応援団はしっかり付いている。乗客から「すごいね」「うまくなったね」と声がかかる。
地域の人たちに支えられてきた銚電。ピンチを直接救ってもらったこともあった。
2014年1月、脱線事故があり、この事故で3組しかない貴重な車両の一つが走行不能に陥る。そこで手を差し伸べてくれたのが地元・銚子商業の生徒たちだった。
応援に動いた一人、和泉大介さんは「銚子の小中高生は銚子電鉄を使って学校に行くので、何かできないかという思いからクラウドファンディングをやらせてもらった」と言う。
和泉さんたちの呼びかけでおよそ500万円もの支援が集まった。それを修理代の一部に充て、電車は再び走り出したのだ。
海鹿島駅では地域で暮らす人たちの、さまざまな花でホームを彩るボランティア活動が行われていた。この日はコロナ収束後に見て欲しいと、夏に咲き誇る月見草を植えていた。 地域住民の「銚子電鉄愛」に応えようと、山口典孝は本銚子駅にイルミネーションを作った。全て自分でつないだという。
「少しでもお客様に喜んでいただければ。(地元の人が)頑張っていますから、社員も頑張らないと鉄道を残せないので……」(山口)
6月1日、銚子電鉄の車内に久しぶりににぎわいが戻った。緊急事態宣言の解除に伴い、銚子の学校も再開。銚電にいつも通りの光景が戻ってきた。
あの袖山も大張り切りで、子供たちとタッチをかわす。
「やっぱり楽しいです、早く会いたかったので。戻ってきたな、と」(袖山)
地域を愛し、愛されて、銚子電鉄は生き残っていく。
~村上龍の編集後記~
竹本さんをはじめ、銚子電鉄の従業員には、悲壮感がない。今でも経営は苦しいが、みな淡々と仕事をして、副業として「売れるもの」を淡々と探している。銚子電鉄はなぜ廃線を免れてきたのか。神様の采配と言うしかない気もするが、やり遂げたのは、生身の人たちだ。あんこが入っていた一斗缶を半分に切り、「ちりとり」として100円で売ったという精神が今も生きている。
ずっと危機的状況が続くと、悲壮感はなくなる。「銚電はいつか潰れるかもしれない、 でもまだそのときではない」。そういった思いが悲壮感を消し去る。
<出演者略歴>
竹本勝紀(たけもと・かつのり)1962年、千葉県生まれ。1986年、慶應義塾大学経済学部卒業後、税理士事務所入社。2005年、銚子電気鉄道の顧問税理士に。2008年、社外取締役就任。2012年、代表取締役社長就任。
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